間章ⅩⅩⅣ<写本 息衝く城>
虚海空間に姿を表した軍服姿の妙見は、自分を壬生九朗と呼んだ流源をしばしの間、感情の無い瞳で見つめていた。
「ほほっ……その呼び名では不満か? しかしの、今の時代では、<Nerro Spada>の悪夢を知る者はおるまいて」
妙見を中心にして、水面に波紋が広がった。それが妙見の感情の発露に伴う、凄まじい魔力の拡散であることを知った流源は、笑いつつもぴしりと自らの額を叩く。
「ほれ、この通りじゃ。わしも謝るから、主も落ち着け、な?」
妙見はそれでも黙したまま、しかし手袋に包まれた指で軍帽をぐっとかぶりなおす。
それが了承の合図だったのか、いつしか妙見は荒れ狂う気の流れを飲み込むように静めていた。その様子をじっと間近で見ていた鬼姫の舞は、妙見に対して警戒を解こうとはせぬ。
交錯する視線の中、妙見はややあって口を開いた。
「魔道神ラウローシャスの遺した、最凶の魔道書<妖園世界>……その片割が、この地にある」
「<妖園世界>?」
聞きなれぬ言葉に、舞が鸚鵡返しに尋ねる。
「さよう」
流源は大きく頷いた。あの説明では、理解は難しかろうと察した流源は仕方なく、舞に話をはじめる。
「かつて、こことは異なる世界で生み出された一冊の書物がある。人が創り出しておきながら、人の手では制御できぬ魔力の塊。それらは創作者にして魔道王とも称されたラウローシャスによって封印されたが、それぞれ七つの写本という分割された破片となって、いくつもの世界に散っていったのだよ」
「……その書物が、日本にあるということですか」
「然様、然様」
微笑みつつ、流源が首肯する。
「写本はいつの日か、七つ全てを修復し、元の姿に戻ろうとしておる……それを狙い、心弱き、そして力強き者の精神を蝕み、そうした者を傀儡として、操っておるのだ」
話の全容は見えぬ。しかし流源の言葉から、舞は耐え難いほどの悪寒を感じ取っていた。
「……戻れば、どうなりますか」
「書は鍵となり、門を開く」
今度答えたのは、妙見であった。
「神に匹敵する力を育みし次元、<
「これ……お前の説明は、どうも言葉が足りなくていかん」
「いえ、それでも、察しはつきます」
舞は首を振り、それまでの話を統合していく。
「その魔力にそそのかされたのが、今度の西洋の術師たちなのですね」
「聡明な娘で助かるぞ、舞」
流源は見上げ、闇の中に固定される四つの鳥居を見やる。
「ですが、疑問はあります……それほどの書物を、人が知らぬというならまだしも、我等妖の眷属すら知らぬというのは」
「人は知っておるよ、知らぬは妖」
はっとなる舞。
霊存在の源流とも言える妖が知らぬものを、どうして。
「人の暦にして、天慶二年……それは菩薩の姿を模して、他ならぬ人の手に渡された。以後、連綿と続く呪術師らは、その書を密かに受け継いだのよ」
天慶二年、それはまさに謀反を起こした平将門が下総国庁を占拠した年ではないか。
では、写本というのは。
「……武蔵野の……」
「そう、将門に齎された八幡菩薩の神託は虚偽。あれこそが写本の誘惑であり、将門はこの世界において、はじめて写本の傀儡となった武士」
舞は瞳を閉じ、ゆっくりと考えをめぐらせた。
以後、武蔵野の覇者となった人間たちの手を、その写本は渡って来たのだ。
源氏、瑿鬥氏、鑟川家。彼らが執拗にも武蔵野の地に霊陣を敷き、地霊となった将門を懐柔し、都を築こうとしたのは、もしや写本に魂魄を食い荒らされていた所為なのか。
そして初代の所有者である将門は、自分を貶めたその写本を奪い返そうと、怨霊と化したのだ。
「ご老体……その写本は、今は何処に」
「皇城地下に、封印されておるよ……だが」
かつん、と妙見の靴が鳴る。
「将門が復活すれば、写本は今度こそ、己に縋る霊体を滅するだろうな。そのときの呪力は……予想もつかん」
そう、妙見が言葉を切ったときであった。
突如として、一斉に水面が泡立つような細かい震動を帯びた。
鏡面の如きであったそこは無数の飛沫によって覆い尽くされ、空間にまで震動を響かせる。
何事かと目を見張る舞の傍らで、流源は大きく息を吐いた。
「時間が来たのだ・・・始まるぞ?」
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