第七章第一節<Unique ability>
不意に、ドアの蝶番が軋む音がメイフィルの鼓膜に飛び込んできた。
そのときになってはじめて、メイフィルは自分がいつの間にか眠ってしまっていたことを知る。はっとなって、体を起こすメイフィルの視界に、ドアを開けて顔を覗かせるヴェイリーズの姿が映る。
「あ、あのっ、ごめんなさいっ」
容態を見ていてくれ、と言い残されていたメイフィルは、慌てて顔に残る居眠りの痕跡を消そうと自分の顔を擦る。だがその反応に、ヴェイリーズは苦笑を浮かべるだけで、寝台の上で規則正しい呼吸を繰り返すラーシェンに視線を映す。
「……大丈夫みたいだね」
呼吸音に、雑音が混じっている様子はない。それを聞いて、メイフィルも肩の力を抜く。
廃屋の階段を下ってから、三人は入り組んだ地下隧道を進み、そしてこの場所へと到達したのであった。
この場所は、同じ地下であるということを除けば、一切の情報が不明なところであった。部屋につけられた、通気孔のファンが回っている音以外は、一切の音が入ってこない。詳しい位置関係はもちろん、これが都市のどの辺りになるのかさえ、全く分からないのだ。
既にラーシェンは大量の吐血をしており、意識はない状態であった。素人であるメイフィルにも、それが危険な状態であることは一目瞭然。
しかしヴェイリーズは、投薬や医療機器による検査などの処置をすることなく、粗末だが清潔な寝台にラーシェンを寝かせ、着衣の締め付けを緩めただけであった。その後もメイフィルに容態の観察を言い残して、その場を立ち去っていたのだ。
だがそれからの状態は、一度も咳き込むことも血を吐くこともなく、ただ昏々と眠り続けているのみ。容態が落ち着いていることは確かだが、それがヴェイリーズの措置によるものかどうか、判断がつきかねる。
「あの、ヴェイリーズさん、お薬とかは……」
「薬で治るものじゃないんだ、それは」
ヴェイリーズは部屋の中に入ってくると、入り口に近い壁にもたれた格好で、眠るラーシェンを見つめている。
そうだ。メイフィルには、まだ知らないことが多すぎる。
四日ほど前までは、メイフィルは、外の世界に飛び出すなど考え付きもしなかった、辺境で育った普通の娘だったのだ。ラーシェンの身に何が起きているのか、それを考えられるほど、メイフィルは情報を得ていない。
「病気じゃない、んですか」
「病気だよ」
ヴェイリーズは壁に預けていた躰を起こすと、ラーシェンの寝ている寝台に近づいた。
「彼の病気はね、僕たちは放浪病、って呼んでいる」
放浪病。
その名の由来は、定住者よりも旅人のほうが発症率が高いことにある。原因は、内臓に怨念が蓄積することにあった。
通常、怨念が宿る対象は個人の肉体全般である。
だが定期的な「祓」をしないままに長時間が経過すると、人体の固有の部位に怨念が浸透してしまう現象がおきることがある。一箇所に集中して宿る怨念は、次に怨念が付着した際にはその部位に集中する引力を生む。
そうして繰り返し蓄積する怨念は、通常では考えられない濃度にまで到達してしまう。蓄積した怨念によって、こうしてラーシェンのように行動不能に陥る場合もある。原因が怨念であるため、通常の病魔のように薬物による治療は一切意味がない。これを治癒させられる手段は、ただ一つ。
「どうするの」
「
対象が怨念であるため、理論的にはそれを除去することが優先される。
祓を行い、そして傷ついたり弱っている臓器を投薬によって回復させることで、放浪病を駆逐することはできる。だが、あまりにも怨念蓄積が長期にわたっている場合は、祓によっても完全に怨念が除去しきれぬ場合がある。
そのようなときには、祓も投薬も根本的な解決にはならぬ。最早その肉体の部位を切除することによってしか、解決策はない。
「ラーシェンは、どうなの」
「祓をしてみなけりゃ、わからないよ」
メイフィルもまた、不安を隠せない面持ちでラーシェンの寝顔を見つめる。
あのとき、辺境の村で保安官が持ち出した怨念濃度計のせいで、ラーシェンの躰に宿っている怨念のことを、すっかり忘れてしまっていた。
だが、ラーシェンの異変の正体が判明したことで、メイフィルの中で、もう一つの疑問点が浮かび上がってくる。
「あの、助けていただいたことは感謝してます、だけど……どうして、私たちを助けてくれたんですか」
矢継ぎ早に繰り出される質問に、ヴェイリーズはやれやれとため息をついた。だが、それも無理はない。メイフィルの立場にしてみれば、自分が理解できる範疇を超えたところで、事態が急展開をしているのだから。
「ちょっとした事情があってな……俺は、こいつの腕を買ってたんだが」
いまだ意識を取り戻さないラーシェンを見やり、ヴェイリーズが呟く。
「君は何が出来るんだ?」
それは、挑みかかるような視線だった。そのヴェイリーズの意図を、メイフィルは読み取っていた。
凄腕の
その連れとして、自分はあまりにも異質であった。
戦いができるわけでも、特殊な能力があるわけでもない。事実、警備兵に銃を突きつけられているときでも、自分にできることは何一つなかったのだ。
事情を知らぬヴェイリーズがそう感じても、当然だ。
メイフィルは立ち上がると、視線を受け止めつつ、ヴェイリーズに聞き返した。
「ここに端末はある? 多少古くてもいいんだけど?」
予想していなかった反応に、ヴェイリーズは躊躇いつつも、首を縦に振った。
「あるにはあるけど……どうするんだい」
「私の能力。知りたいんでしょ」
別室に案内されたメイフィルは、薄汚れたテーブルの上にキーボード式の端末を見つけた。まだ電源を入れていないそれの設備を確かめて、メイフィルはヴェイリーズに向き直る。
「ネットワークに接続、できる?」
「……っあ……っとぉ……確か、ここらへんに……」
その応対の様子から、ヴェイリーズの端末についての知識が乏しいことは想像ができた。なにやらガラクタが押し込められている中から、無線接続ができる機材を発掘し、メイフィルに渡す。
「ありがとう」
端末に向かったメイフィルは、その機材にまとわりついた数年分の埃を指先で払うと接続、電源を入れる。
画面に文字が瞬くように表示されると、メイフィルの指がリズミカルにキーボードを打ち始める。長らく使っていないことから推理を進めたが、やはりこの端末ではネットワークに接続する情報が入っていない。
そこでメイフィルが向かった先は、一定期間のみゲストユーザーとして接続が可能なサービスを行う企業であった。偽の個人情報を打ち込み、認証されると同時にネットワークへと接続。
だがこの手のサービスにはありがちな制限として、接続先への規制プログラムが働いていた。メイフィルはゲストユーザーとしてログインしながら、外部から企業のサーバーへのアクセスを開始。
当然のことながらパスワードの認証を求められ、メイフィルの指が一度、止まった。
何をする気かと目を見張るヴェイリーズの前で、メイフィルは端末に一枚の光学記録ディスクを挿入。
画面に新たに映し出される表示の中で、10桁の数字が高速で回転を始めた。
見る間に数字が特定されていき、10桁全ての数字が表示されるまで1分とかからない。メイフィルはパスワード認証を突破し、ゲストユーザーとしての制約を解除するため、登録された有料ユーザーの名前をランダムに表示させ、そのデータを上書きしていく。
驚くヴェイリーズの目の前で、メイフィルの操る端末上では、彼女は五十代の実業家に成りすましていた。
「ホストサーバーのデータをコピーしたわ。現時点では電源を切れば情報は抹消……でもキーを押すだけで、全財産を児童福祉サービス事業団に寄付することもできるんだけど?」
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