第二十二章第一節<呪の刻>

 洋館の一室に、およそ似つかわしくないと思われる香が漂っていた。


 締め切った部屋の中、壇を誂えてその前に坐した誠十朗は白檀の香をふんだんに含ませた道士服を纏い、そして神妙な面持ちで壇に合掌する。


「以日洗身、以月煉形、仙人扶起、玉女随行」


 己の精神を浄化する為の道呪を呟きながら、誠十朗は細い瞳から放たれる鋭い視線を一枚の写真へと注ぐ。


 それは明璽天皇の肖像であった。髭を生やし、西洋刀を佩いた姿のそれを見つめつつ、誠十朗の全身から沸き起こる気配がみるみる濃く、そして禍々しきものへと変じていく。


 凄まじき邪の念。もしそうした念の力を見ることが出来るものがその場にいたならば、誠十朗から立ち上った紫の煙が写真を幾重にも絡め取っている様が見えたことだろう。


「二十八宿、与吾合形、千邪万穢、逐水而清」


 許さぬ。


 俺はこの国を許さぬ。その頂点に座す天皇を許さぬ。


 弱きものを虐げた上に建てた国が、どれほどの価値を持つものか。


 俺たちの苦悩と絶望を、人々はいつか忘れる。


 ならば俺たちは何のためにもがいたのか。


 生きようとする意志を支え、共に歩く道はないのか。


 多くは望まぬ。ただ、俺たちのような存在を認めぬ天皇と政府に、俺は一矢を報いる。


 あの時、俺の腕の中で息絶えた妹の温もりは、いまだ忘れぬ。


 病魔に冒され、落ち窪んだ眼窩で最期まで俺を見つめていた、あの瞳を忘れぬ。


「五曜玄明、青龍白虎、隊仗紛紜、朱雀玄武、侍衛身形、急急如律令」


 詠唱を終えると、誠十朗はやおら懐に携えていた小刀を取り出すと、左の掌に刃を当て、引いた。


 鋭い刃は容易に皮膚と肉を裂き、鮮烈な痛みが神経を駆け巡る。


 じわりと滲んでくる血を刀ごと握りこむと、誠十朗はその血染めの刀を振りかざし、壇上の写真を唐竹割に両断する。


「我に、汝の生を受けし時を教えよ。汝の星と気を縛る宿の力を、我に知らしめよ」


 刀を手元に引き寄せると、それを横に掲げ、刀身を見つめる。


 そこには無数に文字が刻まれていたが、その中のいくつかの窪みに血が淀んでいた。それを素早く読み取り、誠十朗は血の穢れを持つ小刀をぐらぐらと煮立った湯の中に突き入れる。


「奴の生まれは己巳つちのとみ……ならば凶方は何処か?」


 湯の中で血は紅の霧のようにぱっと散り、そして二つの方角へと吸い寄せられるように散り、泡の中へと消えていく。


 一つは北東、一つは南西。


 奇しくもその方角は鬼門と裏鬼門である。


 明璽天皇の生まれの十干十二支から判断したところ、その星の凶方の本命的殺は北東の鬼門、そして指神の方角は南西の裏鬼門。


 それを知った誠十朗の唇がにぃ、とめくれた。


 明日、九月十九日の日暦は己酉。同じ土の五行を持つ日であれば、弱点を突くのは容易い。


「今こそ、明璽政府は血の泥濘を浴びるがいい……」


 ぐっと握り締める拳の指の間から、裂傷から溢れる血がぬるりと染み出て床に滴る。


「皇城呪殺の刻は、九月十九日午前零時だ……」

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