第十一章第二節<桜田門>
「なぁ、まだ歩くんか?」
「何を言うか」
圭太郎の抗議に、沙嶺は口元に笑みを浮かべただけで取り合わなかった。
そうはいっても、既に時刻はとうに夜になっている。夕暮れ時、綾瀬を連れた北斗と別れてからというもの、沙嶺は圭太郎と共にずっとこの皇城周辺を歩いていたのだ。
ほどなく日は没し、人通りも急速に途絶えていく。すれ違うものといえば、どこかの御仁が乗っているのであろう、黒いスーツに身を包んだ御者が駆る馬車だけである。
そんな中、僧形の二人連れは場違いなこと、この上なかった。
「もう少し見回ってから帰るって言ったのは、そっちじゃなかったか?」
「だけどよ、もう充分じゃねえか?」
「それなら、お前は戻ってから、何を報告するんだ?」
沙嶺の問いに、圭太郎は言葉に詰まる。
当初の目的は、皇城周辺に呪術的な何かがあるのかどうかを、実地調査することであった。その場で判別できればよし、しかしそうあからさまなものであれば、渡来した外国人術師に看破される恐れがある。そしてなにより、隠されていなければ呪術としての力を維持は出来ぬ。よって、霊的感覚に優れたものによって存在を見抜くことが重要といえた。
机上の空論だけではどうしようもない。残された文献が全て、真実を示しているとも思えぬ。
日本の、そしてかつての
人智を超えた力を操る曼華経僧、天海。そして彼から日本の地に馴染むように改竄された風水を伝授された、家康と家光。
彼らの手によって、この地には世界でも有数の霊的密度の高い結界霊場が築かれた。その残滓は、まだこの地に息衝いているはずなのだ。
大手町から、二人は南側をぐるりと回る道を辿っていた。
北斗の言葉を裏付けるように、外濠を伝って歩いていた二人は、有楽町の帝国ホテル付近で、濠の行方を見失っていた。
地下へと潜り、暗渠となっているのではない。濠自体が断絶しているのである。
そもそも、風水では地下河川の属性は陰とされる。しかしそれでも、霊力の伝達径路が遮断されているよりは幾分ましと言えた。
仕方なく来た道を戻り、日比谷公園を左手に見ながら新たに濠を発見するも、それは先刻のものよりも内側にあった。
俗に言うところの、内濠である。つまり、外濠は新政府行政によって、埋め立て工事が行われているということであった。公園を過ぎ、人気のない東享府立中学校の敷地に差し掛かった当たりで、圭太郎が音を上げたのであった。
沙嶺の足が止まった。夜闇の中、沙嶺の頤がついと上がる。圭太郎は最初それに気づかず、沙嶺の傍らを行きすぎようとし、気づいて止まった。
「どうしたんだ?」
沙嶺が盲であることは、圭太郎も知っていることだ。沙嶺の動きはまるで、目に見えぬ何かに気づいたかのような、音か匂いを探っているような、そんな気がした。
閉じられた瞼の、長い睫毛が微かに動く。
「圭太郎……近くに、なにかあるか」
「えっ、あっ、あぁ……っと、もうすぐ桜田門のあたりだぜ」
「桜田門……」
沙嶺は小さく呟くと、唇を薄く開き、ゆっくりと呼気で肺を満たす。
「どうかしたか」
「微かだけど、力の流れを感じる……」
沙嶺は、ついと右手を持ち上げた。肩の高さまで上げると、掌を右斜め前方へと向ける。
「ここだな?」
圭太郎は、沙嶺の手の方向の先に、夜闇にぼんやりと浮かぶ桜田門を見て、応えようとし。
その言葉が、喉に詰まる。
視線の先、つまり門の位置に、人影が見えたからだ。黒い洋装、つまりスーツにネクタイを結んだ細身の男。だが男にしては、やや髪が長い。
「誰だ!?」
沙嶺もまた、その人物の気配に気づいたようであった。
しかしその声には、微かな焦りが感じられる。
視覚を封じられた沙嶺が、通常人の気配を見失うなどということは、まずない。しかし今回に限り、沙嶺の知覚が遅れた事は確かであった。
どうして気づかなかったのか。よく考えれば、桜田門の方角から感じられた力は、その人物のものではなかったか。
いや、しかし沙嶺はそれに即座に否と頭を振る。あの時、門の方角から感じられた力は、人に宿り人の駆る類のものではない。地に、方角に、そして物質に、長い時間を経てなお宿り、封ぜられた力であったからだ。
「僧が二人……お前たち、そこで何をしている」
その声色から、圭太郎に動揺が走る。
「お前ッ……てめえ、女か!?」
「ふん」
男装をしたその女は、小さく鼻を鳴らすと革靴の音を鳴らしながら、ゆっくりと二人へと近づいて来た。
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