間章Ⅴ<黒薔薇の花弁>
一定の間隔を置いて、何処かの計測器から電子音が響いていた。
鋭く甲高いそれも、この薄暗い部屋の中で聞いていれば、いつしか子守唄のような催眠効果となって神経を眠りへと誘う。無数の機材が所狭しと不規則に並び、積み上げられたその空間。
空気を吸い込むと、微かに薔薇の香りがした。見回しても、何処にも窓らしきものはない。薄闇が、まるで樹脂のように、部屋の中を満たしている。
そして、部屋の中央には、クリスタルの巨大なシリンダーがあった。
2mを越えるほどの巨大な容器。その容器の底面から放たれる緑色の燐光が、部屋で唯一の光源だった。
そしてそのシリンダーには、一人の少年が入れられていた。目を瞑り、穏やかな表情の少年。緑色の光に照らされているその少年は、衣類というものをまったく身につけていなかった。無駄な肉がついていない、すらりとした痩身に、筋肉がうっすらを纏わりついている。
力強さを感じさせる躰ではないが、同時に虚弱さを内包しているのでもない。年齢は、十代の前半といったところか。
奇妙なのは、その少年の周囲に、黒い薔薇の花弁が空中に静止していることであった。落ちるでもなく、浮かんでいるのでもなく。まるで本当に縫いとめられているかのように、微動だにせず、何の支えもなく、そこに花弁は止まっていた。
ここは何処なのか。少年は何者なのか。
それらの答えを導き出すよりも早く。
シリンダーの周囲に、三つの人影が現れた。
若い黒い革衣装を身につけた戦士。淡い色彩のドレスを纏う淑女。卵のような殻に身を納めた翁。
「ちょっと……今回、やばいんじゃないの?」
女が低く呟きを漏らす。
「確かに、のう」
笑いとも咳払いとも取れる呼吸音とともに、翁が相槌を打つ。
「この世界に、残る写本が集まってきておるよ」
「だが、いまだ
「そこよ」
不安を隠しきれない表情で、女が振り向いた。
「写本は、もう時が熟するのを待ってはいないわ……一刻も早く力を取り戻し、神都を食い尽くす手筈を整えてるはず……」
「それまでは、写本の目的は生贄を使って目的を成就する、その一点においてのみ、共通する存在だったのにのぉ」
ここに来て、写本はその存在を維持する必要がなくなった。その気になれば、一瞬にして数万キロメートルの距離をゼロにすることもできる存在になりえたのだから。
「確かに、この世界は……写本にとって都合はいい」
「存在を隠すだけの、許容量を孕んだ世界」
三人の視線の中で、薔薇の花弁は僅かに下降したようであった。
それも、ミリ単位で角度が変わった、程度のものだったのだが。
眠る少年には、何の変化もない。
三人は、それぞれ手に携えるものがあった。
女は錫杖。
男は黒剱。
翁は銀珠。
そして、黙したまま、三人は一人また一人と薄闇に溶けるように姿を消す。最後の淑女の錫が涼やかな音色を立てながら消えたとき。
シリンダーの中で、少年の瞼がぴくりと動いた。
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