間章ⅩⅣ<神気結界>
卵型の形状をした浮遊する安楽椅子が、虚空に揺れる。内部を刳り貫き、楕円の切断面からは幾重にも重ねられた布が垂れ、風を受けては揺れたなびく。
無数の毛布に半ば埋もれるようにして、そこには一人の老人が坐していた。
齢は想像もつかぬ。瞳を閉じ、微動だにせぬならば恐らくは死んでいるとも見えるだろう。いや、幾重にも刻まれた皺は瞼を押し下げ、たとえ意識があったとしても眠っているとも見紛うばかり。
その老人は、桃色の宝珠を抱えていた。
しなびた両手でそれを抱え、宝珠を間近からじっと眺めている。
両側に迫り出した卵型の外殻のせいで、椅子に身を沈めていれば周囲の様子を知ることは出来ぬ。
卵椅子がゆっくりと揺れ、そして垂れた毛布の先が波紋を産む。どうやら、椅子は水面の上に浮いているらしかった。その波紋も弱々しく水の鏡面を乱したに過ぎず、またほどなくして凪に戻る。
老人の椅子を囲むようにして聳えるは、四つの鳥居。
それぞれが黒、青、白、朱に塗られたそれは、闇の中で不気味に、そして見るものに畏れを抱かせつつ、互いに注連縄で結ばれながら清浄な空間を維持し続けている。
そのとき、老人が声を発した。
笑っていた。力無く上体を揺らす為、咳とも取れるほどにそれは弱々しいものであったが、彼の唇は確かに笑みを象っている。
「ようやっと動きおるか」
その老人は、名を流源と言った。
額には、奇妙な形をした染みがあった。
いや、自然に出来たものではないだろう。それほどに、変色した部位は不自然なまでに明確な形を主張しているのだ。縦に長い菱形と、その四辺に並行する辺を並べる形で斜め四方に三角形が並ぶ。
「この地の呪縛に……写本が共鳴するか……ほ、ほ、ほ」
ほ、と笑いが止まる。
位置にしてちょうど、椅子の背面で、水面が動いた。
無論、椅子を回転させねば老人は見ることの出来ぬ位置だ。そこの水が揺れ、伸び上がり、まるで緩やかな間欠泉を見るかの如くに成長していく。流麗な曲面は次第にくびれ、凝り、人の形を成す。
「現れおったな?」
「我が聖域を侵すべからず」
長い髪がざわりざわりと揺れ、鼻と口が浮き彫りになる。
その途端、注連縄がまるで大風に呷られたかのように鳴動した。
発せられたのは、凄まじい神気。恐らく人が浴びたならば、その魂魄自体が輪廻の枠を越えて永劫消失するであろうほどの、強烈な気の流れ。
それが、水人から発せられたのだが。
当の流源は、依然として毛布に包まったまま、静かな笑みを絶やさぬ。
「我は流源。主、名は何と言う」
「我は
ほ、と呼気が漏れる。
「ならば我の存在も分かろうて? 写本は主の存在特殊高次元……<高天原>にも影響を及ぼしているであろう?」
「立ち去れ」
ぴちょん、と水滴が落ちた。
「それほどまでに何を隠す? 最早猶予は無いぞ?」
ぴしり、と卵椅子の球面に亀裂が走る。やはり、先刻の神気を前にして無事ではすまなかったか。
「わからぬと言うのであれば……これを見よ!」
からん、と卵椅子が二つに割れる。中に詰められていた極彩色の毛布が、水面に落ち、見る間に沈んでいく。
老人は姿を消していた。ただ、宙空に桃色の宝珠だけが静止している。
「汝の知るものとよく似ておろう……? 世界の調和を成す神器、銀珠カザーツィアよ」
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