第二十七章第一節<五芒星追儺儀式>
陸軍兵士の銃撃開始と、シャトーの圧倒的な霊力によって、皇城の東の戦線が崩されたと時を同じくして。
ゆらりと不吉な影が、皇城北東の清水門の前に出現した。
黒い炎のような中から現れ出でたのは、エフィリム。
短く刈った髪とは対照的に、妖艶さを失わぬ唇を吊り上げ、エフィリムは一歩を踏み出した。
皇城を巡る霊気の流れが、エフィリムに宿る甚大な力の余波を受け、軋み、歪む。皇城内のどこかで、今も本居紀靖をはじめとする神祇調術を修めた者たちらが、不休の祈祷に明け暮れている。
その祝詞に力を得て、ぐるぐると流れる、青く澄んだ清浄な気。
流水は東洋、風水においては邪に対する結界となる。観想において彼らの想起した水という念が、エフィリムの霊的視力によって青く映ったとしても不思議はない。
この時刻に、この場所に、エフィリムを導いたのは誠十朗であった。
明璽天皇の生まれから占い、本日明璽十一年九月十九日における凶が集う方位を選定した。
結果、もっとも強い凶が凝るのがこの北東の方角。そこからエフィリムの持つ凄まじい霊力を迎え入れれば、まず間違いなく皇城の護りは潰え、我々は勝利すると。
「言ってくれるじゃない」
エフィリムは進路を阻む、固く閉ざされた清水門に掌を向けた。
呪紋や意識で練られていない、純粋な魔の力を奔流として解放する。護りの気と交錯する形で放たれたそれは、微塵も力を減じることなく、門を四散する。
このようなもの、障壁にもならぬ。砕け散った破片を踏み越え、長衣の裾を揺らし、エフィリムが皇城へと足を踏み入れたとき。
今しがた自分が通り過ぎたはずの背後から、強烈な呪が溢れ満ちるのを感じた。
自分は何もしていない。はっとなる視線の先で、なんと先ほどまでは確かに存在していなかったはずの、一枚の呪符が空中に静止していた。
燃え立つほどの霊力を宿すそれは、エフィリムの魔の力を受けてもなお、敗れることはなかったのだ。
「かかりおったでェ!」
圭太郎が声を上げた。エフィリムによって、北東の方角が破られたことを察知したのだ。
「その方位は艮に非ず、地母の護りし坤、申なり!」
もう一つの方位を有効にする術が発動し、四方八方を囲む八卦符が霊力を解放する。
本来の方角を打ち消すばかりに、皇城内にもう一つの方角的法則が生まれようとしている。
八枚の符が互いに共鳴し、隣接する符同士が霊力によって結ばれ、もう一枚の「壁」を作り出す。
視界から色彩が消失し、急速に現実との剥離が起きているのだ。それを感じ取ったエフィリムは、しかし少しも動揺する素振りも見せずにさらに一歩を踏み出す。
両手を広げ、天を仰ぐ。
小賢しい真似を。
エフィリムは指を揃え、指先を額、胸、右と左の肩に触れ、最後に指を組み合わせて固く握る。
「
それは西洋魔術においては一般的な儀式、五芒星追儺と呼ばれる類のものであった。本来であれば、己の躰の中にある様々な不浄の物質を追い出し、光と力で満たすために用いられるものであったが、それをエフィリムは別の意図によって用いる。
すなわち。
エフィリムの声は空間を無視し、三人の術師の意識を打ち据えた。
同時に、ルスティアラ、ユリシーズ、サミュエルがエフィリムの声を霊的領域にて知覚。
エフィリムの躰に異変が起きたのは、そのときであった。
まるで霧のような魂が離脱するように、エフィリムの姿をした幻が三人、ずいと躰から抜け出たのだ。それらはエフィリムと一部を重ね合わせるように、四方を向いて立つ。
「方位魔術が、東洋だけではないことを教えてやるわ……見ていなさい」
幻の三人は、それぞれ東、南、西に巨大な五芒星を霊視する。
「ヨッド・ヘェー・ヴァヴ・ヘェ」
「アー・ドー・ナーイ」
「エェー・ヘェイ・エェ」
短い呪句が発せられたと同時に、三人のエノク術師はそれぞれの象徴の霊力を頭上に照射する。
頭上に投じられた力は、エフィリムの発した言葉の魔力を浴び、本来の―圭太郎の八卦符を無効化するための方位選定を強化する。
「我が前にラファエル」
「我が前にミカエル」
「我が前にガブリエル」
守護天使の名を呪句に織り交ぜ、放つ。ぐるぐると渦を巻く霊力が皇城の上空に出現し、そこから分散した光の槍が機械のような正確さで八枚の符を打ち、貫き、塵とする。
本来の方角の持つ力に準えて重ねられた西洋式方位術の前に、見立てによる八卦術は敗北を喫した。
エフィリムの周囲に集結していた力は、導き手を失って雲散霧消、幻惑の世界はあとかたもなくかき消えている。
「これで、お前たちの術は破られた……残る力で、何処まで戦えるのかしらね?」
エフィリムの入城は、北東の方角、明璽天皇の凶方を侵す行為。
西洋術師らの前に、霊的な牙城は大きく傾ぎ、揺れていた。
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