第十章第三節<皇城呪術>

 細く襖を開け、中の様子を伺っていた北斗は、安堵の溜め息をつくと光が漏れこまぬように襖をぴっちりと閉めた。


「眠ったようですよ」


「傷はどうなんだあ?」


「縫合等の処置に手落ちはないはずですから……あと一週間ほどで普通の生活は送れますよ。もっとも、全てにおいて以前と同じまでに快復するには、さらに時間がかかりますが」


 長屋の周囲に張った結界は、いまだに効力を保ったままでいる。


 当初は妨害工作に対抗する守備的要因から設置したものであったが、中に雅を運び込んだことでもう一つの役割を担うことになった。つまり、邪霊や悪しき魂魄の侵入を阻止する為だ。


 怪我人がいたり、血の臭気がする箇所にはそうした力の弱い霊が集まりやすい。それらはもっぱら、怪我の治癒速度を遅延させるような弊害しか生み出さぬが、時折体力的にも劣る怪我人、病人の魂魄自体を汚すこともありうるのだ。


「なあ、聞きたいことがあるんだが」


「どうぞ?」


 北斗に促され、沙嶺は眉の間に皺を寄せた。


「浅草寺の真相、陸軍が赤子を狙う理由……そうしたことも重要だが、今一番必要なのは、次に外国の呪術師が何処を狙うかってことじゃないか?」


 沙嶺の言葉を受け、宝慈も考えることは同じだと言わんばかりに何度も頷く。二人の反応に、北斗は苦笑交じりの吐息を漏らすことになった。


「北斗?」


「正直に申し上げて……次の行動が、予測できないのですよ」


 前回、寛永寺の破壊を予測した北斗とは思えぬほどの弱気な発言に、二人は驚きを隠せない。


「正確に言うならば、予測し得る範囲があまりにも広すぎる、ということになるでしょうか」


 つまり、浅草寺と寛永寺を破壊されたことによる青龍封印で、一つの区切りがついているということなのだ。


「残る四神相応の聖獣は玄武、白虎、朱雀。うち瑿鬥湊えどみなみの象徴である朱雀は、ほぼ破壊は不可能でしょう」


 深川、京橋、芝と並ぶ湾岸地域は、たとえるならば純粋なる地形による聖獣守護を表す。信じられないほどの大規模な灌漑工事を行うことで、東京湾全体を埋め立てでもしない限り、朱雀の力を持つ南の象徴はその守護を削ぐ事は出来ない。


「なら、残りは二つだろうがあ」


「それが……そうとも言えないんですよ」


「はっきり言ってくれ、北斗」


 何かを含んだ言い回しに、沙嶺が北斗に鋭い口調で申し出る。


「この東享の地には、一体いくつの霊的封印が隠されてるんだ」


「先刻の白虎、そして玄武の存在は確実です。しかし、これはまだ確証を得ていないのですが……」


 畳に手をつき、ずいと前に躰を寄せる。


「目白、目黒という地名は、聞いた事がありますよね?」


「おうおう」


「では、その意味はご存知ですか」


「……意味?」


「はい。古来、京の都であった平晏京へいあんきょうには、五つの不動明王が祀られていたと言い伝えられています。残念ながら、その全てを確認することは出来ませんが、うち三つは実在が証明できます」


 指を三本立てた北斗は、それを一つずつ折り曲げながら数えていく。


「いわく、青蓮院の目白不動。高野山明王院の赤目不動、そして曼殊院の黄不動……どこかに、共通点はあると思いませんか?」


「色だな!?」


 まっさきに声を上げたのは宝慈であった。しかしその声のあまりの大きさに、すぐに沙嶺と北斗の二人から唇に指を当てられる。


「白、黒、赤、黄……残るは何だ」


「青です。それについては、あなた達のほうが詳しいとは存じますが」


 そこまで説明され、沙嶺は思い当った。


 はるか昔、弘法大師とも言われた高僧空海によって大陸から伝来され、のちに帝華、東華二派に分割された曼華経。その共通する世界構成要素は、地、水、火、風、空。つまり五色は、そのそれぞれに対応しているということだ。


「瑿鬥の結界を形成したのは帝華宗僧侶の天海です。つまり、天海は平晏京にならって、この瑿鬥にも五色の不動明王像を配し、守護の力を高めたのでしょう」


「それは、実在するんだな?」


「少なくとも、目黒には滝泉寺の目黒不動、目白には金乗寺の目白不動と、それぞれに対応した明王像があることは調べがついてます」


 聖獣の二ヶ所に加え、新たなる明王結界が出現したのだ。北斗の言葉どおり、これだけの地点全てを護りきることは実際問題として、不可能であった。


「ですから、相手が順番どおり、白虎か玄武を狙い、四神相応に狙いを絞って破壊してくるのであれば、まだ対応は出来るのですが……」


 情報の伝達径路は分からないが、確実なことは、相手は江戸と東享の呪術の正体をある程度まで掴んでいる。その面においても、そして人手という意味でも、こちらが圧倒的に不利であることは言うまでもない。


 厭な雰囲気を宿した沈黙が、しばし座をたゆたった時であった。沙嶺の手が、己の膝をぽんと打った。


「手は、あるぞ」


「と、いうと?」


 沙嶺は唇を笑みの形に崩すと、畳の一点に指を突き立てるような所作をした。


「そのどれを壊そうとしたって、相手の最終目標はなんだと思う?」


「日本かあ?」


「いや、もっと具体的なことだ。今の日本の、中枢といえば……」


「……皇城!!」


 北斗の答えに、沙嶺の顔が晴れやかになる。


「市街地に紛れて、これだけの結界や霊守護の布陣を敷いてるとしたら、その本拠地が無防備だなんて、あるはずがない」


「皇城の呪術を解明するんですね」


「そうだ」


 確かに、相手に振り回され続けた挙句に裏をかかれ続ければ、最後まで何の成果を上げることなく完敗を喫する可能性もあるのだ。ならば、相手が最終的に狙う部分に何かの手を打つことが出来れば、それに越したことはない。


「ただ、気をつけなければいけないことが一つだけあるんです。以前、圭太郎が話してくれたんですが……」


 北斗は両手の指を手持ち無沙汰に組んだ。


「天海が結界を構成したのは瑿鬥、そして現在は皇城。その中にいる人間は武家から皇族、完全に逆転しているのです。ですから、その相違を頭に入れないと、思わぬ落とし穴がある可能性があるんです」


「よし」


 沙嶺は頷いた。




 これからは、今までとは違う。明確な意図を持って、外国人の呪術師らと戦うのだ。


 もう、奴等の好きにさせるわけにははいかない。やるべきことは山ほどあるが、それらに振り回されるほど愚かではない。


 如何なる険しき旅の道も、一歩一歩の積み重ねで満了するではないか。


 必ず、この東享を護らなければ。その固い決意が、沙嶺の胸中にはしかと刻まれていた。





                   第一部 完

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