第二十四章第二節<嵐の前の静けさ>

 残り半時間ほどで、日付が変わろうとしている夜半近くになって、とある伝令が皇城内を駆け巡った。


 予想通りに、既に皇城周辺の門付近に魔術師団の一員と思しき人影が確認されていた。それも、複数の地点において発見されているとなれば、それはすなわち、包囲ということになる。


 まさか、このような絵に描いたような正攻法で攻めて来るとは。この異常事態に乗じて攻めて来るとは考えていたが、それにはやはり巧妙な霊的隠蔽手段を用い、こちらの結界の間隙を縫う形で、何らかの手段を用いてくると考えていたのだ。


 しかし、この時点で姿をあらわし、しかも攻撃の意思を露にしているとはどういうわけか。


 結論は、北斗の脳裏に容易に閃いた。


 こちらの読みどおりに攻撃は九月十九日かっきりに行ってくるということは、北斗が読み解いた五行占術と同等の力と知識を持つ呪術師があちらにもいるということになる。


 西洋の占術で同じことを見抜いたのではないことは、北斗は直感で見抜いていた。


 理由は無い。ただ、空気に満ちる幾許かの強烈な思念の中に、そうした匂いをかぎ分けていたのだ。


 デモンストレイシヲン。示威行動。


 やはり、当初の勘繰りどおり、相手側にも東洋流派の呪術師が荷担しているということだ。それも北斗が操る墨曜道と非常に良く似たルーツを持つ呪術流派が。


 その事実は北斗にとって、無形の挑戦状以外のなにものでもなかった。


 呪術理論が同じであるならば、一つの局面に対面したときに採る対策も自ずと分かろうというもの。こちらの出方と、相手の攻め方は同じ理論に基づいて展開されるはずだ。


 北斗の仕掛けた包囲偽装結界を破るか、解呪するか、それとも。


 それ以降の展開は全て術師の力量次第ということになる。


 単純な霊力格差だけではない、広汎な智識と応用力、柔軟な対処方法の全てが問われるのだ。


 それは修行中に師から提示された課題よりも数段上をいく、凄まじく難解な局面なのであった。


 だが同時にそれを突破することが、呪術師たる自分の運命であり、宿命なのだ。力に溺れ、呪術のみに頼る外法の者には到底達成することのできぬ、精神力が必要な試練。


 失敗の代償は計り知れぬ。もしかすると、帝都全体が二度と復興不可能なまでな霊的被害を受けるかもしれぬのだ。


 圭太郎の八卦符と自分の五行祭壇において、相反する方位系統呪術が発動した時点で偽装結界が力を放つようにはなっている。それで陛下の凶方を封じ、呪殺を無効化し、撃退の時間を稼ぐ。


 そう、偽装結界は最終防衛手段ではないのだ。


 ぐっと拳を握り締め、北斗は瞳を閉じる。


 奴等が攻撃を開始するまで残り、十七分。


 大きく息を吸い、徐々に呼吸を緩慢にしていく。そうすることで気の対流を制御し、己の中の力を高めていく。東洋術師の基本は呼吸法なのだ。


 時刻は、午後十一時四十三分。


 




 近衛師団司令部を背面にした演習場にて、綾瀬は数名の侍たちと向かい合っていた。


 綾瀬の号令のもと、近衛隊の中でも童子斬の能力を有する者を選抜し、皇城防衛の任に就かせたのであった。居並ぶ者らはみな、程度の差こそあれどいずれも童子斬の異能を習得し、駆る者たち。


 総勢六名ほどになるその面子を目の当たりにした綾瀬の胸中は複雑であった。


 何故なら、綾瀬は父親から受け継いだ流儀は全て、口伝による一家のみの伝承と聞いていたからだ。


 しかし考えてみれば、当初の童子斬はそのような秘技ではなかったのだ。北斗の墨曜道と同じく、それは特殊能力ではあれど朝廷と日本国を妖から守護するための役職であったのである。


 時代が下り、呪術技能が次第に軽視されてくるようになり、童子斬の技も徐々に歴史の表舞台から姿を消していく過程において、それを密やかに伝えていく家系が綾瀬の先代であったのだろう。


 だがそれを行っていた家系が他にもあったというわけだ。


 このような非常事態にでもならなければ、決して外に出ることの無い、文字通り秘伝として伝えられる斬妖の技。その事実は、しかし今の状況ではむしろ喜ぶべきであった。


 もしや自分と同じような能力を持つ太刀を持っている輩がいるかも知れぬなどという淡い期待こそ裏切られたが、そのようなことなどどうでもよかった。


 今は一人でも、西洋術師らに立ち向かう異能の者が欲しい。同じく紀靖は皇城内の祭儀を執り行う神祇調術師らをとりまとめ、既に不眠不休の祈祷を上げ続けている。


 並ぶ者らは皆男であったが、年齢は様々であった。無論綾瀬よりも年長者の者も見受けられたが、そこには綾瀬に対する侮蔑の視線はない。腰に佩いた太刀<胡蝶>の能力と、そして同じ道を歩む綾瀬の技量を、口にするでもなく皆が見抜いていたのだ。


「俺も人にモノを教える立場になんざ、立つ人間じゃねえからな」


 警視庁の特戦警として、不可思議な事態だけに選別され対処して来た綾瀬は、しかし対妖戦闘経験においては彼らよりも上であるのは確実だ。


 飄々とした口調は少しも変わる事無く、そして綾瀬は黒天を見上げた。


「とかく偉そうな言葉を期待してる奴には悪いがよ、そんなけったいな演説は出来ねえんだ」


 代わりに、綾瀬は腰の太刀の柄に手をかけ、数ミリ程度のみ刀身を引き出してみせる。見る間に溢れる不可視の、それでいて凄まじい殺気を宿す剱気に、居並ぶ者らは感嘆の声を上げる。そのような剱気を帯びている太刀に対してと、それを使いこなして来た綾瀬の胆力に対して。


「俺の手には、たまたまこいつがあった。コイツがなけりゃ、今ごろ俺だってくたばってたかも知れねえ。だけど俺は一度だって、これでお終いだなんて思ったことはねえ」


 ぱちん、と刃を鞘に収める。


「だから、お前たちもそう考えてくれ。陛下をお守りするために命を投げ出すんじゃねえ。もしこの戦いで死んじまったら、誰がこのあとの陛下をお守りするんだよ?」


 命までをも皇室に捧げ、仕えている者等には、その言葉は新鮮であった。

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