第八章第二節<帝都改造計画>
加治木直武の無謀とも言える兇行の裏に、帝国陸軍の影があるということは、その日のうちに知れ渡ることになった。
だが、どうもそれだけでは説明しきれない何かが絡んでいる。特に相馬雅の怪我は気になるところだったが、相手がどう出てくるかも分かったものではない。
なにしろ、川路利良が巴里遠征に国を空けた途端にこのような暴挙に及んで来たのである。昨日今日企みを考えついたということでもあるまい。
とすれば、加治木はそうした陰謀を密やかに陸軍と推し進めていたというのか。川路がいない今、帝都東享の警察機構を牛耳ってしまうということか。
しかし、あの医務室で見たときの、加治木の異様な気配は何処から生まれたものであろうか。
革靴が踏み出されるたびに、玉砂利に僅かに沈む。幾つもの事件のあった浅草寺の境内を、鳴山北斗は沙嶺、宝慈の両名と共にゆっくりとした足取りで進んでいた。
梅沢綾瀬は大事を取って、医務室に残ってもらっている。
もしかしたら、自分たちの留守を狙って暴挙に及ぶ可能性も否定しきれないからだ。
「一つ聞いてもいいかな」
「どうぞ」
沙嶺は少し間を置くと、大きく息を吸い込んだ。
「帝国陸軍と警視庁とは、仲が悪かったのか?」
「直接、ということではありませんけど……警視庁は薩摩、陸軍は長州。そうした意味で考えれば、確かに仲がいいとは言い切れませんね」
「今までも、こんなことってなぁ、あったのか?」
「まさか」
宝慈の質問に、北斗は苦笑してみせる。
「こんなことは前代未聞ですよ。これまでも仲が悪かったのですが、こうした暴挙に及ぶことはありませんでした」
まるで出来の悪い子供にあきれ返るような表情を浮かべて北斗は空を仰ぐ。
「まかりなりにも互いに国家の基盤を担う大きな組織ですからね……遺恨はあれ、直接的な行動に出ると言うことはありませんでした」
今回は、まさに青天の霹靂であった。まさか川路の不在を狙って、こうも直接的な行動に出るとは。しかも内部に軍部の権力を浸透させ、川路の隠密の権限を法的拘束によって一時的ではあれ剥奪するなど、まさに警視庁に対する暴挙としか言いようが無い。
「とりあえずは……相手の出方を見るしかないでしょうね。ここで下手に動けば、最悪あちら側は私たちを白昼堂々射殺したとしても正当化できるだけの権力は握ってしまっている」
沙嶺の草履が、玉砂利を踏みしめた。
あの感覚。ここの聖域は、霊的に見ても破壊されていることは間違いが無い。
しかし、神聖なる気の流れが完全に途絶えてはいないのだ。
既に浅草寺独自では自浄機能は消失している。何らかの、外部からの支援なくしてここの復興はありえないであろう。
ならば、この気の流れの源流は何処なのだ。浅草寺全体を覆い尽くし、再浄化するだけの力こそないものの、途絶える事無く一筋の清流の如くに、空気の中に感じられるこの気は。
「北斗」
沙嶺の声に、やや前方を歩いていた北斗は足を止めた。
「そうまでして軍部が主導権を握りたがっている、理由は何なんだ」
「帝都改造計画、ですよ」
そんな話は聞いた事が無い。
「改造?」
「その名の通りです。都を東享とし、日本を一等国とするに相応しい偉観を誇る都市とするための、大規模な土木改造……そのために、皇城を中心とした街路構成を作成し、河川を人工的に再配置し、南方の港の機能を増強する為に海岸線を埋め立てる」
「莫迦な」
「そう、まさに莫迦げた計画です」
「ここも、工事されるんじゃあ、ないだろうなぁ」
「ええ」
哀しげな表情のまま、北斗は宝慈に頷いた。
だが、宝慈は激昂することは無かった。ただ黙って天を仰ぎ、そして溜めていた息をゆっくりと、細く、吐き出した。
「せっかく、立派なお堂も出来てるのになぁ」
宝慈が憂いているのは、何も建築的なものばかりではない。
寺社仏閣は、先達の者たちが文字通り心血を注いでその地に建立したものである。以来、長きに渡ってその地は聖地とされ、人々は信仰と畏敬の念を持って接して来たのだ。
長期間にわたる、一つの方向性の思念の集合体は、その地を霊地へと変換するだけの力を持つ。当初は普通の土地であっても、数百年の歳月を経ることで次第に浄化され、神聖な霊気を宿すようになる。それはすなわち、薄ら氷のような脆い膜にもかかわらず、積み重ねられた人々の努力の証として、結界と同等の力を持つようになる。
無用な神社の移転は、そうした信仰を地に投げ、踏みにじることと意味を同じくするのである。
「その計画を支援するように、海外から建築の技術者や設計者が何人も日本に来ています……しかし」
北斗の言葉が、刃を帯びる。
「昨晩、考えてみたのですが……ここの聖域を破壊した者が、もし都市設計者として招かれているとしたら?」
それは、海外の呪術者がエンジニアとしての肩書きを持ち、この帝都を霊的見地から破壊していることを意味する。
知らずのうちに、自分たちの生活を守護する結界を破壊されていることになる。腹中に、臓腑と肉を蝕む蟲を飼っているとしたら。近い将来、結界の喪失は間違いなく帝都を崩壊させてしまう。
「まだ確信は出来ません、しかし考えられなくは無い」
「北斗、そんなことはさせないよ」
沙嶺が力強く言い放った。
「僕らも仏教の裏の呪術、曼華経を学んだ僧だ……そんなことは、絶対にさせない」
その言葉を裏付けるものは何も無い。口にしている沙嶺はもちろんのこと、宝慈、北斗に至るまでそんなことは承知していた。だが、その言葉は確実に、二人の心に力を与えていた。
しかし、その決意は皮肉にも、すぐに裏切られることになろうとは。
誰にもが、想像すら出来なかったことであったろう。
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