間章ⅩⅨ<神祇調>
沙嶺が目白不動に向かい、また残りの者が天沼八幡へと急ぐ夜。
桜田門にて彼等と会合を終えた梓が寝所へと赴こうとしたまさにそのとき、彼女の元へと連絡があった。
旧西の丸に近い神殿に、天皇守護の神祇調を束ねる地位にある本居紀靖という人物に呼び出されたのだ。
既に日は変わっている。早くしなければ翌日の務めにも障りがあるだろう。
不承不承赴いた梓を御神前で待ち受けていたのは、衣冠に身を包んだ老齢の紀靖であった。頭を垂れる梓に、紀靖は何の前触れも無く、いきなり一つの問いを差し向けた。
今宵、お前は何をしていた。
梓は咄嗟に、沙嶺をはじめとする者たちと会っていたことを見透かされたのではないかという考えを思い浮かばせる。しかし、そこには何等後ろめたいことはない。
「舶来の術を使う者らに抗わんとしている者らと、話をしておりました」
淀みのない返答と、一歩も引かぬその眼差しを、坐したままの紀靖はじっと見つめ、それから長く息を吐いた。梓の態度から、彼女自身が何か心に隠しているものが何もないことを悟ったのだ。
「宮中で起きたあの斬殺事件は、お前も覚えているだろう」
「はい」
答えつつ、梓は酸鼻を極めた事件現場をその目で見たときの衝撃を思い起こさずにはいられなかった。
犯人は自害したとされているが、詳細は不明。警備の任に当たっていた者らのうち、その狂態に恐れを成して逃げ遂せた者を除く全員が、凄まじいまでの太刀筋によってほぼ一撃のうちに殺害されていたのだ。
「陛下がこちらにおわせられるようになってからまだ日も浅いというのに……」
苦悩に満ちた顔に、夜の陰影が刻み込まれる。
「我等は、何としても陛下を御守りせねばならぬ」
「はい」
紀靖の言葉を支えるように、梓は首を縦に振る。
こみ上げる疑問。つい先刻、北斗から聞いた問いかけが激しく胸のうちで渦を巻く。
ここには何があるのだ。
私のような者にすら伝えられぬ、天皇家の秘中の秘があるのではないか。あの男が倒れていた、禁足地である吹上御所に。
「本居様」
膝をつき、梓は逆に言葉を発する。
「憚りながら申し上げます。あの斬殺事件を起こした軍人の男……あれが向かった先には、何かございますのでしょうか」
「ただの庭だ」
紀靖は目を閉じ、短く呟いた。
「己のしでかしたことに気付き、誰の目にもつかぬ場所で自害したのだろうな」
「そうでしょうか」
なおも引き下がらぬ梓に、紀靖ははじめて鋭い視線を向ける。
「どういうことだ」
「
つまり、この地に鑟川の、さらにいうならば天海の結界を残しておく必要があったということではないのか。それこそが、今回の斬殺事件に深く関係するものなのではないか。
男が倒れていたとされる、あの吹上御所に。
それまでじっと梓を見つめていた紀靖の顔が、ふっと緩む。
「今日会っていた者らに、何かを言われたのだな」
紀靖は膝に手をつき、そして老体を起こした。
「陛下を御守りする我等に迷いは許されぬ……それとも、私が信じられぬか」
「まさか、そのような」
顔を伏せ、梓は短く唇を噛んだ。
明らかに、話の展開を逸らしている。私の問いに、紀靖は何も答えてはいない。
「引き止めて悪かった。今日はもう休め」
そのままの姿勢の梓を残し、紀靖は板張りの床を軋ませつつ、御神前をあとにした。
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