間章ⅩⅡ<道士>

 夏の盛りをもうすぐ迎えようというのに、首を竦めるほどの夜の風が吹き渡る。


 しかし、風にはかなりの湿気が含まれていることが、この国の夏を証明していると言ってもいい。その不快さに、痩身だがそれ相応の年を重ねた男は首を竦めた。


 西南戦争において、西郷隆盛の軍を攻撃型錬金術にて一掃した術師、レオ・バッシェッカーであった。


 彼もまた横濱へと帰還していたのだ。ポケットから出したハンカチで額と首に浮くべたつく汗を拭うと、レオはうんざりした顔つきで隣にいる男を見やる。


 傍らには、レオと似た白い法衣を纏った初老の男がいた。


 上野寛永寺の鑟川とくがわ霊廟を破壊した術師、炎のエノク言語を駆るユリシーズ・ベネディクト。蓄えた口髭を震わせながら、ユリシーズは長い溜め息にも似た呼気を吐き出した。


 ここは、台東区西浅草にある、神田山日輪寺。


 二人がこの地に赴いたのは、<不思議な国のアリスアリス・イン・ワンダーランド>という魔術結社に荷担する、東洋の術師の導きであった。


 横濱の外国人居留区に本拠地を構えるその結社の門を叩いた男は、美輪誠十朗と名乗った。その名からして日本人ではあったが、深い慟哭を湛えるその瞳は、今の世の日本人にはない光を生んでいた。


 大陸へと渡り、各地で秘術を学んだ誠十朗は、その法力をもって『目』となろう、と言葉を残す。


 最初、術師らはこの東洋人を鼻で笑っていた。如何に極東が不慣れだとはいえ、我等とて魔術師の一角。西洋魔術においても、霊視技能は術を学ぶ上において必須とされるものである。入団すれば、一般にはタットワ象徴として知られる地水火風にアイティールを加えた五つの象徴を霊視する訓練を課せられている。


 だが、誠十朗は引かなかった。


 そればかりか、当時日本国内で繰り広げられていた西南戦争の一部始終を、横濱の閉鎖された室内にいながら言い当てたのである。


 厳密に言えば、「言い当てる」と言う表現は相応しくない。誠十朗は、風水と道教という大陸呪術を我流に組み合わせた特殊な占術で、全てを予知して見せたのである。


 さらに驚くべきことに、<不思議な国のアリス>の術師らの遠隔霊視フォアサイト・ビューイング能力は、その全てにおいて悉く外れたのだ。


 狼狽の色を隠せず、また無言の侮辱に耐えかねた術師の一人が強い口調で問いただしたところ、誠十朗は涼しげな面持ちでこう言い放った。


『この地は、八百万の神という特殊な信仰形態を有している。さらに同一の宗教に偏らない複雑な信仰儀礼が執り行われているが故、通常の魔術ではその全てを看破することは不可能』と。


 島国という地形的特性と、また日本人の気質の両側面によって、複数の信仰が絡み合い、また互いに相殺しあうことなく息衝いている。


 その事実は、術師らを再び驚かせた。


 だが、自分たちの術の全てが無効化されてしまうわけではない。事実、黒船来航時にサスケハナ号に同船していた稀代の女魔術師、アリシア・ミラーカとエフィリム・アルファロッドの二人は、見事極東の最高位の僧侶団の調伏咒を跳ね除け、見事ほぼ全員を呪殺しているではないか。


 決して感情を出すことのないその男の手腕を、アリシアは高く評価した。


 そのときから、誠十朗はこの魔術結社の一員となったのだ。




「外れ、だな」


 息を吐ききったユリシーズが、押し殺した声でそう決断する。


 この地に流れ込む霊気も、そして径路も、存在しない。となれば、この地は東享を守護する結界を構成する要地とはなりえない。


「あの日本人が霊視を外すなんざ、珍しいな」


「まあ、そういうこともある」


 ざっざっと玉砂利を鳴らしながら、ユリシーズはレオの肩に手を置いた。


「それに、誠十朗はこの場所を指定したんじゃない。周りを少し歩いてみよう」


 掌を上に向け、肩を竦めるジェスチャーをしたレオの、おどけた表情がふっと翳る。姿勢を正し、頭を巡らせて周囲の様子を探る。


「……なあ」


「感じた」


 人気のない夜、その「氣」は確かに二人の感覚の琴線を鳴震させた。


 奇しくも、二人が異変を感じた方角は同一。それ以上語ることは無意味と悟った二人は、短く頷くと脱兎の如く、境内をあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る