第二十三章第三節<アリスの真意>
吹上御所、通用御門隣において、鎮魂祭が執り行われていた。
案と呼ばれる机の上に、米や酒、魚の干物をはじめとする神饌が並べられ、その前で祝詞が奏上されている。
祭主を務めているのは、無論のこと本居紀靖である。
「掛け巻くも畏き大宮内の神殿に坐す神魂、高御魂、生魂、足魂、玉留魂、大宮能売、御膳津神、辞代主、大直日神等の御前に畏み畏みも白さく」
流れる祝詞が空間に染み渡り、清浄な気を皇城内に満たしていく。
列席をしていない梓はそれを少し離れたところから、腕を組んで眺めていた。
視線に気付いたのか、光照は梓のほうを向くと手を挙げ、にこやかに微笑んだ。
「夜も遅いのに神職の人は大変だねぇ……感心感心」
「何を言うか」
梓はどうも、この男の軽口が好きにはなれなかった。
こういう手合いの男は、全てに当たって全力を賭して臨むということをしないものだ。結果として力が及ばなかったとしても、それは自分にとってたいしたことを意味するものではなく、だから余力を残した。そして運良く問題が解決すれば、それは問題自体が平易なものであったと微笑むだろう。
つまり、失敗することを怖れているのだ。臆病な気質が、その反対の態度を常に示しているのだろう。
「いつ攻め入ってくるとも知れぬときに、高鼾を立てることなどできるわけがなかろう」
「ま、それもそうか」
ぬっと腕を伸ばし、光照は後ろ頭を軽く掻いた。
悪びれる素振りも無く、そして口元に常に浮かべる笑みも絶やさぬ。
あのようなことが無ければ、この手の輩など皇城に入れることすら抵抗があった。
梓と同じく、まだ皇城の外壁沿線を巡る神域結界が完成していなかった頃、祈祷師らが妖の一団に遭遇した。彼らの持つ霊力ではとても太刀打ちができぬと観念したまさにそのとき、現れたのがこの男であったという。
腰の刀を振るう腕、そして懐の短銃の技量も確かながら、それ以外にも男は術を使うという。どこかに仕込んだ竹筒から放たれる「なにか」は、間違いもなく妖らを食い殺し、退散させることができたのだという。
腕が立つことは、認めよう。しかしそれは、この男の短所を隠すほどの美徳にはなりえていない。
少なくとも、私にとっては。
「なあ、春日さん」
名を呼ばれ、梓ははっきりと体が緊張するのを感じた。ぞわりと沸き起こる悪寒を押さえ、梓は一度息をゆっくりと吐いてから返答する。
「なんだ」
「奴サンたち……わざわざ海を渡っておいでになった人たちの狙いって、何だと思う?」
「馬鹿なことを」
梓は光照の問いを一蹴した。
そんなことくらい、問われなくても分かっておけ。
先ほど、お前は紀靖らと沙嶺らの会合に同席していたのではないか。それとも、それは私と言葉を交わしたいだけの口実か。これ以上相手にする気も失せ、半ば背を向けつつ梓は最後の言葉を吐いた。
「陛下を呪い殺し、神国日本を瓦解させることに決まっておろう」
「んー……それはちょっと違うと思うんだけどなぁ……」
ぼりぼりと頭を掻く手を止めず、光照はこきりと首を鳴らしてみせる。
勝手にしろ。
光照から離れるべく歩を踏み出した梓。だが、次の瞬間、その歩みは止まる事になる。
「呪い殺すなら、攻めて来る必要なんて無いじゃないか」
古今東西、呪いは常に人と共にあった。権力者は陰謀と同じくらいに呪いを恐れ、そして自らも呪いに手を染めた。
それほどまでに呪いというものが力を持つと信じられ、そして事実呪いによって命を落すものがあったのは、それが一概に利便性を持っていたからである。
近づくことも、拝顔することもできぬ、それゆえ権力として押さえつけられているものを排除するには、直接に手を下す以上に呪いという呪術が効果を発揮する。また、犯罪としての証拠を残す事無く、自分にとって害を成す存在を消すには、呪いは格好の殺傷手段となる。
呪殺を望み、呪殺を実現させて来た呪術師は、どの時代においても、どの地においても、存在したはずなのだ。
無論、西洋の術師らも呪いは知っていよう。否、彼らこそが呪術の体現者とも言えよう。
ではならば、遠隔地より呪気を送り、陛下の御命を奪おうとしないのだ。
「だろ?」
「む……」
言葉につまり、梓は思考を巡らせる。
陛下の御命を狙っているという事実は間違いようも無い。しかしそれを敢えて実行に移さず、ここを狙っているということは、何かほかに目的があるということだ。
「ボクはね、それに興味があるんだ。興味って言ったら失礼かもしれないけど……でもね、この場所には何かがあるんだよ」
何かがある。その言葉は梓の記憶の中から、あの凄惨な事件を導き出すには充分過ぎた。
吹上御所にて自害した、あの男。
「知ってるのか?」
先ほどとは打って変わった気迫を持って詰め寄ってくる梓に、さすがの光照も引き気味になった。
「知らない、知らないよ……だから興味があるって言ったんじゃないか」
「そうか」
情報の流れはそこで途絶えている。
肩を落とし、梓は祝詞の言葉に神経を集中させる。
「某が身に阿津加倍奈夜米流、夜佐加美阿倍久病をば、献る厳の清酒、いと速やかに伊夜志たまひて、そが生命をば竪酒の竪磐に常盤に守り幸わひたまへて」
何かがある。皇城には、隠された何かが潜んでいるのだ。
それが天皇家が持ち込んできたものなのか、それとも鑟川が隠したものか。
いや、さらに遡る時代の果てにあるものか。
いずれにせよ、この地はただの禁足地ではないということだ。
人の立ち入る事の出来ぬ所以は、地に巡る霊気故。それによって封じられているものとは、何だ。
遠くに聞こえる祝詞が、幕を通して聞いているかのように低く、濁って梓の耳に届いた。
時刻は、夜の十時をゆっくりと過ぎようとしていた。
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