第十五章第一節<瑿鬥城方位術>

 長屋に戻った綾瀬と北斗は、沙嶺と圭太郎がまだ戻ってきてはいないことに驚きを隠せなかった。


 ここから麹町区までの距離を考えれば、いくらなんでも遅すぎる。既に時計は午前三時を回ってきており、自分たちの帰りでさえ、留守役だった宝慈にかなりの不安を感じさせるものであったからだ。


 まさか、自分たちと同じく、どこかで戦いに巻きこまれた可能性もある。


 しかしこの広い東享市を捜して歩くのは無理である。


 皇城を中心として捜索を開始したとしても、東享市の西端に位置する本所から東の四谷、そして北は本郷から南は麻布まで、それこそ警視庁の人員を総動員したとしても、凄まじい労力と時間が必要である事実には変わりが無い。


 しかし、沙嶺と圭太郎は、宗派こそ違えど、二人とも曼華経の方術を学んだ身である。


 帝華派の沙嶺に、東華派の圭太郎。彼らの術力をもってすれば、打ち負けることなど万に一つも有り得ぬように思えた。


 事実、それが綾瀬の理論ではあった。しかし当の綾瀬はといえば、早々に布団に潜り込んでしまい、半刻と待たずに高鼾を立てている始末。


 仕方なく宝慈にも休んでもらうことにし、北斗は二人の帰りを待つことにした。


 宝慈に綾瀬、そして傷が塞がっているとはいえまだ安心の出来ぬ雅の眠りを妨げることが無いよう、北斗は明り取りの油を入れた行灯を入り口に最も近い板間へと持ち寄り、そして和綴じの本と地図とを抱えて座り込んだ。








 北斗が求めているのは、皇城に存在するであろう呪術の存在である。


 瑿鬥えどの街並みに巧妙に隠蔽するかの如くに、各寺社の配置から結界を重ねた曼華経僧、天海。


 しかし、それでは結界の中央に位置する瑿鬥城、皇城はどうか。


 四方を守護すると言われている聖獣も、いまだその存在が確実に判明しているのは東の青龍、南の朱雀のみ。残る二つ、すなわち北の玄武、西の白虎の存在も不安ではあったが、北斗が気になるのはやはり中央であった。


 仮に、全ての聖獣守護が失われたとしたら、日本国の霊的象徴、現人神である天皇を護る呪術はあるのか。


 北斗はまず、現在の皇城周辺の地図と瑿鬥城建造の際の見取り図を取り出し、つぶさに眺める。


 いくら完璧な方陣が組まれていたとしても、現在の街並みに狂わされていては、呪術は力を発揮することなど出来ようはずもない。いや、そうした緻密かつ厳密な定義を揃えてこそ、呪術は力を発揮するのだ。それを神経質だとか病的だとか批判する者は、呪術を物質世界における法則だけでしか捉えていないのだ。


 経文を一言一句違わずに唱えることは、呪術の世界においては言わずもがな、必須として求められる事柄である。それを言語を伝達手段としてしか把握せぬ者から見れば、言い直すことによって同じ効果が表せると言えよう。


 しかしそうしたところで、呪術の世界では効果は期待できぬ。呪術的な見地からすれば、経文は伝達を目的とした言語ではなく、己の精神に高次の存在を呼び込み、同化させ、観想するための道具だからである。


 だが、こうしたことに異論を唱える者であっても、「己」という文字と「巳」という文字を混同してもよいなどとは口が裂けても言わぬであろう。我々にとって、漢字の表記はたとえ点一つ、辺一つを取ってみても厳しい定義があり、そこから外れるものは同じ漢字とは見なさぬからである。


 故に漢字を学ぶものが「己」と「巳」とを混同して書くことがあれば、日本人なら書き方を修正させるであろう。


 だがこれを、日本語や漢字を知らぬ外国の人間が見たら、どう思うだろうか。その程度の差異など誤差であり、二つの文字を同じものと認識する者もいるのではないだろうか。


 すなわち、呪術というシステムも、その内容を解釈することによって、一つの技術体系と認識されるべきものなのである。






 北斗の眼差しは、すぐに一つの共通点を見出した。


 瑿鬥城の図面によれば、方角に相当した名称をつけられた門というものが二つも存在しているのだ。


 乾の方角にはその名の通り乾門。そして辰の方角には、辰口という通行門が存在する。


 その二点が現在もなお配置されていることを確かめると、北斗はさらにもう一つの方位を意識した門を発見した。


 平川門というものである。


 多くの文献によれば、この門は別名、不浄門とも呼ばれていた。理由は明白で、城内から死体を運び出すような場合には、通常の出入り口は使用されずにこの平川門が使われた所為であった。


 さらにはこの平川門、瑿鬥城三の丸の鬼門に位置する。悪鬼が入り込む方角に限定して、死者の通行を行っていた、すなわち城内の不浄なる存在を排出する際の道というわけだ。


 この理論は、風水から見ても理に叶う。いかに強力かつ堅固な結界を打ち立てても、その内部で人が生活するのだとしたら、そこには必ず不浄なるものが溜まっていく。


 それを定期的に排出する通用口がなければ、内部の状態がどうなるかは容易に想像ができるだろう。


 しかし、それは決定的なものではない。


 他に、何かないのか。


 そのとき、北斗の目に止まった一つの違和感の正体があった。虎ノ門という場所だ。


 だがそれは、前述のような一致点は無い。虎ノ門があるのは南、すなわち干支方位なら午の方角。名称と方位が一致していないのだ。


『何故だ』


 しっかりと方位が計測できていながら、どうして別の名称をつけたのか。それは間違いなどでは決して無く、何かの目的があっての事に違いない。方角と名称の相違に、北斗は強く呪術的な気配を感じ取っていた。


 しかし、それだけでは謎は解けぬ。小一時間ほど悩んだ挙句、北斗は次なる疑問点に到達する。


 『霊岩夜話』という書物に描かれている、小田原口門という実在する場所についてだ。現在は外桜田門と名称を変えてはいるが、当初の小田原口門は門とは名ばかりの、「扉なしの木戸門」であったと記録には残る。


 瑿鬥の初期に作られた、通行不可の門。現実の世界では、意味の無い存在ではあるが、それは確かに建てられた。そして破棄される事無く、現在ではその位置にれっきとした通行できる門が建てられている。


 とすれば、その場所に存在するものは門でなくてはならなかったのだ。そして、当初は何らかの理由でその門を封印していた。


 門を封印するということは、通行を遮断するということ。では、そこを通行する存在とは一体何か。








 じじ、と火を点した芯が鳴る。


 不穏な空気が、ゆっくりと北斗の胸の中を満たしていく。沙嶺と圭太郎は、未だ帰らぬ。


 そのとき、一つの案が北斗の脳裏に閃いた。


 確か、鑟川とくがわ家康は寅年の生まれではなかっただろうか。


 瑿鬥城建築の際、自分の生まれに応じ、虎ノ門を作らせたのだとしたら。


 将軍ともあろう人間が、方位呪術如きの前に折れるとは思えない。


 北斗は思い切って、地図をくるりと回転させた。将軍の権威を意味しているかも知れぬ虎ノ門を、敢えて寅の方角へと向けて見る。


 方角に自分を合わせるのではなく、方角自体を変容させる。


 それ自体は、日本においては立派な呪術の一つである。現実世界を、把握する者の主観で縛る観測呪術、「見立て」。


 その瞬間、もう一つの謎であった小田原口門の謎までもが溶解した。虎ノ門を寅の方角に傾けた瞬間、小田原口門はそれに並ぶ形で北東に移動したのだ。


「鬼門……ッ!?」


 息を飲むその結果から、北斗がさらに隠された意味を探ろうとしたときであった。


 がらりと戸が開き、疲れ切った表情の沙嶺と圭太郎が、姿を現したのだ。


 時刻は、既に夜明けを迎えようとしていた。

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