第十九章第二節<生きる力>

 綾瀬が離脱したあとも、残された三人と三匹の妖狐は疾走を続ける。


 いまや八幡は目前に迫っていた。霊域を破壊しようとしている、西洋術らの気配はいまやひしひしと伝わってきている。霊能力の無い雅ですらも、向かう先に異常なほどの胸騒ぎと凶兆を予感として感じ取っているほどであった。


 妖力と霊力とが、激しく交錯し、激突している。


 急がなければ。


「今の状況はわかりますか」


 北斗が如何に手練れの墨曜術師であろうが、所詮は人。妖同士の妖力による結合からの共鳴に勝るほどの知覚はない。


「結界を張れる力のある者たちで八幡を守り、残りの者で外法の術に対抗をしておりますが……」


「いいでしょう」


 北斗はちらりと宝慈を見ると、意を決したかのように頷いた。


「我々が、墨曜咒と曼華経で結界を強化します。攻撃が出来る者は、精一杯の反撃を行ってください」


「御意」


 狐が頷くと共に、宝慈の腕の中の狐も前肢を伸ばし、するりと宙空に飛び出した。


「もう、いいんか」


 宝慈の問いに感謝の意を示すように頭を下げると、北斗の言葉を他の妖に伝えるべく三匹の狐は黄金色の帯となって、三人を遥かに凌ぐ速度で前方へと消えていった。


「ねえ」


 裾をはためかせながら駆ける雅は、宝慈に並ぶ形で問いをかけた。


「あたしたち……勝てるの?」


「はははっ」


 宝慈は呑気に笑いつつ、つるりとした頭を撫でる。


「そんなことが分かってんのは、おおかた仏様くらいのモンだろうなあ」


「もう!」


 からかわれた事に腹を立て、雅が鼻息を荒くする。


「すまんすまん」


 悪びれる素振りも見せずに宝慈は謝ると、言葉を続けた。


「だがなあ、そんなことを考えて、毎日を送ってるわけじゃあないだろうに」


「……どういうこと?」


 宝慈の躰がぐっと沈んだ。錫を持ったまま、大の大人が数名手を伸ばしてやっと抱え込めるほどの岩を足場にして、さらに跳躍する。


「じゃあ、勝てぬなら、戦わんかあ?」


 逆に問われ、雅は言葉につまった。


 そういう意味で言ったんじゃない。私が頼りになるのは、帯に挟んである短銃だけ。だからこそ、何より不安は募り、心を締め上げる。


「自分の力が完全だって思ってる者などおらんのさ。いるならそれは驕りなだけだ。たかが数年十数年程度で極められる道なら、誰も生涯を掛けて学ぼうとはせんだろうなあ」


「着きますよ、二人とも」


 真っ直ぐに前を見据えていた北斗が、口を挟んだ。


 夜闇の中にも黒々と、こんもりと生い茂る森が見えてくる。


 あれが、天沼八幡。西の結界の要石。


「技を磨き、方術を鍛えても、己に降りかかる試練は絶対に越えられん。だからこそ、その差を埋めるために俺は生きるための力があると思うんだがなァ」


「……うん」


 宝慈は、雅の胸中を的確に見抜いていたのだ。ただ口先の言葉に憤慨し、臍を曲げていた自分がたまらなく恥ずかしくなり、雅はふと気を逸らした。


 目を上に向け、礼の言葉を述べようとしたのだ。


 ありがと、と。


 だがその言葉の代わりに雅の唇を割って放たれたのは、驚愕の悲鳴。それまで速度を殺す事無く疾走していた雅の躰が、ぐいと地表方面にひきつけられた。


「雅!?」


 悲鳴は見る間に背後へと消えていく。


 北斗も素早く振り返るが、既に目で見える範囲を越えてしまっている。


 妨害か。舌を打つが、戻って助ける暇はない。


「仕方がありません……宝慈、私たちは予定通り、結界に力を添えましょう」


 逡巡に、宝慈の返答が遅れる。


「宝慈」


 迷っている時間はない。


「先程の話の通りですよ……今は、雅の持つ、生きる力を信じるしか道はありません」


 いつもは柔和な顔を、苦虫を潰したような渋面に変え、宝慈は黙ったまま首肯した。


 




 速度を完全に相殺された雅は、そのまま草むらの中にもんどりうって倒れた。


 あの速さで体勢を崩せば、良くて打撲、悪くて骨を折るくらいの衝撃が躰を襲うことくらいは分かっていた。しかし何処までも転がり続けるかと思った躰は、地面に叩きつけられた時点で動きを止めていた。


「ぐ……」


 素早く呼吸を整え、そして気付く。


 自分の右の足首に、銀色をした紐状のものが巻きついているではないか。


 蛇に似ているが、生き物ではない。その正体を確かめようと身を起こす雅に、凄まじい霊力が叩きつけられる。


 はっと我に返った雅は、帯から短銃を引き抜き、草の陰に消えていく銀色の紐に狙いを定め、引き金を引いた。


 銃弾は見事に紐に命中し、足を解放することに成功する。


 だがこれは何なのだ。まだ足に巻き付いているものは見る間に形状を失ってどろりと不気味な水溜りを作ったかと思うと、まるで生き物のように草の向こうへと這いずりながら去っていく。


 不意を討ち、自分を離反させた何かはまだすぐ近くにいる。雅はがばりと躰を起こし、気配の方向に銃を突きつけた。


「死んではいないようだね」


 そこにいたのは、大陸の衣装のような奇妙な形をした白く長い服を着た、一人の西洋人だった。驚くべきことに、言葉は雅にもすんなりと理解できた。


「あなた、誰」


 短く刈った髪を後ろに撫で、生来の細目のためにその風貌な狐を連想させた。


「我は錬金と賢者の技を修めし者、レオ・バッシェッカー……麗しき姫よ、銃を捨てるなら命は助けよう」


「天沼八幡を壊そうとしてるやつらの一人ね!?」


 雅は警告を無視し、引き金に指をかけたままぐいと銃口をさらに向ける。


 こうして西洋術師に対面したのは、今回が初めてだ。ともすれば萎縮してしまいそうになる精神を奮い起こし、雅は地を踏みしめる。


 もう、あの時のようなへまはしない。


 もう、足手纏いになんかならない。


「あなたたちは何をしようとしてるの!? 一体何が目的なの!!」


「警告は無視された」


 レオはするりと腕をまくる。


 右腕に嵌められた腕輪から水銀色をした液体が手の甲を伝い、中指に絡み、さらに伸びる。見る間に中指の延長線上に、肘までの長さの細い針のような武具を生成し、変化は止まった。


「残念だ、美しき姫よ」


 その言葉が終わらぬうちに、雅は引き金を引いた。


 銃声と共に、レオの眉間にはぼこりと不吉な穴が生まれる。驚きの表情のままに硬直し立ち尽くすレオに、雅が刹那緊張を解いた瞬間。


 目の前で、額を打ち抜かれたレオの躰がずるりと溶け、水銀色の液体の塊となって四散する。


 はっとなる雅の背後で、巨大な針状の武器を構えるレオが右腕をぐいと引いた。


 狙いは雅の後頭部。正面のものは、レオの操る水銀によって出来た鏡だったのだ。周囲が暗いためと戦闘の際の極度の緊張と高揚のため、それが見破れなかったのだ。


 つまり、雅は鏡に反射したレオに銃を向け、そして反射した殺気に反応してしまったのだ。


「……残念だ」


 繰り出される右腕。もうすぐもたらされる、身を襲う激痛と致死の攻撃。


 ぐっと目をつぶる雅の脳裏に、宝慈の言葉が思い出される。


『技を磨き、方術を鍛えても、己に降りかかる試練は絶対に越えられん。だからこそ、その差を埋めるために俺は生きるための力があると思うんだがなァ』


 生きる力。試練を越える力。


 まだここでは死ねないのだ。


 雅は沸き起こる恐怖を渾身の力で払いのけ、銃を握る腕を振り上げて背後のレオに殴りかかった。

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