第十七章第一節<護衛>

 帝都の何を護るのか。


 そう問われた沙嶺の頭は、一瞬で混迷を極めた。


 これまで、東享を破壊せんとする呪術的妨害に対し、沙嶺は懸命に活動を続けていた。寺の聖域を乱され、人を殺め、そして東享を破滅させんとする海の向こうの呪術師たち。


 彼等の目論見を知らぬままに、今まで戦ってきたのだが。


 それではその先に何があるのか。戦っている目的は一体。


 分からない。考えた事もなかった。


 高野の大僧正の命を受け、この帝都に宝慈と共に足を踏み入れた沙嶺を、まるで待ち構えていたかのように繰り広げられている、呪術合戦。


 それは、およそ文明開化と維新に騒ぐ帝都には、似つかわしくないもののように見えた。


 瓦斯と、電灯と、そして舶来の品々に溢れた街路は、もう魑魅魍魎の跋扈する江戸の夜という衣を脱ぎ捨てていた。最早この町には、そうした不可思議な存在は見られないと、誰もが思っていたのだ。


 しかし今、俺は確かにこの場所にいる。俺の結ぶ印は力を生み、紡ぐ真言は確かに呪力を渦巻かせる。明王、菩薩、如来の力は、間違いようもなく顕現を生じせしめる。時代に忘れられた曼華経僧が、同じく時代の闇に隠蔽された遥か過去の呪術師たちの結界を巡り、呪力を競う。


 そしてその戦いは、決して数多くの人々の知るところにはならぬのだ。


 もともと、見返りを期待してのことではない。


 では何のために。


 問いは螺旋の如くに、幾度も沙嶺に降りかかる。


 何故。


 何を護るのか。何のために戦うのか。





「この都はまだ、滅びの刻を迎えてはいないからですよ」


 沙嶺の横で、北斗が口を開いた。


「その言葉を口にした為政者は古今東西に数多いと聞くが?」


「この都は、そこらの都市とは違う……それは貴女が一番よくおわかりのはずですが?」


 北斗の言葉に、梓の眉がぴくりと動く。


「お前は?」


「土御門の秘術を学んでおります、鳴山北斗と申します」


 梓の瞳が一度驚きに見開かれ、そして何かを納得したかのように大きく息を吐く。


「そうか……天社神道禁止令をもってしても、土御門の力を削ぐ事は出来ぬか」


 北斗は目を伏せ、しかし確かに頷いた。


「いいえ、そうとは限りません。土御門は名を変え、そして確実に力を弱められました……しかし、その秘伝の術を失わぬよう、最低限にしか伝授を行わぬようになった、そういうわけです」


「お前は、私の氏素性を知っていてなお、それを話すか」


 梓の口から出た言葉に、その場にいた全員が北斗に視線を向ける。


 まさか、北斗はこの女性を知っていたというのか。


 いや、そんな筈はない。最初の対応から見ても、確かに二人は初対面のはずだ。


「北斗、てめえあいつを」


「お会いしたのは初めてです、しかし」


 綾瀬の質問に、北斗は梓から視線を離さずに答える。


「貴女の気には、心当たりがありますね……さしずめ皇城を守護する神祇調師、と言ったところでしょうか?」


 神祇調、という言葉に沙嶺、法慈は息を飲む。


 墨曜道や曼華経が大陸から伝来した呪術であるならば、神祇調はまさにこの日本国において育まれた呪術であるからだ。新国家建設の為、そして天皇を現人神とするために政府は国内の宗教を他ならぬ国家神祇調に統一し、そして天社神道禁止令によってそれまでの墨曜道を激しく制限したのである。


 まさしく、国家と土御門はそうした見解において、全く逆の立場となる。呉越同舟のこの場において、しかし不思議なことに緊迫した空気は少しもなかった。


 そして、天皇の居留地である場を霊的に守護するには、神祇調はまさにうってつけの呪術であるとも言えた。


「ただ、皇城全体を守護しているものは神祇調のものとは多少異なっているようです……あなたたちは黒衣の宰相、天海僧正の作り上げた結界を越える邪気を祓っているだけでしょう?」


 ややあって、梓は北斗の顔をまじまじと見つめながら、頷いた。


「それを、何処で知った」


「墨曜道を学んでいる者なら、いつかは辿り着くでしょう。方位占術であれば、こちらに一日の長がありましょうし」


 北斗の言葉が、ゆっくりと夜闇に消える。


 いつしか、梓は北斗の様子をじっと伺うようになっていた。


 話し掛ければ答える。問われれば応える。


 しかし、自分から何かを切り出そうということは決してない。


 二人の会話の様子を、周囲の者たちはじっと見守っていた。


 その立場の変容が、何をきっかけとしているものなのか。


 あるいはそれは思い違いかも知れぬ。そう、雅が考えたときであった。


「あなたたちが復活させた、神祇官制度は……表向きには国家神祇調の体制固めとされているでしょうが、それだけではありませんね?」


 一八六九年、古代国家における中心的役割を担っていた神祇官制度は約千年ぶりに公式に認められることとなった。そして翌年には大教宣布の詔が出されるなど、明治新政府は国内の宗教観統一の為の政策を精力的に打ち出している。


 だが、北斗はそれを思想統一の為だけではないと、考えているのだ。


「周囲を天海の施した結界で守り、さらに懐の中には神祇調の呪術を巡らせ……しかし、それだけではない」


「何が言いたい、墨曜師」


 梓の冷徹な語気による拒絶をものともせず、北斗は眼鏡を指で直しつつも止めとも思える一言を口にした。


「皇城の中枢に、何を隠しているのですか?」

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