第十一章第三節<男装の麗人>

 射るような視線が、切れ長の瞳から放たれ、こちらに向けられている。そこには、微塵も初対面の相手に対する礼儀というものが感じられぬ。


 あるのはただ、拒絶の意のみ。こちらがどのような理由を述べたところで、この女性はそれを受け入れ、是とすることはないであろう。そんなことすら考えさせるほどの、無言の壁を持って女性は近づき、そして歩を止めた。


「この夜更けに、何をしている」


 沙嶺の頭に浮かんだのは、この女性がもしや、警視庁の手の者ではないかということであった。


 川路大警視不在の今、自分たちはあの加治木という男に狙われている。しかし、それが杞憂であるということを、二人はすぐに気付くことになる。


「すぐに立ち去れ。ここはお前たちのような者が来る場所ではないぞ」


 少なくとも、女性の言葉からは、自分たちのことを知っている様子はなかった。だからといって、この状況が好転するわけではない。


「待てよ、俺たちは……」


 抗議しようと身を乗り出す圭太郎を、沙嶺は手を翳し、制する。


 この場で、必要以上に事を荒立てることは懸命ではないということもあった。


 なにせ、すぐ近くには皇城があるのだ。ここで騒ぎを起こし、あまつさえ天皇陛下に仇名す不逞の輩などという烙印を押されれば、どうなるか知れた事ではない。


 しかし、他にも理由はあった。




 女から感じられた気配は、通常の人の持つそれとは異なっていた。


 常人にあらず、そして馴染みの深い類のもの。それは、この女が自分たちと同じく、何等かの咒法の使い手であるということであった。咒法がどのような種類のものであるか、そこまでを推し量ることは出来ぬ。だがそれでも、沙嶺の知覚は誤ってはいなかった。


「お前たちも、ただの僧というわけではなさそうだな?」


 女もまた、自分たちの特殊な能力に気付いたようであった。だが、攻撃を仕掛けてくる気配はない。もしかしたら、女の持つ能力は、そうした分類の力ではないのかも知れぬ。


「私の名は沙嶺、こちらは」


「名前など聞いても仕方あるまい。私は、お前たちと馴れ合うつもりはない」


 言葉の刃が、沙嶺を切り裂くのを、圭太郎は確かに感じた。それほどまでに、女は冷徹な、そして無慈悲な言葉を発していた。


「ちょっと待て、てめえ、こっちが遠慮してりゃいい気に……」


「では、質問させていただきます」


 沙嶺はなおも圭太郎を制し、言葉を続けた。


「最近の、外国人の所業には不穏なものを感じています。それをあなたは、どうお考えでしょうか」


「私が、それに答えるとでも思っているのか?」


 沙嶺の指は、しっかりと圭太郎の襟首を掴んでいる。その指に戒められ、圭太郎はただ女を睨みつけているだけだ。


 拒絶された沙嶺もまた、言葉を発することはない。


 だが沈黙してなお、ここから立ち去る素振りも見せぬ。


 無言の睨み合いは、数分に渡って続けられた。その終焉は、女がふと視線をそらしたことによってもたらされた。


「そんなことを知って、何になる」


「あなたは、この東享が破壊されることを、そんなこととおっしゃるのですね?」


 きりと結ばれた薄い唇が、何かを応えようとして緩み、開く。しかしその奥からは言葉が漏れることはなく、再び閉ざされる。


「その力は、あなたの修練によって鍛え上げられているもの。決して荒削りのままの力ではない……」


 それはつまり、女もまた咒法を学び、咒力を鍛えてきたということだ。自分に、人とは違う力があることを知り、それをさらに高める為に培って来た努力と忍耐。その力をもってすれば、今の東享が霊的に揺らいでいることを知るなど、容易い。


 しかし見たところ、自分たちを除いてそうした外国人による破壊を止める為に動いている者の姿はない。


 何故、自分たちの国を護ろうとはせぬ。欧米列強の傀儡となることを、よしとするのか。霊的な蹂躪を受け入れ、屈服しようというのか。


「答えられよ!」


「……私の名は、春日梓かすがあずさ


 沙嶺の問いとは見当違いな言葉を、女は発した。


「今のお前たちは、その名だけで充分だ。また、会うこともあるだろう」


 梓は、くるりと踵を返す。そのまま桜田門を過ぎ、二人が向かわんとしている先の夜闇の中に姿を消した。




 あとに残された二人は、しばらくの間、何も言わずに闇を凝視していた。


 だが、その先から梓が戻ってくる気配はない。短く溜め息を吐くと、沙嶺は表情を崩した。


「そろそろ帰りますか?」


「おぅ」


 釈然としないといった面持ちで、圭太郎は頷く。さっきまで帰りたいと愚痴を零していた圭太郎だが、梓との出会いによって、すっかり勢いをなくしてしまっていた。


「あの場所に何等かの呪術があることだけは確かだけれど、それがどういうものであるのか」


 沙嶺はもう一度、桜田門へと顔を向ける。


 今なお、門の方角からは力を感じる。圭太郎の目にも、桜田門は何の変哲もない、ただの門に見えた。


 霊的な能力を無くしては、それは他の門と何等変わらぬ、皇城を守護する門の一つ。方角的に見ても、その名からも、特に意味があるようには思えぬ。しかしこれが、皇城を護る呪術の一端だとすれば。


「北斗に聞くしかないか……」


 呪術的な知識では、北斗はこれまでにも多種多様な情報をもたらしてくれた。そうした体系的な知識については、北斗にかなうものはおらぬ。


 桜田門に何かがあるということがわかっただけでも、収穫はあった。


「戻るんなら、早く帰ろうぜ……ぐずぐずしてっと、まともに寝られねえぞ?」


 圭太郎に急かされ、沙嶺は頷いた。そして今一度、梓の消えた先へ顔を向けると、二人は帰路についた。

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