間章ⅩⅩⅧ<現人神、崩御>
竹で編んだ御簾など、障壁にもならぬわ。
そう確信し、手を一閃させたエフィリムの瞳が、微かに揺れた。
なぜならば眼前の御簾は依然として、僅かな風に靡いているのだ。門一つ、その気になれば分厚い石垣ですら四散させるだけの力の直撃を受けながら、どうして破れぬか。
天皇の寝所を守護する結界呪術師たちをほぼ一瞬で壊滅に追いやっただけの霊力をもってしても破れぬとは。
「……ん?」
エフィリムの視線が、ある一点にて静止した。
それは、内側から御簾に挟ませてある、何かであった。
知る者が見れば、それもまた墨曜道における結界術の一つであることが容易に窺い知れようか。
物忌と呼ばれる呪法。元来、それは神官が祭祀にあたり心身を清め、その状態を保つことを目的として飲食物や行動などに規制を設ける斎戒という意味をも持つものであった。
しかしそれが墨曜道における呪法となると、いささか意味合いを異なるものとすることとなる。つまり、呪法としての物忌であれば、悪夢や凶兆、さらには術師から告げられた凶事を事前に回避するための、防禦手段として用いられているのである。
一般的な物忌の作法としては、紙片もしくは柳の枝に「物忌」と綴ったものを用い、さらにしのぶ草という植物の茎に結いつけ、携帯するものである。
それと同じものが、眼前の御簾の間に挟まっていたのであった。
流儀などは知らずとも、それが寝所を守護する最後の防壁である霊力の源であることはエフィリムも看破していた。
あれを破壊すれば、天皇の護りは消え失せる。
エフィリムは指を突き出し、その先から極小の炎を乾いた茎に向かって放つ。
小さいながらもエフィリムの霊力を込められた炎は、墨曜術師の施した結界の霊力を呆気なく上回り、瞬時に炎は御簾へと燃え移り、ぶすぶすと朽ち落ちる。
その向こうに、白い装束に身を包んだ一人の男を見つけ、エフィリムは唇を歪めて笑った。
これぞ、日本の霊力の中枢を担う男。天皇と呼ばれる、現人神。
天皇は閉じていた瞳を開け、正座の姿勢を崩さずに膝頭に手を置いたまま、ひたとエフィリムを見据える。
「外の者を、全て打ち倒したか」
「ええ」
エフィリムは殊更に見せ付けるかのように、天皇に右手を差し伸べ、そして指で空を弾く。
しとどに濡れた血糊が飛び、男の装束を斑に汚す。
「それなりの結界は張っておいたようだけれど、私にしてみればあんなもの……どうとでもなるわ」
「殺さずも、結界だけを破ればよかろう」
その言葉には答えず、エフィリムはくすりと微笑んだ。
「あなたも命が惜しいのね……ならば生き残る機会を与えましょう」
血染めの右の掌を上に向け、左手でその表面を撫でるように振る。それだけでエフィリムの手の上には一冊の古ぼけた洋装の書が生まれていた。
「これと同じ、魔を宿した
一度エフィリムはソロモンの英霊を用い、この地に隠されている写本の行方を探っている。
しかしその術は失敗に終わった。
英霊を凌ぐほどの凄まじい霊体に返り討ちに遭い、術は中断されていた。
この世界に眠る写本の名は、<息衝く城>。存在だけは確かなのだが、記された術と叡智はいまだ、知る由もない。
「知らぬ」
「あぁら、素っ気無いお答えね?」
エフィリムは嗜虐趣味の拷問官が捕虜を追い詰めるような残忍な笑みで、天皇を見返す。
「そのような禍々しき書など、知ろうはずもない」
だん、と天皇は板張りの床に足を踏み出した。
流れるような一連の動作で、天皇は腰に隠した匕首を抜き放ち、エフィリムへと投じる。刃は一直線にエフィリムの眉間へと飛来し、しかし皮膚の数ミリ手前で指に挟まれ、止まる。
「それならあなたには用はないわ」
手首を返すだけの動作で、エフィリムは匕首を投げ返す。
天皇の放った速度の数倍の速さで飛来した刃は、今度は避けられぬ天皇の眉間を深く抉り、脳を貫く。
かっと目を見開いたまま、額の傷から一筋の血を流し、天皇は仰向けに倒れた。
その瞬間、部屋を満たしていた清浄な気が、西に向かって急速に流れていく感覚を、エフィリムは知覚した。
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