第十七章第二節<神器の護り>
北斗の言葉は、まさに予想外の一言に尽きた。
青天の霹靂とでも言うべきだろうか。出し抜けに彼の口から放たれた言葉は、梓のみならず沙嶺や宝慈、綾瀬、雅の胸中さえも確かに揺るがした。
きつと梓の表情を見据える北斗を除き、その場で精神を平静に保てた者などいはしなかっただろう。皇城の中に、何かが隠されていることは事実なのか、それとも北斗の推測の域を出ないものなのか。
「ねえ、それって本当なの?」
北斗のスーツの裾を引き、微かに蒼褪めた雅が恐る恐る尋ねる。それでもなお梓の反応をつぶさに観察しようとしていた北斗は、それから半分ほど遅れて雅に顔を向けた。
彼女への答えを期待していた一同ではあったが、北斗は予想に反して何も語らず、不安げに揺れる雅の瞳の上、柔らかな髪の上に手を置いただけであった。
「本当なのか」
続いて沙嶺が静かに問う。そこでやっと、北斗は息を吸い、唇に僅かな笑みを湛えて梓に向き直った。
「維新を経て、この地は将軍の要から皇族の拠点へとその性質を変えました。しかし、あなたたち天皇陛下をお護りする呪術師の方が、皇城を囲む将軍家を護るはずの結界を解かず、さらにその上に呪を重ねるという行為をしているということは、おかしいのではないですか?」
元々、家康と家光に箴言をしてこの地に寺社結界を敷いたのは曼華経僧の天海。その思惑は無論のこと、将軍家の守護と繁栄を期待しての呪術。
主人が摩り替わってもなお、力が発揮できるほどの汎用性は、呪術にはない。
「民衆の目を考えてみるがいい。陛下が東に入国なされたことに合わせ、寺を破壊してしまっては怪しむなと言う方が無理であろうが」
「成る程」
梓の意見に、北斗は満足げに頷いた。しかしその顔は、梓の言葉ですら予想していた範疇であるということを自分自身で再確認している様子である。
「天海僧正の施した結界の存在は、私たちも知らぬはずはない。我々には、我々のやり方というものがあるのだ」
「そのやり方とおっしゃるのが……三種の神器、ですか」
北斗の言葉は、容赦なく梓の躰を打ち据える。今の一言で梓が奥歯を軋らせるように、顔を歪めたのが何よりの証拠。
「天皇陛下は東に赴かれるときにも、用意を怠らなかったのでしょう。明璽二年三月七日、京都を出発した一行は直接、この地を踏むなどという愚行は犯さなかった。天智天皇陵、伊勢神宮、そして熱田神宮を参拝した上で、お生まれ日の干支と同じ二十八日に、東享へと入っていますよね」
伊勢神宮には八咫鏡、伊勢神宮には草薙剱という神器が伝わっている。
加えて天智天皇はその死に際し、道教における尸解伝説が残されている。
尸解とは文字通り屍を解くことを意味する。死に際した道師はあらかじめ神仙の世界に真胎と呼ばれる魂魄を移す。そしてそれが完了することを見計らい、こちらの世界では死んだように見せかけるのだ。
天智天皇は山科の里まで馬で赴いたが待てど暮らせど帰らず、無事を案じた者たちが捜索したところ、沓だけが見つけられたということである。これにより、天智天皇の尸解を三種の神器を降臨させた邇邇芸神に見立て、その神威を増すための儀式であろう。
「そして残る一つ、八咫瓊瓊勾は陛下ご自身が持っておられるでしょう。天皇陛下はつまり、三種の神器全ての力をお召しになり、さらにそれを強めた形でこの地に来られたということになる。干支を合わせるという、墨曜道のやり方まで用いて」
それは日本における、考え得る限りにおいて最高の霊的防衛手段だということ。
「そうまでしてこの地に来なければならぬ理由などないでしょう。ましてあるのだとすれば……この場所にある何かを、護らなければならないという理由」
「私は知らん」
北斗の説に対し、梓は何とも素っ気のない答えを返した。
「あるのかも知れぬが、無いのかも知れん。どちらにせよ、私自身にまでは、そのような話は伝えられてはおらん」
「……そうですか」
いささか気の抜けた声で、北斗は応える。
「それよりも、聞きたいことがあったのではないのか」
「おうおうおう」
宝慈が思いついたように声を上げる。
「西の結界が漉し紙ってことはあ、やっぱり護りがあるってえことだよな?」
「無論」
梓は、今度ははっきりと頷いた。
「急ぐことだ。東の青龍を断たれ、舶来の舟から漏れる邪気が南の朱雀を封じている。ここを失えば、残る四神は北方玄武のみとなろう」
かつ、と靴を合わせ、梓は一向に背を向ける。彼女が歩き始めるか否かというとき、背後から綾瀬が呼び止めた。
「あんたの力を貸してもらうってことは、できねえのか?」
「私の職務は、陛下を御守りすることだけ」
やや俯けたまま、梓は言葉を続けた。
「西洋の術師は私も目をつけているところだ。先日も術をかけたが、破り返されてしまっている」
ぐっと袖をまくると、肘までに白い包帯が巻かれていた。
「急いでくれ」
短く伝えると、梓は静かに闇の中へと歩み去った。
結界の存在は確認できた。だが、その所在だけは分からぬまま。
誰とも無く深く溜め息をつこうとした、そのとき。
それまでじっとしたまま北斗の話を聞いていた沙嶺が、やおら顔を上げた。
唇を薄く開き、何かに耳を澄ませるように天を仰ぐ。
「どうしましたか」
北斗の問いすらも、まるで雑音であるかのように眉根に皺を寄せ、なおも見えぬ何かを探る。
そして。
「西の結界は、頼まれてくれないか」
「沙嶺?」
唐突な言葉に、宝慈が目を丸くする。その姿勢を続けていた沙嶺が、唇を歪める。
「圭太郎が危ない……俺はそっちに行く」
「分かんのかよ!?」
狼狽する綾瀬を尻目に北斗も気配を探ろうとするが、彼の精神に触れるものは何も無い。同じ曼華経僧にしか分からぬかとも思えたが、連れの宝慈ですらも掴めぬらしい。感じ取っているのが沙嶺だけである以上、自分たちは足手纏いになる可能性が高い。
「本当なのですね」
「嘘をついてもどうにもならない」
「おっしゃる通りです」
北斗は頷く。
「じゃあな」
沙嶺は意を決すると、力強く道を蹴り、疾走を始めた。
広い大通りからすぐに脇道へと逸れるが、走る速度は変わらぬ。
居場所の見当はついている。
ひょうひょうと夜風が顔を打ち、髪を煽る。踏み出す足がさらに強く蹴り上げ、筋肉が軋みを上げる。
いつしか沙嶺は人とは思えぬほどの速度で、夜の帝都を駆け抜けていた。
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