第二十八章第二節<最後の封印>
我が半身。
その柿崎の言葉を、沙嶺も宝慈も理解することが出来なかった。否、柿崎の変貌ぶりもまた、二人を驚愕せしめる要因であった。
二人の知っている柿崎という男は、権力と地位のみにしがみつく、出世欲にまみれた矮躯の男であったはずだ。魔道に堕とされでもしなければ、このような強い呪力を身に付けることなどできはしなかっただろう。
疑問は尽きぬ。
だが時間がない。
柿崎は掌に埋めこまれた勾玉を殊更に見せ付けるかのように、二人に腕を突き出した。皮膚が裂け、どす黒く濁った体液を手首から滴らせつつも、勾玉はまるで柿崎の臓器の一つだとでもいわんばかりに躰と一体になっている。
勾玉の曲線を描く縁の部分は、微かに皮膚と重なるようにして肉に食い込んでいる。
柿崎は口をかっと開き、ゆっくりと息を吐き出している。呼気それ自体が呪詛のこめられた空気のように、二人には感じられた。
「
虚空蔵菩薩の真言を唱え、求聞持法からの仏智悟入を促し、柿崎の放つであろう瘴気から身を護らんとする。
しかし柿崎の狙いは違っていた。二人の目の前で勾玉はとろりとした濃密な光を宿し、それが徐々に空間に染み出てくる。
「いざ我に与え給え、朝廷に仇成す力……」
ひゅごう、と勾玉の周囲で風が鳴る。指が何かを捉えるように、ぐっと内側に曲がる。
空間を限定され、ますますその内部で荒れ狂う風に光が宿り、一気に横に伸張した。
その一瞬で柿崎の手の中の光と風は、一振りの刀を実体化させていた。
一点の曇りなき刀は、怖気がこみ上げてくるだけの剱気を宿している。
だが二人の視線は、その柄に注がれていた。柄に施されているのは、真鍮であしらわれた鶏頭の装飾。
柿崎であって柿崎ではない、この男が何者なのか、二人は理解した。
鶏頭の太刀、八幡大菩薩の経文、そして柿崎の言葉の数々。この男の正体に対しての推理があっていれば、圧倒的な呪力も説明がつく。
「貴様、将門か……?」
名を耳にした柿崎の唇が、にぃとめくれた。
「然様」
武蔵野を呪の鎖で締め上げる、大いなる地霊が、どうして柿崎などに憑依したというのか。
「図らずも、舶来の呪術師らの手によって憎き天海の結界は消え失せた……おそらく、東享を混乱させるための所業であったのだろうが」
柿崎は沙嶺と宝慈から視線を外し、やや後方に控えるルスティアラに視線を向ける。
その眼力自体が呪をこめられていたのか、短い悲鳴を上げただけでルスティアラの躰が硬直する。
「そこの女……我の墓所を暴くだけでは事足りず、さらに我を利用しようと企むか?」
がくがくと首を横に振るだけのルスティアラに落胆したのか、柿崎は大きく息を吐き出した。
「斯様な腰抜けか……不甲斐ない」
「逃げろ!」
高まる呪圧を察知し、沙嶺が叫ぶ。
しかし強烈な束縛の暗示をかけられたルスティアラの足は、ただ震えているのみ。
宝慈が結界によってルスティアラを護るよりも早く、柿崎は手に持った刀に呪をかけ、一閃した。
千年以上の時間に蓄えられた力の前では、一人の魔術師の結界など芥に等しい。成す術もなくルスティアラは高い濃度の怨念の塊を受け、鞠のように吹き飛んだ。
生み出され、解放された念が紫の筋となって、そのあとを追う。
「さて……我が将門と知ってなお、道を阻むか? 曼華経の僧?」
夜の闇の彼方から、怨念の呪詛を受けるルスティアラの甲高い悲鳴が聞こえ、それが徐々に弱弱しくなっていく。
「まあ、貴様らには借りがある。この場で苦しまずに冥府に叩き落してくれようぞ」
「借りだあ?」
眉間に皺を寄せる宝慈。
「知らずに我を助けたか……鳥越神社の捨て子に我が宿っているとも知らずにか」
雅が襲撃を受けた夜、帝国陸軍が赤子を奪い去ったと言う話。
あの赤子が、将門の魂を宿していたというのか。
「訝しく思わなかったか? 固く結ばれた、赤子の右手を……?」
何があろうと、決して開こうとはしなかった赤子の右手。
「鳥越の地はなぁ……天海が我の右腕を封じた場所」
聖獣の結界の緩みを、将門は見逃さなかったのだ。右腕が封じられた境内に、地脈の束縛の緩みの隙をついて赤子としての自分の魂魄の一部を切り離し、世に放つ。
そしてその目論見は見事に、将門の意図する方向に動いたのだ。
「それでは、そろそろ終わりにしようか」
柿崎は刀を逆手に持ちかえると、おもむろに地表に突き立てた。びりびりという衝撃が周辺一帯を襲い、凄まじい風圧が荒れ狂う。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
枯れ葉が巻き上げられ、土砂が四散し、みるみる地表が抉られていく。沙嶺も宝慈も身をかばうことが精一杯で、二人共に柿崎を阻むことなど出来はせぬ。
どれほどの間、嵐は暴れていたであろうか。
実際にはほんの数分のことであったが、二人にはそれが長い時間に感じられた。
すっかり土が抉り取られたその下には、朽ちかけた木戸が隠されていた。
これが、吹上御所の隠されたる真の姿。
何があるのだ、と問いかけるよりも早く、木戸は内側から弾かれるように開いた。
続いて噴出してくるのは、触れただけで輪廻の輪から外れんばかりの業の塊。それを身に纏い、吸い込み、食らい、柿崎の姿をした将門は喜悦に顔を歪ませる。
「どれほどこの瞬間を待ったことか……どれほど我が念願を阻む天海を呪った事か!」
吹き上げる業はますます濃度を高め、そしてたわめられていた呪力は紫の光の柱となって天を貫く。
そして、それは姿を現した。
幾重にも経文を巻かれ、鎖で縛られ、ただ怨念だけを語り吐くかのごとき、口をかっと開いた生首。
目を潰され、耳を貫かれ、鼻をそがれ、舌を切られてもなお、呪詛は尽きることを知らぬ。決して朽ちることはなく、そして驚くべきことに千年以上もの間、生首が生きていることを示すかのように、乱れた髪は恐ろしいまでの長さを誇っている。
かぱり、と首の顎が開いた。
このようなものが瑿鬥城、そして皇城の只中にあったのか。首塚などという慰霊を施しておきながら、将門の魂魄は禁足地の中で長き間、苦悶に晒されていたというのか。
恐るべきは武蔵野の呪術師。そして力を統合した、黒衣の宰相、天海。
同じ人でありながら、力を利用しようとここまでの仕打ちを出来るものか、否か。
「待ち焦がれたぞ、我の半身……さぁ、今こそ我が元へ」
柿崎の言葉に誘われ、紫の光の中に身を浸す生首は、確かに笑っていた。
ぐずぐずに溶け崩れた肉と腐汁を滴らせながら、生首は笑っていたのだ。
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