第三章第二節<Punching bag>
VAの改造に熱中するメイフィルを一人宿の部屋に残し、ラーシェンは街へと出かけることにした。これだけの様々な人種が行き交う中であるにもかかわらず、治安は驚くほどにいい。
否、発想の転換故か。金と名声、地位と一夜の友を求めて集まる荒くれ者たちは、決して粗野で無鉄砲な男たちばかりではない。そうした、腕っぷしと銃火器だけに頼っているのであれば、恐らくは生き残れまい。他人を出し抜くための、何等かの能力を持っているからこそ、こうして今日も命を繋ぐことができるのだ。そうした、決して他人に切り札を見せないままに寄り集まる中では、不用意に犯罪に走る気にもなれない。
ラーシェンはふと、今しがた擦れ違った巨漢の男を振り返った。身長は優に二メートルを越え、かろうじて衣服の形状をとどめている程度の襤褸を纏った男。頭は見事に剃り上げられ、大きく愛染明王の種字を刻印した男であった。あのような、見るからに重戦士系のスタイルをした男であるが、それだけの能力ではないのだろう。たとえば敏捷さに劣るだろうからと財布を狙ってみたところが、逆に返り討ちに遭う例も数え切れないほどにあった。
お互いが牽制しあう中で生まれる、見せ掛けだけの治安の良さ。絹糸一本で保たれているような危うい均衡の上に、この街は成り立っているのだ。
人ごみに流されて歩きながら、ラーシェンはふと頭上を見上げた。障壁の向こうに消えていく、あのループコースター。一般には「船」とだけ呼ばれることの多い、交通手段であった。民間の旅客船、そして小型の艦船が使用可能な設備を整えている街を、故に「港」と呼ぶ。
そう、この街は辺境では数少ない「港」なのであった。しかもその船は通常の航行ルートではない。活動可能領域同士を繋ぐ、回廊航行を目的にした超長距離航行船舶専用の港であった。
頭上で大きく弧を描く加速レールを尻目にしながら、ラーシェンは大通りから繋がる広場に足を向けた。
特に理由はない。強いてあげるなら、メイフィルが没頭しているであろう作業の邪魔をしたくない、というところか。
本当なら、この辺境の街には長居をするつもりはなかった。情報と食糧、そして必要な備品のいくつかを手に入れられれば、すぐにでも出立したいところであった。
だが、まるでラーシェンの興味を引き止めるように、耳に飛び込んでくるざわめきがあった。
聞いていると、時折人々の歓声とどよめき、そして怒号が聞こえてくる。喧嘩でも起きているのか、と思ったが、もしそうならば自治警察の一人や二人、すぐにでも飛んでくるだろう。
そのときだった。ラーシェンの傍らを掠めるようにして、若者が二人、熱っぽい口調で走っていく。
「おい、喧嘩屋がまた来てるらしいぜ」
「今んとこ、80人抜きだとよ」
なるほど、盛り場なら何処にでもいる小銭稼ぎか。だがラーシェンの足は止まらない。ただの喧嘩屋には用はなかった。
だが、若者の言葉が本当ならば、80人抜きというのは確かに尋常ではない。人ごみを掻き分け、何とか人だかりの方角へと向かうラーシェン。
その人垣の中には、細身の若い男が一人、軽やかなステップで舞っていた。
金髪を短く刈り込み、鍛え抜かれた上半身を包んでいるのは伸びきった黒い袖なしのシャツ一枚だけ。胸元を大きくはだけたように露出し、下半身はこちらもゆったりした綿のパンツを足首で絞っている格好だ。額に汗の珠を浮かせながら、しかし顔は微笑みを絶やしていない。それは相手に弱みを悟られないための守りの微笑みではなく、若い男の余裕を如実に物語っているものであった。
恐らく、今すぐに10キロ走って来いと言われれば、涼しい顔をして諾と首を振るであろうほどに、若い男は疲れというものを知らぬようであった。巧みに重心を移動させながらステップを踏む若い男に挑戦しているのは、小柄だが肉厚な髭面の男であった。
腕の太さだけならば、若い男をはるかに上回る。だがしかし、如何せん素早い動きについていくには、いささか無理があった。ぶんぶんと繰り出される拳は宙を裂き、それだけで男は体力を消耗していく。わざと拳を当てられるかというぎりぎりの間合いで身を躱し続け、若い男の左手に握られた測定器が一分経過を示すアラームを鳴らした。
とん、と男は大きく跳躍して間合いを離すと、ぜえぜえと肩で息をしている男に一礼する。
「毎度あり」
ち、と悔しさを全身で表しながら、髭の男は人ごみに戻っていく。
「さあさあ、どなたか腕に自信のある方はおられませんかぁ? 一発拳を当てられればキャッシュで50000がアナタのもの!」
若い男の足元には、ボロボロの帽子にいくつもの希少金属やクレジットチップなどが山と押し込まれていた。
「参加費用はたったの500でいいよ!」
人々はざわめきを隠せない。キャッシュで50000は確かに魅力的な金額だ。だが、目の前の男はまるで幻術でも操るかのように、これまで一発たりとも攻撃を喰らったことがないのだ。
それでも、何とか一縷の望みをかけて挑戦してきた者もいたが、誰一人として触れることすら出来ない。これがカードや博打ならばイカサマの一つや二つは当たり前だが、こうして全てを目の当たりにしている以上、若者の実力は明らかであった。
ラーシェンの目にも、若者が高い実力を持っていると映っていた。仕掛けの類は一切ない。この場に仕掛けられた装置もなし、若者の体に不審な点も見られない。
では、どうして当たらぬのか。
才覚、の一言で片付けてしまえばそれで終わりなのだが。同じく戦闘に関しては自信のあるラーシェンは、自分の手で確かめてみたいという衝動に駆られる。
だが、それは出来ない。今、ここで、目立つわけには行かないのだ。
呼びかけを続ける若者に背を向け、ラーシェンがその場を去ろうとした時だった。
「兄ちゃん、ちょっくら試してみねえか? 金なら俺が出すからよぉ」
ラーシェンの外套を掴む、酔っ払いの声が唐突に上がった。
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