第十章第一節<鑟川幕府>

 胡座をかいたまま、前後に躰を揺すっている命堂圭太郎の前に、鳴山北斗は湯気の立つ湯飲みを置いた。


「悪りぃな、おっちゃん」


 その口の悪さを諦めたのか、それとも受け流しているのか、北斗もまた笑顔のまま、礼に答える。


「でもよ、雨露しのげる宿が出来てよかったじゃねえか。これだけの野郎がぞろぞろ物乞いみたいに歩いてたらよ、それこそ目立ってしょうがねえ」


「その野郎って中にゃあ、てめえだって入ってるんじゃねえか?」


 壁にもたれたまま、刀を抱える梅沢綾瀬が、こちらは北斗とは対照的に敵意を剥き出しにした笑顔で言葉を返す。


「まあ、俺はおっちゃんたちと違ってなぁ」


「おっちゃん言うなっつってんだろうがこの糞坊主!」


「いちいち指摘するってこたぁ気にしてる証拠じゃねえか!」


 敵意が殺気に変わる直前で、両者の間に北斗が割って入る。


「そろそろ話を始めたいんですが、よろしいですか?」


 涼しげな声に隠された怒気の激しさを感じ取り、綾瀬は呆気にとられたような声で応じる。圭太郎もまた、そうした気配を直感で理解したかのようであった。


「それでは先日の一件について、なのですが」


「寛永寺だよな」


「はい」


 寛永寺もまた、瑿鬥えどの呪術師天海によって建造された歴史を持つ。社史自体は浅草寺よりもはるかに新しいものの、そうした創設期が半ば伝説化してしまっていることを考えれば、しっかりとした歴史的資料が残存する分、寛永寺の建造目的を知ることのほうが容易いようにも思える。


 寛永寺は鑟川とくがわ家の菩提寺とされていたという事実は有名である。しかし、これが通説のように単なる鬼門守護ではないことは既に分かっていた。


 瑿鬥城を、皇城を巡る青龍の伝達を削ぐ為の寛永寺の破壊。


 寛永寺の山号は東叡山。この由来についても、京都の鬼門守護である比叡山にならってつけられたものであると言われている。古代にまで社史を遡る浅草寺よりも、天海は自らの力により、そして将軍家光に進言し、上野の地にこの社を建てた。


 鑟川家が、どちらの寺を重要視していたかは一目瞭然であった。


「それだけではないんですよ」


 綾瀬とは反対側に座る沙嶺、宝慈に一度視線を向け、北斗は続けた。


「家光の時代まで、浅草寺には東照宮があったんです。東照宮と言えば……もうご存知ですね?」


 一堂が頷く中、圭太郎だけが狐につままれたような顔をしていた。


「ご存知って、何なんだよ」


「てめえは坊主だってぇのに、ものを知らねえなぁコラ」


「綾瀬」


 やっと落ち着いている圭太郎を刺激するような発言に、沙嶺が短く諌める。


「圭太郎、日光東照宮ってのは、知ってるよなあ?」


 笑顔を少しも崩さず、宝慈がのそりと上体を前に起こした。


「そいつと同じさあ。東照宮って名前は全国にたくさんあるんだ、その中の一つってことさあ」


「日光東照宮って……家康とかが祀ってある、とこだよな?」


 圭太郎の言葉に、北斗は頷いた。


「天海は東照、日本、威霊、東光という四つの呼称の中から選んだと言われています。その由来については、『東照宮大権現講式』に書かれているんですよ」


 大権現鎮坐高峰、如皇在高天原、日出東照一天。つまり、神道における高天原における天照大神と同じ性格を、東照宮の名は家康にもたらしているということになる。


 そうした名を冠せられたものが、浅草寺にもあったのだ。しかしこれは寛永十九年、火事により消失してしまう。


「そんなこと、珍しくもない話じゃねえか」


「ええ……しかしこの後、幕府は浅草寺に東照宮再建の許可を与えなかったのです」


 沙嶺の顔が上がる。


 当然だ。東照宮は、当時の幕府の権威の象徴。それを失われたままにしておくことは、幕府にとってマイナス要素以外の何者でもない。財政的な要因は考えられぬし、それ相応の理由がなければこの動きはおかしい。


「理由はわかるのか」


「すみません、今はまだ……ですが」


 その代わりの情報ならあるということだ。


「それに加え、綱吉の時代には、寛永寺の貫主が浅草寺を兼任している事実が、公文書に残されています」


「幕府は浅草寺を捨て、寛永寺を重用したってことだよなあ?」


「そうとしか、考えられませんね」


 既に存在した寺社仏閣を消失させるなどという愚行は、さすがに行わなかったのにもかかわらず、天海は幕府を操り、浅草寺よりも自分たちの手による寛永寺の霊格を向上させたのだ。それはつまり、浅草寺に幕府が忌避する何かが隠されているということになる。


 そして、そのどちらもが破壊されたことは、秘密が漏洩していることになる。自分たちですら知らなかった瑿鬥の、東享の裏の呪術が。


「浅草寺については、さらに調べておきます。分かり次第、すぐに連絡しますが」


「問題は、次は何処が狙われるか、だな」


「目星なんか、つくのかよ」


 口を挟んだのは、またもや圭太郎であった。


「大体さ、こんな寺ばっか狙いやがって、浅草寺やら寛永寺やらってさあ、俺たちみたいに術が使える奴等にしかわからねえことばっかやりやがって、それでホントに東享やら日本やらがどうなるってんだよ」


 圭太郎の発言も、また現実であった。こうして、風水や墨曜咒道的な見地から分析すれば、こうして事件の本質に近い部分までは到達できるものの、自分たちですら、今の東享で本当に何が起きているのか、掴みきれていない。


 普通に毎日の暮らしを営む多くの人々にとっては、寺の境内で最近見かけるようになった外国人がなにやら珍妙なことをしている、程度の認識でしかないだろう。それによって、寺が燃えたり、崩れたりさえしなければ、人々の生活には何等影響が出るとは考えにくい。


「そのことは、鑟川幕府それ自体が証明してくれていますよ」


「瑿鬥のまじないとやらを、か?」


 綾瀬はすっかり冷めてしまった湯飲みの茶をぐいと飲み干した。


 今まではやれ風水だの四神相応だのと頭の痛くなる話ばかりであったが、それが目の前に歴史として提示されるとならば話は別。


「家康は天文十一年生まれ。これは暦で読むと八白の寅年生まれであり、この星の元に生まれた者は特に東北と南西が弱いとされているのです。つまり、家康は奇しくも鬼門と裏鬼門に弱い星の元に生まれたことになる」


「おうおう」


 宝慈は何度も頷きながら先を促す。


「生前、天海が強く主張していたことがあります。鬼門、裏鬼門としてではなく、こうして鑟川幕府創始の家康守護の為の布陣を組み、そして将軍家は決して水戸から出すなと。何故なら水戸は御三家でありながら瑿鬥の鬼門であり、家康の凶方角でもあったからです。そして……結果はどうなりましたか?」


「慶喜が、国を開いたんだろ?」


「そうですよ」


「それがどう繋がるんだよ」


「慶喜は、歴代将軍唯一の、水戸家出身者なのです」


 二百年を越える歳月を経てのち、天海の予言は的中した事になる。


 いや、それは予言ではないのだろう。地を読み、星を読み、気を操る術の操る者にとってみれば、それは偶然ではなく必然であるのだから。


「開国をした日本は、今でこそこうして浮かれ騒いでおりますが、亜米利加、仏蘭西、英吉利などに取ってみれば弱小国にも劣る存在。現実に条約を結んではいますが、そのほとんどは諸外国に媚を売るための内容に過ぎませんからね」


 そして、他ならぬ外国人呪術師たちの手によって、新たな東享の結界布陣が破られることになれば、どうなるか。日本国全体が、遠くない未来において、西欧列強に飲み込まれる怖れすらあるということだ。


「だからこそ、ですよ。こうして、次なる目標を読み、日本を霊的に守護しなければ」


 饒舌な北斗の言葉が、ぴたりと止まった。


 誰もそれに異を唱えるものはない。何故なら、隣の部屋の襖が、がたりと鳴ったのだ。その奥には包帯を巻かれた、相馬雅が寝ている部屋がある。


「……雅?」


 最も近かった綾瀬が立ち上がり、襖を開く。そのすぐ前に、布団から這い出して来た雅が、四つんばいのまま、顔を上げた。髪や夜着は寝乱れてはいたが、そんなことに頓着している時期ではないという気概が、瞳にあった。


「だめじゃねえか、まだ傷だって縫ってすぐなんだから」


「寺、だけじゃないの」


 恐らくは麻酔による神経混濁と鈍痛によるものか、荒い息を吐きながら、雅は少女のものとは思えぬ眼差しで一堂を見た。


「お願い、話を聞いて」

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