第七章第二節<特戦警>

 相馬雅が姿を消してから二時間後。


 梅沢綾瀬は唐突に、川路大警視からの召還命令を受けることになった。人手が足りないという事情から、例の浅草寺の件にも首を突っ込んでいたが、綾瀬本来の職務としては規定外の仕事となる。


 仕事も行き詰まり、愚痴を零していた綾瀬にはうってつけとも言えた。


 あの赤子についての話も聞きたい。そう思いつつ川路の私室のドアの前まで来た綾瀬は、ノックしようと持ち上げた右手をふと、止めた。


「……?」


 ドアの向こうに人の気配がする。耳を澄ませば、微かではあるが話し声らしきものも聞こえる。


 先客がいるのだろうか。そんな話は聞いていない。


 雅ではないだろう。今日はまだ、鳴山北斗の姿も見ていない。だとすれば、誰だ。


 思い切ってノックをすると、話し声もぴたりと止んだ。


「入れ」


 ややあって、川路の声が入室を促す。


「失礼」


 真鍮のドアノブをくるりと回した綾瀬は、先客の正体を知った。






 まず最初に目に入ったのは、黒い僧服であった。


 次いで自分と川路との間に、こちらに背を向けて立つ男が二人。内一人の背には、日本人としては在り得ないほどに美しい銀髪がしなだれ落ちている。


「……お前ら」


「本当によく会うね、綾瀬」


 首だけをひねって後ろを向いた沙嶺が、にこりと微笑む。


 沙嶺と宝慈。自分よりも先に、川路と面会していたのは、綾瀬も見知った二人組の曼華経僧であった。


「……警視、これは」


「手っ取り早く結論から言おう」


 川路は躰を椅子の背もたれに預け、深く息を吐いた。


「非公式にではあるが、この二人を特戦警の専属顧問という取り扱いで導入する」


 現在、川路の隠密は対外的には隠されてはいるが、特戦警という名称で関係者には知れ渡っている。綾瀬、北斗、雅。その三人には能力的に見て、常人を遥かに逸脱する領域にまで達しているという点で隠密となっているのだが。


 綾瀬が驚いたのは、そのことではない。川路が、この二人の能力に注目したという点だ。


「事実上揉み消されてはいるが……この二人は、私が西郷から大久保卿に宛てた手紙に記された伴天連の呪術に陥りそうになったところを助けてくれている。そのことは、お前も知っているだろう?」


 黙肯する綾瀬。


「私としても、正直に言えば認めたくはない……しかし一連の事件には、そうした摩訶不思議な観点から見なければならないような気がして、な」


 それまで、実利主義一辺倒だった川路が、法力の類を。いや、それも自分が呪術的な危険に遭遇したという経験がそうさせたのだろうか。


「俺は構いませんが……あとの二人がどう言いますかね?」


「三人の中で一番厄介なのはお前だからな」


 ち、という舌打ちは胸の中だけにしておいたほうがいいだろう。


「時に、警視……あの赤子の件なんですが」


「即断は危険だ、まだ分からんがな。それについては」


 川路が二人を顎で指し示す。


「で、今回の鍵は赤子か?」


「いや、場所だよ」


 沙嶺は首を横に振った。


「浅草区の鳥越って地名はなぁ……将門の伝説に関与しているって話なんだな」


 将門。


 そう言えば、少し前に大蔵省の首塚に不審な人影があったという報告を官庁側から受けていた話があった。


「刎ねられた将門の首がこの場所の上空を通過して飛んでいった、その伝説から『飛び越え』が『鳥越』になったという話がある」


「は、ほとんど下らねえ言葉遊びじゃねえか」


「言葉遊び……には違いねえんだけどなあ」


 ゆっくりと噛み締めるように、宝慈が呟く。


「詳しくは知らないが、神祇調では、大和言葉には咒力が宿るそうだよ。まだ言葉が特権階級しか読み書きが許されぬ時代、本質を隠すには音を変え、文字を変え……そうした呪術が、今では言葉遊びにも使われている」


 そうはいっても、この話にはいささか無理があり過ぎるのではないだろうか。


「警視」


「私も話の全てを信じとるわけじゃない……しかし、笑い飛ばすこともできんだろう」


 綾瀬は黙ったまま、二人を交互に見比べた。あの時に橋の上で二人の話を聞いてから、綾瀬自身にも何か正体の掴めぬ連中がこの東享で蠢いているような、不快な感情が感じ取れる。


 寛永寺守備強化の件については、既に川路から各部署に伝達されているはずだ。その真意は流石に隠してはいるが、これで少なくとも得体の知れぬ外国人連中は動きにくくなるはずだ。


「これ以上、異論がなければこれで終わりとしよう……足労、痛み入る」

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