間章Ⅶ<召鬼符>

 どうしてだろう。今は夏なのに、どうしてこんなに寒いんだろう。


 汗が冷え、肌から体温を奪っていく。躰を包んでいる、ぬるぬるした血液も今は温かさを感じられない。


 指が動かない。足に力が入らない。目を開けているのかどうか、それすらも分からない。


 周りに人の気配がなくなっている。ということは、あの赤子は持ち去られてしまったのだろう。


 私、死ぬのかな。このまま、誰にも気づかれずに、明日の朝には倒れて死んでるのかな。多分、もうしようがないのかもしれないけど……





「動けるか、娘」


 朦朧とした闇の中から、男の声がした。


 まだ奴等の残党がいたのか、と身を固くする雅であったが、それ以前に声色と雰囲気が違う。顔を上げ、目を開ければ男の顔を見ることができるのだが、今の雅にはかろうじて残っている聴覚でしか判断することが出来なかった。


「死んでいないのなら、助けてやろう」


 自分のすぐ近くに、男が膝をつく。背中をばっさりと交差するように斬られた太刀傷に気づき、男は黒い手袋に包まれた手を雅の前に翳した。


 元々、生への執念だけで繋いでいた雅の意識は、いとも容易く消失した。





 それが如何なる秘儀なのか、それだけで雅の出血は止まっていた。


 傷自体は塞がることはなかったが、出血が止まったことで雅の消耗を最低限に抑えようというのであろう。心なしか、雅の顔色にも生気が戻っているようであった。


 躰を抱えあげようとした男であったが、ふと何かに気づいて振り向いた。


 夏の夜道には人気はない。しかし男は一度雅から離れ、それまで陸軍の連中が待ち伏せしていた方角へと足を向けた。


 道の上には、何かを記した紙片が散っていた。そのうちの一枚を拾い上げると、男の表情が一変した。


 紙片には朱墨で何やら幾何学的な模様と共に、漢字で「童子護命」とだけ綴られている。


 それが何であるか、男は一瞬で見抜いていた。


「道教の召鬼符……大陸の術師を招いたか」


 ぐしゃりと手袋の中で握り潰すと、呪符はまるで炎も無く燃え尽きたかのごとくに炭となり、宙に四散する。


 大きく息を吐き、男は再び雅を安全な場所へと運ぶべく、向き直る。


 その姿はカーキ色の外套に包まれ、軍服の左胸には晴明桔梗紋、つまり五芒星が縫い止められていた。

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