第四章第二節<童子斬>

 梅沢綾瀬と名乗ったその男は、見れば見るほどに奇妙な出で立ちをしていた。


 一見すれば幕末の頃の侍を髣髴とさせる。無精髭に浅黒い肌、手入れのされていない頭髪、腰には一振りの刀。


 しかしそれだけでは片付けられない、言葉には言い表せない雰囲気が、漂っているのだ。


 乗合のように綾瀬を正面に、沙嶺と宝慈が並んで座る。綾瀬は刀を外し、肩に凭せ掛けるようにして抱きながらじっとこちらの反応をうかがっていた。


 視線を合わせるでもなく、言葉を交わすでもなく。自分から誘っておきながら、肝心の話というものを全く切り出そうとしない綾瀬の反応に痺れを切らした宝慈が口を開こうとしたときであった。


「その刀……どちらで」


 すぐ横で、沙嶺が話を切り出した。


 綾瀬は沙嶺に視線を移し、しばらく値踏みをするように眺めたあとで、にやりと笑ってみせた。


「男にしては、美人だなぁ、あんた」


「自分の顔と言うものを見た事はありません……生憎と、盲なもので」


「ははぁ」


 嘆息を吐き出し、綾瀬は唇を舌で湿らせる。


「目が見えずとも、こいつが分かるか」


 そう言われて、宝慈は初めて綾瀬の刀に目を落とした。


 黒光りする鞘に収められている、一振りの刀。漆を重ねて塗られ、さらに金箔による絵柄が陽光を受けて時折煌く。かなりの年代ものであろうし、また美術品としても相応の価値はあろうという、それ。紫雲たなびく天空を、一つがいの蝶が戯れ舞っている様子が描かれている鞘。


「太刀銘、<胡蝶こちょう>・・・俺の家に伝わる先祖伝来の刀だ」


「なあ、あんたどうして、廃刀令のご時世でそんなモン下げて天下の往来を歩けるんだ?」


 当然といえば、当然の質問である。


「いいんだよ、なんたって俺は、『特別』なんだからさ」


 その言葉に、強い違和感を感じて沙嶺が顔を上げる。


 特別、と言う部分を特に強調しているその口調は、沙嶺の感覚を逆なでするような、不快な響きを持っていた。


「特別というのは、どのような意味ですか」


「警視庁大警視直属の隠密隊ってのがあるんだよ……で、俺はそこで、いろいろと裏方をやって回ってるってわけだ」


 対外的には伏せてあるが、川路というあの男、そうした汚れ役を手足として使っていたわけか。


「で……あんたらも、そうした口なんだろ?」


 綾瀬は、既に二人が川路の特認を受けた者であることを見抜いていた。


 そうでなくとも、警視庁を訪れる密教僧などいるはずも無い。普通なら胡散臭げな視線を投げつけるだけで、遠巻きに眺めているだけではあるが。同じ裏の人間であれば、自分と無関係であるとそっぽを向くわけにも行かなくなる。


 しかし、この綾瀬という男もまた、まだ完全に信用できると決まったわけでもない。


 特に、あの独特の喋り方は二人にはある意味、耐えがたいものがあった。おいそれとそうした個人的感情を漏らすようなことはないが、それと信用問題とはまた別だ。


「安心しな」


 綾瀬は膝を立てると、その横に太刀を構え、鞘から僅かに刀身を引き出して見せた。


 白銀の鋼の放つ光。しかしそれはただの金属光ではない。


 斬るために鍛錬され、火で炙られ、鎚で叩かれた鋼だけが持つ、禍々しいほどに純化された殺意の塊。振るうものによってその力が決定されるとはいえ、刃が一度も肉を断たぬままに終わることはまずありえない。刀の持つ輝きは、そうした不気味な気配をも併せ持つものであった。


 だが綾瀬が本当に見せたかったものは、それではない。鞘から引き出された刀身は、まるで鞘が封じ込めていたのかと思わせるほどに強い、気の流れを放ち始めたのだ。比重の重い煙のように、それは鞘を伝い、綾瀬の膝を打ち、馬車の床に沈殿していく。


 決して通常の視覚では見ることの出来ない、気。それも、特にただ一つの目的の為に昇華された気。


 すなわち、「斬妖の太刀」である。


「俺だってただの侍じゃあねえ。話してくれ」


 ぱちんと音がして、綾瀬は納刀した。その途端に、それまで絡みつくように漂っていた異様な気配はまるで霞のように、掻き消えていた。


童子斬どうじぎり、ですか」


 沙嶺の口から、一部の者しか知らぬ名が語られた。


 およそ千年以上も前、つまりは日本の政治が完全に霊威によって執り行われていた時代。霊的存在から天皇や国家を守護する役割を担っていた、対妖魔特務武官集団として天皇直属に存在した剱技が、童子斬と呼ばれる流派であった。


 彼らの多くは、術師としての一面をも併せ持ち、墨曜ぼくよう咒術師の中でも特に肉体的に優れたものがその地位に抜擢されていた。術の概念を剱術の世界に応用したその存在は、墨曜咒術師とともに、確かに日本の霊的護国の一端を支えていたものであったのだ。


「すげぇなあ、あんたらまだ生き残ってたんかぁ」


 率直な感想が、宝慈の口から語られる。それを耳にした綾瀬は、半ば自嘲とも取れる含み笑いを漏らす。


「そっちだって似たようなもんじゃねえか……まあ、んなことはどうでもいい」


「西郷殿から大久保殿へ。一通の書簡に、術が施されていた」


 簡潔な説明ではあったが、沙嶺の言葉に綾瀬の頬がぴくりと動く。


「現在は祓は終わっているけれど、あの術、まず西洋のものと見て間違いは無い」


 それをじっと聞いていた綾瀬は、頭をぼりぼりと掻くと、乱暴な仕草で上体を背もたれに預ける。


「はっ、そうかよ、そういうことが……なるほどね」


「何か、思い当ることがあるのですか」


 聞かれてもなお、沈黙を通していた綾瀬は、唐突に凄まじい眼光を放つ視線を二人に向ける。


「このことは、誰にも言うんじゃねえぞ」


 首肯を確認すると、綾瀬はがばりと身を起こした。


「西郷隆盛に、桐野利明……西南の役の首謀者と目されていたその二人は、政府の軍が突入したときには、既に殺されていたという情報がある。しかも、政府側でその二人を殺せるような人物は、そのとき誰もいなかった」


「それが、どう繋がるんだあ?」


「いいか、西南の役で西郷側の目論みは日本の再改革。つまりは諸外国の影響をできるだけ廃した旧体制を求める動きだ。そんな動きは外国の奴等にしてみれば、目の上のたんこぶだっただろうな」


 もし綾瀬の説が正しいとすれば、西南戦争は、国内の内紛では終結しなかったということだ。それも、一部の人間にしか知ることが出来ないほどの周到さで、外国の勢力が関与しているということだ。


 だが、どうしてその方法が呪術でなければならなかったのだ?




 二人を送り届け、一人きりになってしまった綾瀬は、しばらく馬車の客席の中で思案していた。


 やがて身を起こすと窓を開き、御者の男に声をかける。


「すまねえが、もう一仕事……ちょっくら頼まれてやってくれねえか?」

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