第三十四章第二節<神仙呪術>
古代ローマの時代における、血と殺戮の饗宴が繰り広げられた闘技場をあとにした綾瀬と宗盛は、他にも知る者がいないか、その姿を探すことにした。
いずれにせよ、この異界からは脱出しなければならぬ。しかしここがどのような世界であり、そして皇城から自分たちはどうしてこのような場所に来てしまったのか、その理由は二人のうち、どちらも説明することは出来なかったのだ。
それならば、手がかりを手がかりと知ることなく見逃してしまうこともあるかも知れぬ。結果として、効率的ではなくとも、他の人間を探すことが有効な選択であろう。
頭上高くそびえる闘技場の壁を背にして、綾瀬は腕を組みながら空を見上げた。岩で出来た丘の上にその闘技場は孤立して打ちたてられたかのように、異相を周囲に晒している。それとも、地殻の急激な変化で出現した遺跡のような。
どちらにせよ、人が住む世界においてはあり得ぬ光景であった。
「動く気配はねえな」
緩やかな、僅かに死臭のする風に髪をなびかせながら、綾瀬は呟いた。
今まで闘技場の中で炊いていた炎による煙を見つけ、何者かが向かってくることを期待したが、その様子はない。
「降りるか」
宗盛が、熊のような低い声で嘆息を漏らしたとき。
綾瀬の視線が、ふと宗盛の横顔に注がれる。
正確に言うならば、視線の先は横顔ではない。宗盛の左の眼窩に淡く光る、奇妙な石。
「なぁ、あと一つだけ……聞いていいか」
先を急がねばならぬのは分かっている。
「田安門で、気になっていたことがある」
宗盛は、ざらつく顎を撫でながら短く頷いた。
「あの時、俺と刀を打ち合わせながら……てめえはてめえの過去を俺に教えてくれた、そうだよな?」
太刀<胡蝶>を持ち、霊能などは持ち合わせてはおらぬものの斬妖の技を持つ綾瀬に、宗盛は己を取り巻く邪念を用いて過去を語った。
「どうしてだ?」
上目遣いに、綾瀬は宗盛を見た。
どうして、あの光景を俺に見せた。お前がもし、政府に深い恨みと怒りを抱いているのならば、日本中枢に牙を剥くその行為は、いささかお門違いなのではあるまいか。
いや、百歩譲ってその妥当性を飲んだとして、お前は天皇を守護する俺を無言で斬り伏せこそすれ、己の悲しみを理解させる必要はなかっただろう。
ともかく、あの時の宗盛の行動を、綾瀬は理解できていなかったのだ。
理解、されたかったというのか。それならば何故、あの時、田安門を破った。涙を流しながら、鬼の慟哭に打ち震えながら、どうしてお前は俺に勝負を挑んできた。
「俺は、一人では、このような力を手に入れることは出来なかっただろう」
宗盛は視線を落とし、そしてゆっくりと歩み始めた。
それについては、歩きながら話そうという意思表示か。応えるように、そして会話の妨げにならぬように、歩調を落として二人は丘を下り始めた。
美輪誠十朗。その名は、程なく宗盛の口を割って出た。
知らぬ名だ。しかし宗盛は、誠十朗を自分の命の恩人だと、語る。
「恩人?」
「銃弾に晒され、臓腑を裂かれ、骨を砕かれ、残す道は死を待つだけの俺に、誠十朗は力を与えてくれた」
そして宗盛は左の石を指し示す。
「そいつがくれたのか?」
「浄眼、と誠十朗は呼んでいた」
潰れて役に立たぬ眼球を、誠十朗はずるりと引き出した。躰を引き裂かれる痛みに比べれば、今更眼を抉られることなど、耐えることも出来た。
このままでは腐って害毒を帯びるようになる、と説明した誠十朗は、懐から取り出した同じ大きさの石を宗盛に見せたのだ。
怒りが魂を蝕んでいるな、と誠十朗は言葉を向けた。このままでは死ぬな、とも誠十朗は意見を述べた。そのどれもが、宗盛の胸中を読んでいるかのようであった。
「なにしろ、不思議な男だった」
この石を眼に嵌め込まれ、そして宗盛は奇跡的な快復を遂げた。
医者に診てもらったのではない。石の力なのか、不思議なことに、視力も元通りになっていた。
「これは、俺の考えだが……誠十朗も、俺と同じように、深い悲しみを抱えているようだった」
「その、誠十朗って奴とは、それきりか」
その問いに、宗盛はかぶりを振った。
「お前と初めて戦った、日枝神社……あの地を邪念で穢せと命令したのは、誠十朗だ」
綾瀬の脳裏に、一つの記憶が閃いた。
それは北斗の言葉。帝都の四方を守護する結界を探っていた頃、北斗がふと漏らした言葉。
『ここまで正確な攻撃が出来るということは……あちら側にも、日本の呪術に精通した者がいることは間違いありません』
あの時に北斗が予測した、日本の呪術をよく知るという男が、誠十朗ではないのか。
喉まででかかった言葉を、綾瀬は懸命に飲み下した。
まだ、結論を出すには早すぎる。だがしかし、次の瞬間、宗盛は決定的ともいえる一言を口にした。
「俺を救い、そしてこの石の力も全ては誠十朗が大陸で学んだ呪術の力だと、奴はそう言っていた」
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