第二十四章第三節<禁じられた記憶>

 通用御門の向こうには、黒々とした林が広がっている。


 禁足地、吹上御所。ここに何かがあると梓が予感したのは、あの警備員の兇刃事件だけではなかった。


 梓の調べた文献によれば、その奇妙な記録が残されていたのは文久三年のことであった。


 この年、すなわち正暦にして一八六三年の十一月、瑿鬥城本丸と二の丸が火災にあって焼失するという事件があった。


 問題はここからなのだ。


 将軍家茂はこの後、急遽完成した西の丸に移り住むまでの数ヶ月間、この吹上の森に移り住んでいたという記録が公式なものとして、残されている。だがその反面、この森にそうした建築物があったという記録がないのだ。


 これが何を意味するものなのか。


 もし本当に建築物が無かったのだとしたら、将軍ともあろう人間が数ヶ月間もの間、森の中で野宿をしていたという乱暴極まりない結論に達する。しかしいくらなんでも、それがありえぬ事は火を見るより明らかだ。


 現在の吹上御所には、それに相当する建築物は無い。陛下が東享に来られたときに、取り壊されたのか、それとも既にそれはなくなっていたのか。どちらにせよ、この森には何かが隠されている。


 北斗であれば、墨曜道と結界の知識から、この地に鑟川が施した東照宮を含んだ幾つかの魔法陣を見出したことだろう。しかし梓の揃えた文献からも、ここを鑟川の時代から今に至るまで、手を加えていないことはわかっている。


 鑟川家においても、天皇家においても、有用であった結界。そしてどちらにも忌避される存在。


 ここには何があるのだ。


 ここには何かがあるのだ。





「春日宮司」


 背中から名を呼ばれ、梓は振り向いた。


 緊張を帯びた面持ちの禰宜の青年が、不安げな顔で見つめていた。自らの胸中に沸き起こる懸念を短い時間で拭い去り、梓は表情を整えてから応える。


「どうした」


「あの、間もなく零時です……春日宮司は、祝詞奏上には参列なさらないので……?」


 もう、そんな時間か。


「私は、彼らと共に術師らの攻撃に立ち向かう任を任されているのだ」


「そうでしたか」


 青年は僅かに歩を進め、梓と並ぶ位置にまで来る。


「このような場所で、何をご覧になっていたのですか」


 眼前には、吹上御所の暗い森しか、見ることはできぬ。どのように答えようかと逡巡する梓に、青年はおずおずと口を開く。


「私は、この場所は火除け地として鑟川将軍家が定めた場所と記憶しております。明暦の大火によって、北西の季節風から瑿鬥城を守るべく……」


「そうだな」


 苦笑をかみ殺し、森を見やる。


「だが、それだけではないようなのだ」


「はぁ……」


 禁足地であるが故、如何に神職に携わる者であっても足を踏み入れることはできぬ。幾許かの気を晴らすために、梓は問いを向けた。


「お前なら、この場所には何があると思う」


「よく、分かりかねますが……人が入らぬ地なのであれば……やしろにはうってつけではないでしょうか」


 社。


 虚を突いて出た青年の一言が、梓の記憶を激しく揺さぶる。


 社。


 神仏を、荒ぶる御霊を祀った祭壇。それは人によって汚されてはならず、そして封印されるべきであるならば近寄ることもできぬ。


 社。


 可能性としては、充分にある。


 だが問題は、そこには何が祀られているのかということだ。鑟川にとっても、天皇家にとっても、荒れ狂っては欲しくない霊的存在。


 それは。





「宮司」


「……あぁ、すまない」


 もう少しで答えが出るというとき、事情を知らぬ青年は梓を急かす。


「わざわざ呼びにきてもらって、すまなかった」


「いえ」


 青年は短く礼をすると、闇の中へと駆け戻っていく。


 時間がない。


 あと数分で、ここは戦場と化す。答えは、必ず出さねばならぬ。


 死んではならぬ。


 梓がそう心に誓ったとき、時計の長針は午後十一時五十五分を指していた。

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