第五章第二節<Dream in amber>
ちょっとした散歩のはずが、とんでもなく時間を取られてしまった。苦笑しながらラーシェンが宿に戻るころには、既に日付は変わってしまっていた。
久しぶりに飲んだ強い酒のせいで、考えていたより酔ってしまったようだ。ふわふわとした感覚によろめきながら、なんとか宿へと辿り着いたラーシェンは、一歩ずつを踏みしめるように二階の客室へと続く階段を上っていく。廊下を少し歩き、キーカードを認識させてドアを開けるラーシェンは、部屋の中がやけに静かなことに気づく。
そっと足音を忍ばせて中の様子を伺うと、部屋の中からは規則正しい呼吸が聞こえてきていた。それがメイフィルのものであると分かったラーシェンは肩の力を抜く。
部屋に入ると、ベッドはメイフィルに占領されてしまっていた。二つあるベッドの一つは荷物置き場になっていたし、メイフィルは毛布の上で既に熟睡してしまっている。はてどうしたものかと思い悩むラーシェンの視界に、そのとき奇妙なものが入った。テーブルの上に置かれていたのは、ラーシェンが愛用していたものと同じサイズの、皮製の手袋であった。
だが、それだけではなかった。手袋から伸びているコードは、腕に巻くような形状の装置に繋がっている。手にとってはじめて、ラーシェンはそれが何であるのかを理解した。
メイフィルは、VAを改造するといって部屋に残ったのではなかったか。それが、これだとしたら。
手袋は利き腕とは逆の、左手のものである。試しに手袋に指を通し、腕にバンドで装置を固定すると、それらがほとんど重量を感じさせないものである事が分かった。手首で手袋を固定すると、それは不思議と腕に馴染んだ。肘までの部分がメインのコンソールになっているらしく、電源を入れると簡易液晶タイプが点灯する。
確か、メイフィルは見た目が派手なものはバッテリーの容量をすぐに食い尽くしてしまう、と言っていたではないか。
だが、驚くのはまだ早かった。
システムが立ち上がり、メニューの一覧が表示されたと同時に、手袋の手の甲の部分に光が灯ったのだ。慌てて手袋を返してみるラーシェンの目の前で、手袋の甲に埋め込まれた薄型軟式の液晶ディスプレイに<
まだ実戦を経験していないからわからないが、あれだけのVAを携帯式の、しかもバッテリーへの負担を考慮に入れたタイプへと改造するなど。
しかもこの短時間にだ。
ラーシェンはそれを静かにテーブルに戻し、隣で安らかな寝息を立てているメイフィルを見下ろし、そして微笑を浮かべる。今からベッドから荷物を下ろしてもよかったが、久しぶりの強い酒は次第にラーシェンに睡魔をもたらしている。
ラーシェンは外套を肩にかけ、腕の中に太刀を抱き、ラーシェンは目を閉じた。冷たい床も、固い壁も、然程苦にはならず、ラーシェンの意識は急速に眠りへと落ちていった。
ラーシェンは、夢を見た。
遠い過去の夢。そして、思い出したくなかった、忌まわしき夢。
暗い店の中だった。
窓からは、全てを琥珀の中に閉じ込めてしまいそうな、夕暮れの光。天井につけられたプロペラには、すっかり蜘蛛が巣を張っている。
自分は、カウンターの椅子にぽつりと座っていた。顔を上げると、酒瓶が並んだ向こうに、女性が座っているのが見えた。目が合うと、女性はにこりと微笑んだ。
「どうしたの、そんな顔して」
ラーシェンはそれには答えず、顔をもう一度伏せた。
「ここを出よう」
女性は困ったように微笑み、そして視線を外す。
「その話は……」
「どうして、君は迷っているんだ!? ここを離れることに、どうして……」
「旅をしていた人には、分からないと思うわ」
細い指を組み、そして女性は窓の外を見やった。
「ここはね、どんなに貧しくても、寂れていても、私が育った場所なのよ」
何気ない街角にも、潰れそうな露天商も、そして往来を行過ぎる人々の横顔も。
全てに、思い出が宿っている。自分がそれまでに大切にしていたアルバムを投げ捨てるようなことは、できるはずがない。
これまでにも、幾度となく繰り返した内容。ラーシェンは、何故か執拗にこの星域を出たかったのだ。
理由は。
酒場で出会い、そして子を設けた女性の苦しい境遇を知っていたからか。
いや、それだけではない。あの時の俺は、怯えていた。
「でも」
だん、とカウンターを叩いた、そのとき。
店の戸が開き、中に三つになる娘が息せききって駆け込んでくる。
「パパ、ママ、ねえ、お空!」
「どうしたの、そんなに慌てて?」
その横顔は、やはり心労にやつれていたが、娘にはそんなことが分かるはずもなかった。
「お空、お空見てよ、ねえ!」
「はいはい」
娘を宥めながら、女性が腰を上げたときだった。
はっとなるラーシェンは、カウンターから店の窓へと足早に駆け寄った。
輝く天空。
しかし、ラーシェンが見たのはそれだけではなかった。
光の中に、無数に舞う影。車輪のように回転するそれの周囲に浮遊しているのは、ぞっとするほどに鋭い視線を放つ眼。
しかし、それが、どうして今。
逃げなければ。だが何処へ。
がちがちと鳴る歯は、ただ一言、それらの名を口に出来たに過ぎなかった。
「
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