第八章第三節<第二の破壊>

 加治木直武から地位剥奪を言い渡された日の夜。その事件は、あまりにも唐突に飛び込んできた。


 場所は下谷区寛永寺。


 その場所を聞いたとき、誰しもが自分の耳を疑った。そしてそれは次の瞬間、激しい怒りと焦燥を同時に湧き上がらせた。


 北斗の予測は出立前の川路より、警視庁へと連絡されていたのであった。さすがにその予測の根拠までが正確には伝わっていなかったのだが、少なくとも川路と隠密が次に外国人の事件が起きる可能性の高い場所として、寛永寺を予測していたことは情報として記録されている。


 今回の一件は、加治木がその情報を目にしていたことを意味するものであった。


 北斗の予測は当たっていたのだ。外国人の次なるターゲットは、他ならぬ寛永寺。そして寛永寺における「作業」を円滑に進めるために、妨害要素となる隠密、特戦警を封じたのであろう。


 全ては推測の域を出ない。しかしその推測は、限りなく確信に近い正確さを携えたものであった。






 梅沢綾瀬、鳴山北斗、そして沙嶺と宝慈が駆けつけた時には、既に夜の十時を回っていた。しかしそのような夜更けであるにもかかわらず、不忍池の手前、西郷隆盛像を前にした参道には陸軍が仰々しいバリケヱドを設置していた。


 居並ぶ軍服姿の男たちは皆、一様な表情のまま四人を睨みつけていた。まるでそれは人の皮をかぶった、飢えた獣のような目つき。こちらに向けられた小銃の銃口が不吉な輝きを宿したまま、北斗の掲げ持つ洋燈の光を一度だけ、反射していた。


「止まれ」


 一歩踏み出した綾瀬を牽制するように、将校が冷たい声を発した。


 一瞬、綾瀬の動きが止まる。


 当然ながら、将校の声色に圧倒されたのではない。確かに人の唇の間から聞こえておきながら、その声には感情と言うものが完全に欠落していた所為であった。


 その所為で、あたかも目の前にいる軍服たちの正体が、底知れぬ不気味なものに感じられたのだ。


 恐らくは、夜闇というものも影響していたのかも知れぬ。


「無理を承知で申し上げます」


「止まらんと、撃つ」


 北斗の説明も耳には入っていないようであった。


 こちらに向けられた銃口は揺らぎもせぬ。指は引き金に当てられ、まるでこちらがもう一歩でも踏み出そうものなら鉛の弾丸が容赦なく肉を穿ち、骨を砕かんと貪欲な牙を研いでいるようでもあった。


「……北斗!」


 はっとした声で、沙嶺が何かを感じ取ったかのように緊張した声を放つ。視覚を失ったことにより、沙嶺の霊力は常人のそれよりも数倍研ぎ澄まされていた。






 白い法衣を纏った、初老の男が境内に直立していた。撫で付けられた髪は、後頭部で渦を巻くようなウェーブを描いている。顔の渋面は男の生きて来た歴史そのものを現すかのように深く、そして数多にある。それは単に年齢的なものではなく、男の生涯が決して平坦な道ばかりではなかったことを示していた。普通の人々が送るよりも、その歩んだ道は起伏に富んでいたのだ。


 厳有院霊廟第一勅額門を背にして立つ男は、かっと見開いた猛禽類のような眼差しを漆黒の天蓋へと向ける。


Z=A=Hゾド・アー……O=N=D=O=Hオー・エン・ドーM=I=Hミー・ヘェー……B=U=Z=Dブゥー・ゾッド・デー


 男は右手の人差し指と中指を揃え、二指において額、左胸、右肩、左肩と触れる。


「……P=A=I=Dパー・イー・デェー


 次なる所作は両手を重ね、自らの右胸にあてがう。


「我は<不思議の国のアリスアリス・イン・ワンダーランド>、上級達人アデプタス・イグゼンプタスユリシーズ・ベネディクト」


 右手を窪ませ、まるで何かを握っているかのような空間を象ったまま、ユリシーズは右手を一閃した。それだけの所作で、既にユリシーズは自分の右の掌にしかと握られた、金色の錫を幻視していた。


E=D=L=P=Rエー・デル・パル=N=A=Aナァー・アー、我は汝を焔の『物見の塔』より呼び起こさん、出で来たりて森羅万象を変化せしむるその神力を我に染み込ませよ」


 エノク呪言の詠唱により、ユリシーズの周囲には炎の五芒星が霊視により空間に安定し、その熱気を噴出していく。


 それに反応したのか、ユリシーズの周囲にはゆらりと陽炎のような人影が数体、出現する。


 詳細までは見て取れぬ。しかしユリシーズには、その人影の正体は既に知れていた。


 小さく鼻を鳴らし、蔑視の如き傲慢な視線を人影に向ける。


「貴様等がジェネラル・トクガワの歴代の将軍とやらか?」


 その言葉に、人影は一斉に腰に吊った刀を抜き放った。


 その実体は幻影。しかし残留思念と寛永寺の菩提の力により、刀だけは物質化を成功させるまでの力を、歴代将軍霊は有していた。


「斬れるか……たかが武士の霊ごときが!? この私を!」


 天を焦がす炎の塔が、ユリシーズを中心にして天空を焦がす。


 無論、現実世界には何も影響せぬ。しかし。


 炎の幻視は、確実に沙嶺、宝慈、北斗の霊的感覚を揺さぶっていた。


「これは……この術は!?」


 凄まじい熱気と強烈な意志の力が、したたかに霊力を持つ三人を打ち据える。


「寛永寺の結界が綻びかけています、早く修復しないと……」


 このままでは、浅草寺の二の舞になってしまう。


 だが、眼前のバリケヱドを突破する方法を、四人は持たぬ。


 三人の方術、そして綾瀬の剱術を駆使すれば将校らを一掃することは容易い。しかし、その行動は確実に自分たちの命脈を断つことになろう。


 ここまで来て、何も出来ないのか。眼前で、瑿鬥えどを支配した鑟川とくがわの霊廟が汚されるのを、見守るだけしか出来ないのか。


 ユリシーズの放った炎は、確実に将軍霊を圧倒していた。既に数体の人影は消滅し、共に刀も実体化を解かれて消えている。今もまた、激しく揺らぎつつも倒れる人影がユリシーズの視界の隅に、捉えられた。


「所詮は人、よのぅ?」


 ユリシーズは掌を突き出すと、惑星霊とエノク神霊の加護によって生み出される炎が将軍霊を焼き尽くす。影のような姿で身悶えしつつ消えていく様を睥睨し、ユリシーズは込み上げる笑いに身を委ねた。


「この錫は神の焔を宿すものなり……跪け、数多の生まれざる者よ!!」


 大きく反らせた喉から放たれる哄笑の響きがさらなる炎を生み出すかのように、ユリシーズの召喚術は寛永寺の霊域を破壊し尽くすまで続けられた。

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