第二章第六節<終戦>

 熊本城の攻略に失敗した西郷軍は、その後も各地での戦闘を展開。しかし三月二十日、政府軍に田原坂を制圧された西郷は再び熊本まで撤退、さらに四月十五日には熊本においても敗戦を重ねることになる。


 元より戦略的な行動を何等取らぬ西郷軍が、西欧の近代兵器にて装備した政府軍に勝てるはずもなく、各地を放浪していく上で次々と攻撃を受け、見る間に軍は疲弊していく。


 そして九月一日。数百名まで激減した、最早軍としての体裁すら保っているとは言いがたい西郷らは政府軍の包囲網を文字通り死力をかけて突破し、鹿児島へと帰還。城下を占領して城山へと下る。


 既に、天命は誰の目にも明らかであった。





 夜半過ぎ、桐野はがばりと上体を起こした。眠りが遮断されるとともに、桐野は右太腿に鈍痛を感じた。着衣の下には幾重にも包帯が巻かれており、敗戦の折りに被弾した銃傷であった。


 ごつごつとした岩に手をつき、桐野は静かに立ち上がった。


 誰かの気配を感じる。それも、こちらにゆっくりとではあるが近づいているようでもある。


 西郷は、まだ寝ている。桐野は愛刀を携えると、ゆっくりと寝泊りをしている洞穴から外の様子を伺っていた。むっとする熱気は、日が没したといえども昼間のそれと比べ、少しも和らいだ様子もない。じっとしていてもなお、肌を湿らせていく汗に顔をしかめ、桐野が大きく息を吐き出したときであった。


 唐突に背後に気配を感じ、桐野は振り返った。


 果たして、そこには異装の男がいた。白衣に似た衣を纏い、刈った髪を後ろへ逸らしているために、無数の角のようなものが突き出ているようにも見える。狐のように細い目をかっと開き、その男は歌うように何かを口にする。


「黄金の戸口のなか、七つの噴水の側……見張るはヘスペリアの竜。聖なる見者の夢の中、常世に燃ゆる枝の如く、亜細亜の教会の象徴の如くに、あの栄光の噴出が現われたる」


「何者!」


 桐野は刀の柄に手をかけ、気合とともに声を放った。


 びりびりと空気を震撼させるほどの気迫を込めているにも関わらず、眼前の男は涼しげな表情を崩そうともせぬ。


「タカモリ=サイゴウ直属のサムライ・フェンサー……トシアキ=キリノ、だな」


「いかにも、我は陸軍少将桐野利明・・・名を名乗れ!」


「ならば名乗ろう。我はレオ・バッシェッカー。貴公らには最早勝機は無い、速やかに降伏せよ」


 びょうと風が吹き、レオの長衣をはためかせる。


「なるほど、異人か……ならば教えてやる。俺は「人斬り半次郎」の名を持つ男、命が惜しくば即刻立ち去れぃ!」


 それに対し、レオは薄ら笑いを浮かべただけであった。


 引く代わりに、レオは長衣の裾を開き、右腕を露にする。剱術などには縁がなさそうな、細い手首には太い銀色の腕輪が嵌められていた。手の甲に位置する中心には小さな紅玉が埋められており、その周囲には薔薇を象った彫刻が刻まれている。


 腕をついと上げ、桐野に手の甲を向けて見せる。


 と、次の瞬間、桐野は我が目を疑った。レオの腕輪の一部が、まるで生き物のように手の甲を這ったのだ。下から上へ、重力に逆らうような動きでそれは中指に巻きつき、さらに伸びる。


「……魔法の水を三度、翼竜は飲み干さねばならぬ。されば鱗は弾け飛び、心臓は二つに分かたれよう。流出は放たれ、聖なる形が現れよう」


 銀色のそれは指を覆い、さらに伸び上がる。指を数倍するほどに伸張していくそれは、先端部分が鋭利な輝きを宿すほどになる。


「そして太陽と月が汝を助けるならば、魔法の鍵は汝のものとならん」


 手首を翻すや、銀色の針のような武器はびゅんと空を裂く。


「我は神霊の錬金を学ぶもの。一介の剱士などには遅れは取らんよ」


「そうか、貴様、妖術師か!」


 桐野は刀を抜き放つと、それを正眼に構える。たったそれだけで、桐野の構える刀身からは陽炎のような揺らぎが立ち昇った。


「人の道を外れた鬼道の輩ならば遠慮は無用……参る!」


 ざん、と下生えが鳴ったかと思えた瞬間、桐野は恐るべき踏み込みと脚力によってレオの懐に飛び込んでいた。


「きぇぇいッ!」


 振りかぶった刀をレオの左肩に叩き込み、腰をひねって返す刃で胴を凪ぐ。確かな手応えを感じつつ、桐野はそのまま渾身の力をこめて刀を振り抜いた。薄ら笑いを浮かべたままのレオは、致死の連撃を受けたまま、表情を凍りつかせている、かに見えた。


 しかし、桐野の眼前でレオの姿は水面に映る幻の如くに揺れ、そして銀色の飛沫を振りまきながら崩れていく。


「なっ……」


「なるほど、ただの剱士ではないか……分身を斬り伏せるその力、ドウジギリか?」


 声は後ろからした。


 崩れたものは、水銀の塊。ぶよぶよのそれから、次の瞬間に無数の棘が突き出され、桐野の胴に幾条もの穴を開ける。


「がはッ……」


 膝をつくことも許されず、桐野は己を貫くその槍に身を任せる恰好となる。ぎりと奥歯を軋らせながら、血に濡れた口元を食い縛って振り向く桐野の視界に、背後のレオが映る。


「諦めろ、この国の動きはもう貴様等などには止められん」


 がくん、と桐野の躰が痙攣した。


 後頭部から眉間に至るまで、あのレオの水銀のエストックが突き通されていた。桐野から力が抜けると同時に、エストックはずるずると縮み、分身を構成していた水銀と流れを一つにし、レオの腕輪へと吸い込まれていく。


 しっかりと水銀が固定されたことを確かめると、レオは倒れ伏す桐野を一瞥し、そして立ち去った。





 同日未明、西郷軍は壊滅的な打撃を蒙ることになる。幹部の悉くは戦死、もしくは自刃の道を選び、そして西郷も己の命を絶った。


 こうして、西南戦争はその幕を閉じることとなる。


 ちなみに、私学校生徒を奮起させたあの電報の真相は、<ボウズ ヲ シサツ(視察) セヨ>であるという見解も持たれている。


 もしそうであったならば、西郷隆盛は無謀ともいえる挙兵をしなかったのではなかろうか。そして、日本の歴史は、違った流れに身を委ねていたのかも知れぬ。


 もうひとつの日本では、西郷は如何なる役割を果たすことになったのであろうか。




 一八七七年九月二十四日、残暑の厳しい日の出来事であった。

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