第三章第二節<将門公>
神田橋を渡り、憲兵本部の手前を右折した軍用ジープは、深夜の皇城周辺をけたたましいエンジン音を立てながら疾走していく。大手門の前まで来たとき、後部座席に座っていた柿崎がヒステリックなまでに大きい怒鳴り声を上げた。
「止めろォ!! 何処まで走らせる心算だ、この馬鹿者がァ!!」
ハンドルを握っていた下級将校がブレーキを踏み、ジープは玉砂利を跳ね飛ばしながら停車した。柿崎の指示があまりにも急だったもので、ジープは少し横にスリップしながら、シャフトを軋ませる。
「ではどうぞ、レディ・ルスティアラ」
慇懃というよりは、柿崎のそのような所作はいくら気取ってみせても下心が剥き出しになっているような気さえして見える。
「ありがとう」
ルスティアラは会釈をすると、ジープから降り立った。夜風がドレスの裾と長い髪を巻き上げ、ルスティアラはそれを押さえつつも夜闇にそびえる大蔵省を見やった。
「それで……あちらに、クビヅカというのが御座いますの?」
「おぉ、そうですぞ。では向かいましょうか」
柿崎は素早くルスティアラの斜め後ろから近づき、その細い腰へと指を回そうとする。しかし柿崎の太い指がドレスの生地に触れるよりも僅かに早く、ルスティアラの歩調が早められた。
「私、日本の歴史には疎くて……それはどのような場所なのか、教えてくださらない?」
「平将門という、大昔の武将に縁の場所と言われているんですよ……まあ、大抵が馬鹿げた噂話ですがね」
「興味があるわ。柿崎様は、そちらのお話はご存知ですわよね?」
ルスティアラの吸い込まれそうな瞳に覗き込まれ、柿崎の言動が怪しくなる。
熟考すること数秒。
「おい、貴様ッ!!」
「はッ、なんでありましょうか」
「こちらのご婦人に、将門公のお話をして差し上げろ! 貴様の下手糞な日本語でも充分理解してくださるほどの聡明なお方だ、心しろ!!」
「はッ、拝命仕りましたッ」
将校は敬礼をすると、ルスティアラに一連の話を披露し始めた。
曰く、一般には将門と呼ばれているこの男は桓武天皇の一族である、俗に桓武平氏と言われる血族である。
下総国猿島郡石井の豪族であり、一度は京の都に赴いて藤原忠平に仕えたとされている。政府の役人の中でも高位役職である
その先で、叔父国香と領地問題、そして女性問題で内紛を起こし、叔父を殺害。
その後、関東の土豪らの騒乱を取りまとめ、九三九年には上野、下野、常陸、武蔵、相模までを支配下に置くことになる。
これだけでも朝廷への立派な反逆罪となるところを、彼は呪術的にも凄まじい才覚を発揮し、八幡大菩薩の神託を言霊と化させしめ、自ら新皇と名乗りをあげる。
半独立国家となった関東一円の支配者将門に対し、朝廷は翌九四〇年一月、討伐隊を派遣する。
結局、将門は
「それで……反逆者のマサカドが、どうして祟りなんていう噂が立つの?」
「それは、彼の最期が原因とされているのです」
一説によれば、将門は北斗七星の化身たる影色の式神を七体操り、また合戦の際にはいくら刀で斬りつけようと、矢を射ようとも跳ね返したと言う。
そこまでに完璧な、戦乱系咒的加護を得た将門に対し、彼の愛人である、桔梗前が額が弱点であることを秀郷へと告解し、裏切りをしたという。
また、将門に新皇位を授けた菩薩の式神は、使役術者の名を藤原氏への最凶の怨念、菅原道真であると語った。
「まあ、面白い」
「世迷言はその程度にしておけ」
柿崎は、いかにも不満であるという風に鼻を鳴らす。自分から話をしろと言っておいて、ルスティアラが笑顔を浮かべて部下と話をしているのが気に入らなくなったのである。
「まあ、そんな噂がありまして……元はあの場所は神田明神という寺があったのです。それが今では移転して大蔵省が立ったのですが、その首塚だけがそちらに残りまして」
「どうして、一緒に移さなかったのですか?」
「まあ……それは、いろいろと事情がありましてな」
「祟り、ですか?」
「ばッ……馬鹿馬鹿しい!」
柿崎は、自分でもどうしてここまで動揺するのかわからなかった。ただ、軍人たる自分が、そこで祟りというような非科学的な言葉を発すること自体が、何かとてつもない罪業のような気がした。
「じっ、自分は……仏蘭西の軍隊形式を取り入れた栄光の日本陸軍上級甲位将校ですぞ!? 今の時代に、祟りや呪いなどッ……」
「そうね、そうだったわ」
ルスティアラはさもおかしいと言う風にころころと笑うと、くるりと踵を返した。
「行きましょう、柿崎様……一度、そのような場所は見ておきたくて」
柿崎はその後も同じ調子で怒鳴り散らし、大蔵省警護の任を仰せつかっていた警備の者らに無理矢理に開門させ、中へと踏み入った。
目的の場所は、すぐに見つかった。もっとも、正確に言うならば、目的の場所へと通じる大きな扉、であったが。
首塚に至るまでの道は、二重に遮断されていた。
一つ目は大仰な鉄格子であり、先端が槍のようになっているような、西洋門扉によくありがちなデザインをしている。さらにそれを越えてすぐのところには、あまりにも場違いとも言える社のような門があった。そちらのほうは木製であるが、近代様式を取り入れた政府官庁にあってはそれは異様な雰囲気を醸し出していた。
「この奥なのね」
「では」
鉄格子をくぐったルスティアラは、おもむろに振り向くと柿崎の目の前で鉄格子の扉を閉ざした。
「レディ・ルスティアラ!?」
「ごめんなさい、ここから先は、一人にしてくださらないかしら」
妖艶とも取れる微笑を浮かべ、ルスティアラは格子戸越しに肩を竦めて見せた。
「しかし、このような夜更けでは」
「官舎の中ですもの、大丈夫ですよ。それに……」
ルスティアラは悪戯好きの子どものような微笑を浮かべ、唇に人差し指を当てて小さく囁いた。
「レディのことをあれこれと詮索するのは、あまり紳士的とは言えなくてよ、柿崎様」
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