第五章第一節<Inscribed sword>

「そりゃあ、あんた、勝てねえ訳だわ!」


 豪快な笑い声と共に、広場にいた男は隣に座るラーシェンの背中を叩いた。そして、右手でカウンターに置かれたショットグラスの中身を喉に流し込み、グラスを乱暴に戻した。


 分厚いグラスの底が、金属板でコーティングされたカウンターに当たって小気味のいい音を立てる。強いアルコールが男の喉へと流し込まれ、胃へとゆっくりと降りていく感覚を味わいながら、男は無精髭でざらつきはじめた顎を撫でながらため息をついた。


 広場での決闘から一時間後。


 二人がこうしてバーで酒を飲んでいるのには、訳があった。


 約束の一分が経過し、男が申し出た延長戦を五分経過しても、決着は着かなかった。そもそも、男が勝つということは、相手の攻撃を制限時間内で躱し切るということ。そして、挑戦者が勝つということは、制限時間内で男に攻撃を命中させるということ。


 つまり制限時間というものを取り払ってしまった場合、男の側が限りなく不利になるゲームなのだ。制限時間が存在せず、相手はいつか尽きるであろう男の体力を消費させる攻撃を続ければいいのだから。


 だが、互いの戦闘能力が拮抗しているこの状態において、互いが疲弊するまで戦闘を続けるのは、明らかに得策とはいえなかった。


 そこで、男は申し出たのだ。


 特別なルールを追加しよう、と。


 新しいルールでは、男もまたラーシェンに攻撃を加えることが出来る。男の攻撃がラーシェンに命中した場合は、ラーシェンが50000相当の希少金属を支払う、というものであった。


 最早引き下がる事はできず、また腕の立つ男に出会えたことで、ラーシェンは承諾した。


 それから七分。互いの攻防はさらに熾烈を極めたが、ついに最後の瞬間は訪れた。


 男の体術は伊達ではなく、回避に専念していた男が攻撃に転じたそのときから、もはやラーシェンには余裕というものはなくなっていた。矢継ぎ早に繰り出される拳打を躱すのが精一杯で、男の踏み込みや躰の動きを予測することができない。


 Chevalierシュバリエールの能力によって生み出された、神速の拳打をぎりぎりで躱す。本来の力を出していないのは当然だが、しかし速度は恐ろしいものがある。右腕の肘から先が凄まじい速度で空を切り、一瞬にして三連続の拳打が放たれる。


 上体を仰け反らせるラーシェンに、左からの肘が牽制で繰り出される。


 防禦は意味を成さない。たとえ防禦でも、命中すれば自分の負けだ。膝の可動範囲ぎりぎりで躱すラーシェンに、態勢を整えた男の右がさらに襲い来る。


 左足に激痛を感じながら、無理な体勢からラーシェンが跳ぶ。


「……もらった!!」


 ぐん、と視界に男が迫る。一瞬の選択が誤りを生んだか。


 否。まだ手はあるはずだ。


 伸ばせば届く右足に力を込め、態勢を崩すのを覚悟の上で、ラーシェンは地を蹴った。ぐんっと持ち上がる下半身の回転を利用した蹴り上げは、確実に男の虚を突くことに成功していた。弧を描く爪先に、男は懸命に首を捻って躱すと同時に、蹴りを放つ。既に回避行動の取れないラーシェンは、脇腹にその蹴りをまともに喰らい、後方に吹き跳んだ。


 それでも充分に手加減はされていたのか、ラーシェンは見た目には派手でも実質的なダメージはほとんどなかった。その場で上体を起こした男は、にやりと笑うと振り抜いた足を軸足を中心にして戻し、にやりと笑う。


「俺の勝ち、だね?」


「そう、かな……?」


 むくりと起き上がるラーシェンが指差す先。男の着ている、ゆったりしたシャツは、胸から襟ぐりにかけてがすっぱりと切り裂かれていた。


 武器の類は事前に外してある。ということは、あの状態からの攻撃は、服を裂くだけの威力が隠されていたというのか。


 愕然となる男の目の前で、起き上がったラーシェンは外套についた砂埃を掌で払っていた。




「結局、勝敗はついてないしな」


 ラーシェンは自分のグラスの酒を煽る。


 と、ふと隣から男が右手を差し出してきていた。何の真似だ、という表情を読み取ったのか、男は照れ笑いを浮かべながらへへっと鼻を擦る。


「まだ、名前も言ってなかったよな……俺はヴェイリーズ・クルズ」


「ラーシェン・スライアーだ」


 右手を握り返すと、ヴェイリーズはちらりと視線を落とした。


「さっきも見たんだけどよ、あんた、SchwertMeisterシュベールトマイスターなんだろ?」


 ラーシェンはすぐには頷かなかった。少し周囲を気にする素振りを見せた後、小さく首肯する。その動作で、ラーシェンの言わんとしていることを理解したヴェイリーズは、肩を寄せて小声で囁く。


「……銘は入ってんのかい?」


「ある」


「あっちゃあ……」


 ヴェイリーズは自分の額を叩くと、わざとらしく顔をしかめてみせた。


「銘入りの太刀持った人間と決闘なんて、するモンじゃあねえぜ……あんた、星団でも銘入り持ってんのは四人きり、なんだろ?」


「詳しくは知らん」


 銘、というのは、黒塗りの鞘に金箔で紋様が描かれている太刀のことを指す。通常の武器とは明らかに区別されるそれは、ラーシェンの話の通り、魂を喰らう妖刀と恐れられていた。


 太刀は全部で十五本がその存在を確認されているといわれているが、十五本全ての特徴、所有者その他の情報は殆どない。現在はヴェイリーズが言うとおり、星団世界において四人のSchwertMeisterが太刀を所有していることが知られている。


 否、正確には四本の太刀の存在が知られているに過ぎないのだが。


 まず一つ目が、ラーシェンの持つ<雷仙らいせん>。


 そして、二本目は王家に代々伝わるとされる<碧蛟へきこう>。


 居場所は定かではないが、漂流を続ける隠者として暮らす凄腕のSchwertMeisterと言われている者が持つ、<竹雀ちくじゃく>。


 最後は<Dragon d'argentドラゴン・ダルジャン>にいる女剱士が持つとされる、<胡蝶こちょう>。


 その四本の太刀はいずれも名は広く知られているが、実物を見たというものはいない。それ故、ヴェイリーズの興奮も分からなくはないが、しかしそれにしては「見せてくれ」という依頼までは口にしなかった。


 人目をはばかっているのを気にしたのか、それとも酒の席と話半分で聞いているのか。これで七杯目になる酒を一気に煽ると、ヴェイリーズは椅子にかけた上着を取ると、ポケットから硬貨を取り出してカウンターへと放る。


 辺境では実質的な希少価値を持つ金属の類が金銭の代わりとなるが、こうしたある程度は流通の影響を受ける都市部では、硬貨が一般には使用されている。


「そいつは奢るよ。じゃあな、久しぶりに楽しかったぜ」


「ああ」


 ラーシェンも右手を挙げ、微笑みを浮かべる。満面の笑顔を浮かべつつ、ヴェイリーズは店の入り口へと向かう。


 優に二メートルは超す身長の男の脇を通り過ぎつつ、上着から携帯式の通信機を取り出し、回線を開く。


 相手はすぐに出たようだ。


「銘入りのSchwertMeisterを確認……願ってもない収穫だ。今からそっちに戻る」

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