第四章第三節<用心棒>

 浅草公園を左手に見ながら、吾妻橋の手前を左に折れると、次第に町並みの様相が変わっていく。東享というよりはまだ江戸の雰囲気を色濃く残している道に、政府要人ご用達の黒馬車は如何にも不釣合いに見える。


 がらがらと車輪を鳴らしながら道を走るその姿に、道行く人の視線が集まっていく。中にいる梅沢綾瀬ですら、周囲の空気が変わったことを感じていた。


「おぉい」


 窓を開け、手綱を握る御者に声をかける。


「ここらでいいぞ、下ろしてくれ」


 刀を掴み、無造作に扉を開けると綾瀬は道に飛び降りた。


 馬車も馬車なら、その中から姿を現した帯刀した男もまた、異様である。だが綾瀬はそうした反応など全く意にも解さずに帯に鞘を挟むと、胸元で腕を組みながら歩を進め始めた。




 派手な紅蓮の着物姿の男は、小さく鼻を鳴らすと杯を煽った。絹糸のように細く、長く、そして艶かしい髪を一つに束ね、男はちらりと綾瀬を一瞥する。


「やれ、今日はどうしたんだ?」


「いちいち用件が無くちゃあ、いけねえのか?」


「まあね」


 男は片目をつぶって見せると、ほろ酔い加減の溜息をつく。


 名は高坂たかさか志郎しろう光照みつてるという。新吉原の遊郭御付きの用心棒の一人ではあるが、その立場は至って不安定だ。


 男にしては信じがたいほどに整った顔立ちでありながら、男臭さも同席している風貌。いつも本心を明かさぬような喋り方でありながら、言葉を交わしたものを男女問わずにひきつける不思議な魅力。時には、まるで元締めのような顔をして入り浸っているかと思えば、たまに足を踏み入れるごろつきに対しては血も凍るほどの眼力を叩きつけることができる、不思議な男であった。


 無論、その美しい容貌から彼を慕う女は大勢いたが、奇妙なことに彼と一夜を共にした事のある遊女は一人としていなかった。


「ここは陰間茶屋じゃないんだよ?僕目当てに足を運んでも無駄だと思うけどなぁ」


 光照は立膝でもたれながら、障子越しに女達の気配のする方角に目をやった。


「お前が言うと冗談にゃ聞こえねえよ」


「それに君が用も無くここに来るときは、いつも金の工面と決まっているだろ?」


 痛いところを指摘され、綾瀬は言葉に詰まる。


「ほら、図星だ」


「ちっ」


 小さく舌を鳴らすと、綾瀬は首に手を当ててごきりと鳴らした。


「腹割って話すとな……実は、てめえの情報網を買いに来た」


 そうした申し出は、今回が初めてではないらしい。その証拠に、光照は薄ら笑いを浮かべたままで綾瀬を一瞥したあとで、からりと窓を開けた。決して涼しいとはいえぬ風がゆらりと忍び込むように部屋の中に流れ落ちる様子が見えるかのように、光照はこちらを向こうともしない。


「また、何かやってるんだ」


「あぁ」


「今度はなんだ? 君のことだから……単なる警視庁の飼い犬では終わらないとは思うんだけどね」


 綾瀬は次の問いかけには答えない。ただそのかわり、じっと静かな視線を障子に注いでいた。


 その意図を汲んだ光照は、胡座を崩すと立ち上がり、障子を開けて二言三言、呟くように伝える。しばらくそのままの姿勢で言葉を交わしていたが、やがて障子を元の通りに閉めると綾瀬に向き直り、屈託の無い笑顔を作ってみせた。


「人払いはしておいたよ。これ以上、誰かに聞かれることはない」


 綾瀬はなおも口を閉ざし、光照が下の場所に腰を落としたときに初めて、ぼそりと短い言葉を口にした。


「外国人だ」


「……え?」


「この国で、外国人が何かをしでかそうとしている」


「ははぁ」


 悪戯っぽく笑う光照に、綾瀬は不快感を露にした。


「てめえも何か知ってやがんのか!?」


「『も』ってことは、僕以外にもいたってことだよね?」


 追求の手は緩まない。こちらの手札を明かさずに相手の情報だけを引き出すことを諦めた綾瀬は、酒を煽ってから乱暴な口調で吐きだした。


「今日、川路のところに客がいやがった……それも、僧が二人だ」


「……続けて」


 聞いているのか、それとも眠りかけているのか。顔を上向け、目を瞑ったまま光照は先を促す。


「そいつらの話じゃあ、西南戦争中に西郷から大久保に当てた手紙に、外国人が呪いをかけたとかぬかしてたな……どうだ?」


 それでもなお無言で思索している光照は、ややあってから唇を動かした。


「絶妙、だね」


 これよりも僅かに先んじる形で、綾瀬は川路から独自の命を受けていた。


 大久保内務卿暗殺の実行犯として、石川藩士族島田一郎の名が挙がっていた。しかしそれ以外の勢力の影響が無かったのかどうか、川路は綾瀬に調べさせていたのだ。


 それが、唐突に捜査の中断を厳命。だがその時点で、綾瀬の調査は西南戦争時の大久保の身辺の洗い出しに入っていたのだ。


「君が先か、それとも二人の僧が先か。どちらかは分からないけど、少なくとも両者は関係してるだろうね」


「もし西南戦争が外国の手で終わらされたんだとしたら……日本はどうなっちまうんだ?」


 西南戦争の前年、明治九年には寺島宗則という外務卿が、開国当時に締結した諸外国との条約改正に乗り出していた。そもそも、幕末に行われた開国とは、呼び名こそ聞こえがいいものの、半ば海外の武力に圧倒された幕府が言いなりにさせられた上での結果である。


 であるからして、その際に行われた日米修好通商条約をはじめとする一連の条約は、どれも日本にとって不公平の極みにある内容が羅列してあった。


 これに対して、寺島外務卿は条約改正運動を開始。運良く亜米利加合衆国の協力を得るまでは行くものの、結果的には英吉利の強い反発にあい、敢え無く挫折。その報は政府を酷く落胆させると共に、一刻も早く西欧列強と肩を並べる為の富国強兵政策を推進させる原動力ともなったのである。


「風の噂なんだけれども、なんでも東享を変えるそうだよ」


「……変える、だあ?」


「帝都改造計画」


 さらりと言ってのけた光照の言葉には、しかし比べ物にならぬほどに重大な意味がこめられていた。


「前時代的な街並みを一掃し、一等国の首都に相応しい街並みを整備する、というものだ……皇城の外堀を埋めて、そこを中心とした放射状街路を築くという案が持ち上がっているらしい」


「馬鹿な、そんなことが」


「そう、それは酷く馬鹿なことだ……僕たち、日本人にとってはね」


 少なくとも、分別のある日本人には。その言葉の裏に隠されたものを読み取った綾瀬は唇を強く噛み締めた。


「関係してやがるんだな」


「測量技師、建築士、その他諸々の技術を持つ者を集めているらしい……早ければ来年には、実行に移してくるだろうな」


 早ければ来年。一音一音をゆっくりと噛み締めると、綾瀬は杯に残った酒をぐっと飲み干した。


「邪魔したな」


「もう帰るのかい?」


 刀を引っ手繰るように掴むと、綾瀬は立ち上がった。


「もうそろそろ暗くなる頃だ……道には気をつけておくれよ」


「は、女子どもじゃあるまいし」


 一笑に伏そうとした綾瀬の胸の中で、先刻の光照の言葉がゆっくりと繰り返される。


 道には気をつけて。


 不思議な感覚のするそれを飲み込むと、綾瀬は手を挙げて別れを告げると、障子を開けてぎしりと鳴る板の間へと姿を消した。

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