第十六章第二節<西の結界>

 圭太郎が失踪してから二日。


 北斗の調査も思うように成果が上がらず、彼等の西の守護探索は完全に行き詰まっていた。


 そもそも、西の守護を探すということの時点で、大きな矛盾点を背負ってしまっていた。


 四神相応の見地から見ると、西を司る聖獣は白虎。しかし、白虎に象徴される地形は街道であり、一般にこれは東海道であると知られている。


 道がすなわち、聖獣の象徴。だがそれでは、聖獣は見出せても守護とはならぬ。現実の機能と同じく、道というものは何かを通過、伝達させる役割をもつのは霊的なものでも同様だ。


 つまり、何かを呼び込むことにはなっても帝都東享を守るということは程遠いものとなってしまうのである。




 では、西には何も無いのか。


 いや、南方の瑿鬥えど湊であった東享湾に象徴される朱雀と並び、西の白虎が存在することは確かである。ただ、それが守護を担わされている立場のものではないのだろうか。


 事実、東の青龍の役割は、風水としての青龍の役割を大きく越え、また弁才天の霊力をも取り込んだ城塞結界を形作っていたではないか。河川に端を発する霊気を熊野神社の祭神の力を利用して拡散を防ぎ、そして水路を辿ることで瑿鬥城の濠へと繋ぐ。


 今度の護りも、既存の目で見ていたのでは解けぬ謎が隠されてはしないだろうか。


 ただ、北斗の調べでは、東享には西の区域にも熊野神社が数多く点在しているという事実が見えてきている。修験道や補陀落ふだらく信仰、鉱脈を探知する験者間のネットワーク、そして鉄鋼加工技術といった特殊な側面を多く併せ持つ熊野信仰が、その名を冠するだけでその中身は世俗化した端末、とだけ見るのは容易い。


 だが、それだけではないはずだ。


 熊野は現実に青龍の結界にも役割を担っていたのだ。今回の熊野神社の密集ということについても、何か理由があるからなのではないだろうか。




 その夜、沙嶺の提案で彼等は再び夜の皇城へと赴いていた。


 目的は、春日梓。あの日、家康の時代には鬼門であったために封印されていた霊気の残滓を宿す桜田門から姿を現した、正体不明の女術師を求めての行動であった。


 その場所、その時刻に現れるという保証は無い。しかしこのまま手をこまねいていては、確実に西洋術師らに先を越されることとなるのだ。


 さらに北斗の調べによって、現在の皇城には防禦を目的とした呪術が施されていないことが明らかになっている。


 そもそも、寺社配列による霊気と咒が絡むことを怖れての解呪であったのだが、それが破壊されることで天海の呪術戦略は裏目に出てしまっていた。


 それ以外の霊的防御機構は、いまだ正体が掴めぬ。黒衣の宰相という異名を持ち、怪僧と恐れられるまでに呪力を高めていた稀代の高僧が、たかが一つの呪術結界を完成させただけで自分の構成した結界を解くとは考えられぬ。


 天海の持つ呪術の全貌が見えていたならば、このような苦労はせずとも済んだことだろう。しかし、彼等の手には、それはないのだ。


「春日、梓」


 伝え聞いた名を、北斗はゆっくりと反芻した。


「確かに、彼女は術師なのですね」


「俺たちとは、かなり違う気を持っていたけれどね」


 この中で、梓を知る者は沙嶺ただ一人。圭太郎無き今、光を知らぬ沙嶺の気を読む能力は、かなりの信憑性を持つ情報といえた。


「そいつなら、西の守護が分かるって保証はないんだろ?」


「だけど、今はこうするしかないって言ったじゃない」


 全てに確証が得られぬままに動く現状に、ぼやく綾瀬を雅が嗜める。


「待つってことは、自分を相手に合わせることだからなあ」


 宝慈が腕組みをしながら、二人のやりとりをじっと見つめている。


「こちらに充分な心のゆとりがなければできぬことよ、逆に本当に相手を待てる者はそれだけ器が大きいということになるぞお」


 袖の中に隠し持つ短銃のグリップを握りながら、雅は空を見上げた。


 人気の無い道が、夜闇の中に白く浮かび上がっている。その頭上には、白く霞むような雲を通し、揺らめく光が幾つも見て取れた。


「だけど……不思議だよね」


 呟くその横顔には、だが笑みが宿っていた。


「私には、みんなみたいな力は無いのに……だけどその力って、確かに私たちの生活を守ってくれているんでしょう?」


 知らずのうちに、太古の時代には秘術とされていたことを生活習慣に取り込んでしまっている。結果、我々はかつては厳しい修行を潜りぬけたものだけが成しえたことを、儀礼とは知らずになぞっていることになる。


 しかし、その定義と日時、暦による呪力は確かに僅かではあるが呼び起こされ、それがこの国全体を覆う神気となってたゆたっている。


「そういうのって……なんだか、すごいよね」


「何呑気なことを言ってやがる」


 突き放した台詞を吐きながら、綾瀬が溜め息交じりに微笑んだ、ときであった。





「結界は、漉し紙だ」


 誰もの死角から、女の声が聞こえた。


 はっと振り向く先に、あのスーツ姿の梓が立っているではないか。


 ざわめきが途絶え、代わりに緊張がそれぞれの間を走り抜ける。


 春日梓の出現によって、その場にいる誰もが彼女の持つ霊力を読み取っていた。同時に、沙嶺の言葉が偽りではないことを直感していた。


 墨曜道、曼華経、童子斬。それぞれが特殊な霊力を駆使する術式体系でありながら、そのどれにも属することのない、独自の気配。


「春日梓、ですね」


 梓は瞳を吃と見開いたまま頷き、そして沙嶺へと頭を巡らす。


「また会ったな、盲の僧」


「覚えていてくれたんだね」


 綾瀬と雅は、ただ言葉もなく梓を見つめている。


「お尋ねします。漉し紙とは、どのような意味ですか」


「西の東海道は白虎、この路によって東享には西からの霊気が流れ込んでいる。御修法による天皇衣の儀ならば、そこの者も知っておろう?」


 梓の鋭い視線を受け、宝慈はゆっくりと頷く。その顔には既に先ほどまでのような、飄々とした気配はない。


「東享は京から離れた最初の国の中心。ならば西からの霊気にはいろいろと不都合なものが含まれているだろう」


 かつて京が西にあった頃、関東地域は東夷と呼ばれて蛮族の住む地とされていた。その地だからこそ、逆に家康は天皇色の強い西国を避け、ここに都を築いたということにもなる。


 しかし、今東享にいるのは将軍ではなく、天皇である。本来いるはずの西国ではなく、かつては蛮族が踏み荒らしていたこの地にいるというだけで、西の人間はいい気分はしないだろう。


「では、やはり結界が!?」


 色めき立つ北斗に頷いてみせると、梓は再度沙嶺へと向き直った。


「以前、お前はこの帝都を守ると口にした、そうだな?」


「無論」


「では問おう」


 語気が強くなる。言葉の中に込められた感情の強さが、先ほどとは明らかに異なっている。


「何をもって帝都の守護とする? お前たちが本当に守りたいのは、帝都の何だ?」

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