第三章第三節<Chevalier>

「兄ちゃん、ちょっくら試してみねえか? 金は俺が出すからよぉ」


 酔っ払いの腕を振り払ったラーシェンであったが、時は既に遅かった。立ち回りを見に集まっていた野次馬たちの視線が、一斉にこちらに向いてくる。


 ち、と小さく舌打ちをしてから、ラーシェンは無理やりに自分を取り囲むようにしている野次馬たちを押し退ける。乱暴に押し遣られた者たちはみな、不満そうな表情をあからさまに向けながら、去っていくラーシェンを見やる。


 だが広場を数歩も歩かぬうちに、ラーシェンは背後から再度、呼び止められることになる。人垣が割れ、金髪の若い男の声がラーシェンを引きとめたのだ。


「お客さんなら、半額の250でいいよ、どうだい?」


 足を止め、振り返る。輪の中で、タオルで汗を拭っている男が、こちらに笑顔を向けてきていた。その表情、その双眸に影はない。ただ純粋に、戦いを愉しんでいる人間の顔だ。


 このままでは無理をして断るとさらに面倒なことにもなりかねない。諦めたラーシェンは、踵を返して人垣の中へと入った。視線が自分と男とに集中する。両手を広げ、自分が何も武器や機械の類を装備していないことを示しつつ、男は説明を始めた。


「お互い、素手の殴りあいだ。武器は一切使用不可、幻術符術その他の魔術支援効果の機器も使用不可。挑戦者は、僕の躰に何処でも、一発を当てるだけでいい」


 男は自分の拳を頬に当ててみせ、にやりと笑った。ラーシェンは頷き、そして外套を開いてベルトの留め金を外した。太刀と銃を吊ったベルトを頭上に投じ、迫り出すようにして伸びている彫刻が持つ槍の穂先に引っ掛けた。足元に置いていたのでは立ち回りの邪魔になるし、かといって端に置いてあったのでは盗まれても文句は言えぬ。


「相手にとって不足はない……どうぞ?」


 腕を広げ、男は微笑んだ瞬間。


 男の視界から、黒い外套は消えうせていた。殺気の塊が、左側方から叩き付けられてくる。刹那で間合いを詰めたラーシェンの拳が大きく振りぬかれる。


 その瞬間、男の躰は宙を舞っていた。


 吹き飛ばされたのではない。恐るべき脚力で、頭上に跳躍したのであった。ただ単に、拳打を躱すだけならば身を屈めればいい。不用意に跳べば滞空中は身を守ることは難しくなるからだ。


 しかしラーシェンはそれを見越して、拳打にやや遅れる形で下段に蹴りを放っていたのであった。


 視覚で確認したのでは遅すぎるタイミング。それを肌で感じ取ったのか、それとも卓越した戦闘のセンスが直感させたのか。空中で重心を移動させ、腹筋で足を跳ね上げさせることにより、着地までの時間を切り詰める。


 そのときには既にラーシェンは新たな攻撃に移るべく、間合いを離していた。その表情に、笑みはない。ラーシェンもまた、先刻の連撃が命中するとは思っていなかった。


 ただ、これまでの相手とは違う、ということを知らせるための攻防。


「……やるね」


「後悔はしてないな?」


 ラーシェンは軽く拳を握ったままの構えで、とんと地を蹴った。




 間合いを詰めつつ、ラーシェンは男の正体を、半ば確信に近いところまで感じ取っていた。


 Chevalierシュバリエール


 先天的な能力として、天文学的な確率で自然発生する特殊能力の一つであった。外見は何等、通常の人間とは変わらない。


 だが、躰を構成する骨格、筋力、神経の強度と密度は常人の比ではないものを有する。常人では対応不可能な反射神経と動体視力を持ち、またそれと同等の速度で己の躰を操ることができる。拳打蹴撃は言うに及ばず、剱を握らせれば切っ先は音速を超えるために衝撃波を宿し、銃火器を扱わせれば着弾よりも前に多方向からの射撃を可能にするほどである。純粋な身体能力もそれに比例しており、膂力や耐久力といった全ての肉体的能力の点において、常人を凌駕する特殊能力者。


 だからこそ、相手の足の運び、体格、反応速度から正確な攻撃射程距離を割り出し、ぎりぎりのポイントで回避することができたのだ。


 恐らく、男にしてみれば常人の攻撃など、脅威の対象にもならぬのだろう。物理的な速度は通常の人間と同じものを感じながら、相対的に自分のほうがキャパシティとして上回っていれば、強化骨格を持つ相手であったとしても、緩慢な動作にしか見えないことだろう。


 間違いない。


 常人には不可能な、そんな芸当ができるのは、Chevalierだけだ。




 もう、次からは同じ戦法は通用しないのだ。今度の攻撃は姿をくらますことはしない。


 否、できなかった。一瞬の隙をつき、相手の知覚範囲ぎりぎりに身を躱すことで、あたかも「消えた」ように錯覚させる奇襲攻撃。


 だが二度目は、男もラーシェンの力量を警戒している。気を張っている範囲も当然、広くなる。緩やかな拳打を放つと、それを男が最小限度の動きで躱す。


 これまでに幾度も見てきた、あの技だ。攻撃を仕掛けたほうは、ギリギリの瞬間まで命中することを疑わない。それほどに紙一重の差で、男は攻撃範囲を認識できるのだ。


 だがラーシェンは肘を曲げることで拳打の慣性を相殺。鞭のようなしなる動きで、裏拳を再度繰り出した。今度ばかりは男も回避の限界であった。


 まるで地に飲まれたと思わせるほどに素早く身をかがめると、今度は足ではなく右掌で躰を支え、横方向に躰を捻りながら跳ぶ。取り巻いている人々から歓声が上がる。ラーシェンはそれを追うようにして身を屈め、地面すれすれを跳躍した。


 まるで漆黒の獣を思わせる動きで外套をはためかせつつ、攻撃の手を休めない。繰り出される拳打のうちいくつかは寸毫の間合いで躱すことができるのだが、それ以外はどうしても大きな回避行動を取らざるを得ない。そして、回避行動とはすなわち、男がそれだけ追い詰められていることを物語るものであった。


 何故なら、これまでは射程範囲の予測と回避行動とが同時に処理できる相手であった。だからこそ攻撃をぎりぎりで躱すことにより、攻撃が命中するかもしれない、という期待を相手に抱かせることができた。


 だが今回は違う。攻撃それ自体を回避しなくてはならない必要が生じてくるのだ。故に、男は屈む、跳ぶ、受身を取るといった回避行動を取らなくてはならなくなる。着地する男の掌の中で、計測器が一分を知らせるアラームを鳴らすが、男はそれを止めてしまう。


「延長戦を無料サービスだ……受け取ってくれるかい?」



「喜んで」


 ラーシェンの承諾の言葉に、歓声が一際激しさを増した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る