第二十二章第四節<八卦方位陣>

 梓に案内され、沙嶺らは光照を伴って宮内庁庁舎へと向かった。


 蓮池濠と紅葉山とに面したその場所まで行く間にも、慌しく傍らを駆け抜ける者らの姿があった。


 そうでなくとも、空気には微細な電流に似た緊迫感が宿っていた。同じ空気の中にいれば、何処となく落ち着かぬ焦燥感がじわりと心に染みてくる様子がよくわかる。


 会議室自体は、何処にでもあるような無機質な建物であった。非常時であるせいか、テーブルの上にはランプが等間隔にいくつか置いてあるだけである。外界の闇と相俟って、息が詰まるほどの閉塞感を感じたのか、梓は窓を開けた。


「お前たちは……あれから、どうしたのだ?」


 唐突に質問をされ、返答に戸惑う。


 だが、あれからという言葉が、桜田門で梓と最後に会話をしたことなのだと最初に思い当るより早く、梓は窓の桟に肘をついたまま、独言のように呟く。


「お前たちが姿を消してから……少しして、帝都は一変したのだ……」


「あ、てめえ、もしかしてそれが俺たちの所為だって思ってんじゃねえだろうな!?」


 綾瀬が何処までが本気なのか、少し動揺のこもった声で聞き返す。そのとき、窓の外からざぁっと樹々の葉擦れの音と共に涼風が吹き込んでくる。


「そんな馬鹿なことを考えるとでも思ったか?」


 風に髪が舞うのを任せ、気だるげな表情を浮かべる梓。その横顔に、男装をしていても決して男には宿せぬであろう、線の細い表情が垣間見える。


「ただな、時間が不自然なほどに符合しているのだ。お前たちの所為ではないとしても、無関係ではなかろう?」


「やれやれ」


 頭をぼりぼりと掻きながら、綾瀬は手近な椅子に腰を下ろした。


「大した読みだ……当たりだよ」


「天沼八幡に行ってたんだ」


 宝慈に促され、ゆっくりと座りながら沙嶺が説明をした。


「梓が言っていた、西の結界……帝都が変わったのは、西の結界が破られた影響だそうだ」


「向こうを出たのも、夜が明けてだからなあ」


 まだ痛むのか、ゆっくりと指を握り締めながら宝慈が付け加える。その言葉を聞き逃す事無く、梓は反応した。


「そんな筈はない……杉並からここまで、一体どれだけ離れていると思っているのだ!?」


「それが、少し訳ありでして」


 北斗が理由を説明しようとするのと同時に、背後で会議室の扉が開く。


 姿をあらわしたのは、紀靖と数人の浄衣を纏った男たちであった。






「単刀直入に聞こう」


 紀靖は席についた面々を見渡すと、重々しく口を開いた。


「君らはそれぞれの技量を生かし、帝都を守らんとするも、既にこのような状態になってしまっている」


 痛いところを突かれ、雅が俯く。


「そもそも、帝都を破壊せんとしているのが……西洋から日本に来た、魔術師等だというのだな」


「はい」


 明瞭かつ簡潔に、北斗が認める。


「我等は既に杉並にある天沼八幡で、彼らを魔術戦を展開しております……彼らの目的までは分かりませんが、その事実に相違ありません」


「ふむ」


 紀靖は言葉を切り、そして考えを巡らせる。


「この街……鑟川に仕えた天海上人による結界のうち、三つまでが破壊されていることは、調べが終わっています。そして、皇城に施された見立ての方位術のことも」


 北斗の言葉に、紀靖の表情が硬くなった。


 日本の呪術には、固有の形式というものはほとんど存在しない。いや、多くの技術をそれぞれに加工したものを使っているといってもいい。墨曜道を学んだ北斗が、曼華経僧であるはずの天海の術を見破ることができたのも、その所為であった。


「そうか」


 胸の中に溜めていた息をゆっくりと吐き出し、紀靖は北斗をまじまじと見た。


「ではどうすればいい? お前の考えを聞かせてくれ」


 紀靖の言葉に、その場に居合わせる全員の視線が北斗ただ一人に集められる。その無言のプレッシャーを、北斗は咳払い一つで払いのけると、テーブルの上に伸ばした両手の指を組み、そして背筋を伸ばす。


「東の青龍、南の朱雀、西の白虎……それらが破壊されているという事実はあれど、同時に西洋術師らが四神相応の概念を知らねばできぬこと」


 紀靖と、側に控える男たちの顔を一人一人、ゆっくりと観察しつつ。


「つまり、どのような経緯かは存じませんが、東洋の魔術思想を知る者が、相手の陣中にも存在するということです。それは同時に、皇城に霊的な攻撃を仕掛ける際にも、こちらの手の内は多かれ少なかれ知られているということ」


 つまり、どのような流派の呪術であっても、共通点がある以上はこちらの望む効果を全て期待することが難しいのだ。


「策はあるのか」


「あります」


 淀みなく、北斗は頷いた。


「かつて、家康は瑿鬥(えど)城の方位を無視して、南の方角に虎ノ門を築かせたと言います。天海はそれを利用し、四神相応が完成するまでの間、実測上の方位とは異なった配置の方位を重ねていたとされている」


 虎ノ門と千鳥が縁がその名残であることは、北斗から伝え聞いている。


「その呪術を利用し、実測とは異なった方位を見立てるのです」


「どのようにしてだ」


 既に虎ノ門は名前しか残らず、千鳥が縁は度重なる改築のために朱雀となるだけの規模を持ってはいない。何をするにしても、今の時点からでは遅すぎるのではないか。


 そう頷き、顔を見合わせる男たちの前に、圭太郎は何かを出して見せた。


 縦長の紙片、呪符の類のそれを、圭太郎は軽く投じる。


 男の一人がそれを受け取り、数枚重ねられたそれにゆっくりと目を通す。


「これは……八卦符?」


 八卦とは、密教占星術において見られる概念である。


 中央に中宮を配し、その周囲に八つの宮を置いた天盤と呼ばれる図式を使い、占術を行うのであるが、そのそれぞれの八つの宮は東西南北をさらに二つずつに分割した、八方位に喩えられることが多いのだ。


「東西南北を、それぞれ兌宮、震宮、坎宮、離宮に見立て、八卦符を用いることで方位をずらし、二重に設定します。西洋の術師らがよほどの方位修正系統の術を用いない限りは、それによって霊的な弱点を無効化し、呪詛邪念による遠隔呪殺から、陛下を御守りすることができるでしょう」


 それらは、舞の呼んだ光輪車の中で、北斗から聞かされていた内容であった。


 無闇に呪術を重ね、同一箇所に幾重にも結界を張るようなことがあれば、霊的防禦を高める前に、濃くなった呪が変質を起こし、本来とは全く別の働きをすることも十分に考えられる。


 呪術の力だけに魅せられ、本質を理解しない素人が陥る霊的災害は、まさにこれである。


「これを貼る際に、一つだけ、教えていただきたいことがございます」


「……申してみよ」


「陛下のお生まれになった月日から、暦を読み、封じる方位を決定します。それによって、皇城全域を、見立ての方位の支配下に置くことができましょう」





 そのとき、会議室に一際強い風が吹き込んできた。がたがたと窓枠が鳴り、部屋の空気を乱す風には、やはり微かな血の臭いがあった。


「よかろう」


 紀靖は短く首肯した。


「光照殿の頼みとはいえ、満足に策の一つも無いようならば即刻追い出そうと思っていたのだが……」


 この年老いた術師は、北斗の技量を認めたということか。


「何かあれば遠慮なく言うがいいぞ、北斗」


 北斗の肩に手を置くと、紀靖はゆっくりとした足取りで、部屋をあとにした。

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