第二十五章第一節<田安門襲撃>
嚆矢は、唐突に放たれた。
まるで天を震撼させるかと思われるほどの獣咆が上がり、次いで眼前の田安門の門扉が四散したのだ。
金属による補強がなされていようと、その一撃の前ではなきに等しい。恐らくこれが、分厚い鋼鉄製の扉であったとしても、あの男の前には役に立たなかったのではなかろうか。
降り注ぐ木っ端から視界を守らんと腕を上げ、顔を庇う童子斬団の前に、影の男はさらに刀を上段に構え、振り下ろす。
身長を遥かに越える門は、刀が触れてはおらぬ部分に至るまで、唐竹割に両断され、傾ぎ、軋む。その様子を見ていた者のうち、気圧されておらぬのは綾瀬一人。
しかしそれも無理もない。
およそ人でありながら、たった二撃で門を完全に破砕することができる者などいるはずもない。
ち、と綾瀬は胸のうちで舌打ちをした。門という遮蔽物がなくなった瞬間、綾瀬は素早く空気中に混じるどす黒い念を感じ取っていた。
同じものを彼は日枝神社において経験している。
奴か。
まだ納刀したままの態勢で、綾瀬は軽く拳を握り、脇を開き。
「……ハッアァ!!」
呼気と共に鋭い気合を発し、男の邪念にあてられて動けぬ者の束縛を解く。
「来るぞッ!」
綾瀬の号令に重なるかのように、闇からのそりと巨漢が姿を表した。
ざんばらの髪の奥で、男の眼が無気味に蒼く光る。
既に魂まで邪気に食われたか。地響きすら帯びて皇城敷地内に足を踏み入れた巨漢の周囲で、暗い霧のようなものが渦を巻く。
それは皆、綾瀬らの生者を感知すると、やおら牙を剥いて襲い掛かってきた。
だがそこはやはり、異能の者たち。初対峙の気迫さえ無効化しておけば、それぞれの学んだ童子斬の錬氣の技をもって邪気を斬り、払い、浄化せしめていく。
だがその光景を見ても、綾瀬は動かなかった。
何かが違うのだ。
ここであの巨漢に向かっていては、自分たちは致命的な被害を受ける。
ぐっと柄を握ったまま息を殺す。殺して待つ。
「梅沢先生!?」
青年の一人が、綾瀬の名を呼んだときであった。
綾瀬の視覚は、巨漢の背後にゆらりと立ち上る、霊気を捉えていた。
この予感はあれによるものか。
「侍は任せた……死ぬんじゃねえぞッ!」
態勢を落とし、綾瀬は巨漢の脇をすり抜ける。
眼前に姿を見せたのは、白く裾の長い衣装を纏う、狂気を帯びた男。はじめて見るその姿は、しかし巨漢と同じく、間違いようもなく日本人だ。
「てめェはッ!?」
「覚えておけ、我が名は華神慈朗正光……」
すいと正光は腕を上げる。
すると、指に誘われたかのように巨漢を包む邪気の一握りが指に絡めとられた。
何をするのかと考えるより早く、正光はそれを握り潰す。金属音のような悲鳴を上げるその邪気を腕まで纏わりつかせつつ、正光は知らぬ言葉を口にした。
「いと高き万能の主の御名において……汝、大いなる伯爵よ……然るべき姿によりて、如何なる害毒もなく、すみやかに現われよッ!」
邪気の煙を宿した指で、正光は宙空に奇怪な図形を描く。
十七世紀の
現存する召喚術の中でももっとも優れたものの一つに数えられ、かつ汎用性に優れたこの書物を如何にして、正光が手に入れたのかは今は関係がない。問題なのは、常人であれば黒鏡の中の幻像としてしか召喚できぬほどの英霊を、この男が現実の世界において、呼び起こそうとしているということであった。
無論、そのような知識は綾瀬にはない。だがこみ上げる悪寒と震動、そして高まる霊圧は間違いなく綾瀬の脳に警報を伝えていた。
図形、魔術用語で言うところの
だが、綾瀬には策があった。どんな化けものを呼び出そうと、あの男自体は無力な人間なのだ。
「おおおおおおおッ!」
太刀<胡蝶>を抜刀し、振りかぶる綾瀬。対する正光はその太刀筋から逃げようとはせず、代わりに懐から一丁の拳銃を取り出した。
「……クソがッ!」
剣と銃では分が悪い。
疾走を止め、横転して起動をずらした直後、引き金が絞られて地表を硝煙を纏わせた銃弾が抉る。
それを確認するよりも早く、綾瀬は受身から素早く態勢を整え、再び正光に向かおうとする。
その視界が、ばさりと遮られた。
巨大な鷲の翼。鼻を突き刺すような、獣臭。皇城の中に四肢を広げ、鋭い爪を立てて巨躯を晒すその姿。
牙を剥き、口腔の襞をめくり上げ、腐臭を帯びた涎と呼気を漏らし、燃える瞳でこちらを凝視する姿。
獣の姿をとってはいても、それがただの獣ではないことは綾瀬にも想像できた。
いざとなれば、こいつは人以上に狡猾な頭脳と策略をめぐらせ、俺を噛み殺そうとするだろう。
グリフォンの翼を持った大犬。第二十五位の伯爵、カールクリノーラスの異名をも持つ殺戮の権化、英霊
「お前の部下は彼に任せよう……この私が直々に、貴様を冥府の底に突き落としてくれる」
想像よりはるかに素早く、正光は召喚術を終えていた。
しかも、物質化するほどに強く。
恐らくあの時、彼らと共に巨漢と切り結んでいたならば、この英霊の牙と爪と魔力によって、自分たちは一瞬にして壊滅状態に陥っていたことだろう。
「まさか、舶来の鬼を斬れるとはな……身震いするぜ」
「鬼ではない、ダエモンと呼べ」
「どっちだっていいさ」
綾瀬は体内を巡る闘気を練り、太刀に伝える。青く光る霊気が太刀から滴るように沸き起こり、
九月十九日、午前零時。
不思議と涼しげな風の吹くその真夜中、ついに西洋術師団は最終的な攻防戦を、皇城と天皇に対し、展開したのであった。
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