第一章第二節<Spell install>
ドアが開く音と共に、酒場を満たしていた猥雑な空気が動きを止めた。
この時間に店に入ってくる輩といえば、決まって余所者であったからだ。誰が決めたわけでもない、しかしぐるりと見渡せば見知った者の殆どが何かしらのアルコールの入ったグラスを傾けている。
無論、ここにはいない知り合いもいる。
だがそいつらがどうして来られないのか、大体は分かっていた。それ以外で、ここに入ってくる奴は余所者しかいなかったからだ。言葉を止め、グラスを止め、そして吹き込んでくる風と砂とに悪態をつきながら、顔を入り口へと向ける。
吹き込んでくる風に外套をふわりと膨らませ、男はドアを閉めた。蝶番を打ち込まれたパイプが軋み、立て付けの悪いドアが抗議の声を上げるのにもかまわず、男はフードすら取らずに店内を一瞥する。その光景は、多少の違いこそあれ、何処の辺境でも同じであった。
余所者には冷たい排他的社会。それが悪いと言っているのではない。こうした過酷な生活条件の中で生き延びるには、用心するに越したことはない。
現に、男はこれまでの旅の中で、物騒な噂を耳にしてきていた。辺境を徘徊する妖魔の中には、単純に旅人を狙うだけの攻撃本能を剥き出しにする相手以外に、巧妙な手口を有する奴等もいるらしい。人間に変化し、集落の中へと入り込み、油断した隙を突いて村人全員を捕食したなんていう相手には、正直遭いたくもない。
だから、余所者に対して極度の疑心暗鬼になる者たちの心境は、よく分かる。痩せた、そして見放された土地であればあるほど、人々は生きるために、必死なのだから。
自分の向けられる視線の間を縫うようにして進みながら、男はカウンターまで奥に進んだ。幸い、カウンターで飲んでいる人間は一組だけであり、それも壁際に張り付くようにして座っているだけであった。
彼等から離れた場所に腰を下ろすと、奥で居眠りをしていたらしいマスターが緩慢な動作で身を起こした。どうせ、先刻の沈黙で空気の変調に気づき、目を覚ましたのだろう。無言で自分をじろりと見るマスターに、男は肘をついたまま、視線を交わさずに注文する。
「ジン・リッキー」
組んだ指を額に当てて俯いている男の前に、ほどなくぶつ切りになったライムを入れた背の高いグラスが置かれる。よく冷えたそれを一口、含んだとき、男は酒場の中の空気が変わるのを感じた。そして、原因が自分ではないことも。
ドアが開き、入ってきたのは一人の少女であった。酒とニコチンと汗の匂いが充満する、男だけの空間に足を踏み入れてきたその少女は、しかし独特の雰囲気を持っていた。
清楚でもなく、かといって遊んでいるようでもなく。まるで、自分が男になれると言われたら、女であることを躊躇いすら見せずに放り出すような。しかし、女であることの意味を十二分に知っているような。
短く刈られた黒髪を揺らしながら、砂を避けるために肌の露出を抑えた長袖に丈の長いパンツ姿で、少女は姿を現したのだ。父親の世代くらいの男たちから浴びる冷やかしを適当にあしらいながら、少女は今しがた入ってきた余所者の男の隣に腰を下ろした。
驚いたのは男のほうである。この集落に来てから今まで、小一時間ほどである。男たちに因縁をつけられることには慣れているが、年端も行かない少女が何の用があって近づいてくるというのだ。
だがその疑問は、少女の言葉によって、すぐに氷解することとなった。
「さっきのVA、見せてくれる?」
見れば、少女の指には機械油の汚れが目立っていた。ささくれだった傷に油がしみこんでしまったのか、年頃の少女の肌には見えない手をしていた。だがそれを恥じる素振りすら見せず、少女は顔を覗き込んでくる。
「あたし、メイフィルって言います、あなたは?」
「ラーシェン」
男は短く答え、カウンターの上に旧式のVAを取り出した。胡散臭げに見ていた店主とは違い、メイフェルの表情はそれを見た瞬間に輝きだした。
「ひゃあ……あんた、よく今まで頑張ってたねぇ……」
まるで小動物をいとおしむように、ごつい外見のVAを撫でていたメイフェルは、やおら足元に置かれた鞄を膝の上に載せた。
「ん、これなら、バッテリーチャージは大丈夫かな。スペルインストールはどうするの?」
軽い驚きに目を見開いたまま、ラーシェンは呟くように言葉を零す。
「店主は無理だと言ってたが……?」
「アル中のオヤジの話なんて信用しないでよ」
メイフェルは鞄から工具を取り出すと、その場でVAの外装を外しに掛かる。
小さなねじを外してはポケットへと入れつつ、六つを外し終えたところで、外装の一部が外れて内部の回路が露呈する。中に溜まっている砂塵を吹き払うと、回路のケーブルを鞄の中から取り出した別の機械と接続する。
それまで沈黙をしていたバッテリーランプが緑色に点灯した。
「よしよし、いい子ね……お腹空いてたんだものね、たっぷりお食べ」
「店主はIndia系列の妖魔が出ると言ってたな、リストにあるなら、それ系を頼む」
「毎度」
ケーブルを咥えたままメイフィルは視線を交わすこともせず、目の前のVAに没頭している。素人の目には何をしているのかわからなかったが、恐らくは通常の調整ではないものなのだろう。しかしそれでもVAが息を吹き返してくれるのはありがたかったし、多少は水増しの請求をされても文句は言わないつもりであった。
「India系列……んん……」
鞄に付けられたポケットから何枚かのディスクを取り出しながら、メイフィルはその中の一枚に決定したようであった。
作業が一息ついたのか、メイフィルはそのときになって初めて、ラーシェンのほうを向いた。
「驚いた? この程度、あたしには朝飯前なんだから」
「その歳になってもまだ男相手にしねえ変わった娘ッ子だからなぁ」
無言であったマスターが、注文もしてないのにメイフィルの前にホットミルクの入ったマグカップを置く。
「うちの仕事の七割はあたしがしてるんですからね」
憎まれ口を負けずに返し、メイフィルはマグカップを両手で包み込むようにして持ち、一口啜る。
「その歳で技師か……大したもんだ」
「お世辞言っても、割引はしないよ?」
悪戯っぽく微笑み、メイフィルは片目を瞑ってみせる。
「いくらだ」
「そうねえ……まあ、値段はあとで言うとして、ちょっと聞きたいことがあって」
カウンターに肘をつきながら、メイフィルはラーシェンの顔を覗き込む。
「あなた、どうやって荒野を渡ってきたの? VAが動作してない状態でここら歩くなんて……ちょっと信じられないけど」
「一応、戦う武器はある」
「へぇ?」
首をかしげるメイフィルは、次の瞬間、ぐいと無遠慮に手を伸ばしてラーシェンの外套を開いた。制止する間もなく、ラーシェンの腰に吊った黒い鞘が露になる。
「触るな!」
途端に、ラーシェンの語気が強くなった。メイフィルの指先を払い除けるようにして、ラーシェンはそれを外套で覆い隠す。
メイフィルの目に映ったのはほんの一瞬だったが、彼女の目にも、それが通常の武器ではないことはすぐに知れた。あの刀身では、まさか妖魔の牙や爪を受けることはできないだろう。特殊な強化をされていたとしても、限界はある。それはすなわち、ラーシェンが普通の剱の使い手ではないことを意味していた。
強く拒絶されたメイフィルであったが、だが落ち込んだ様子など欠片も見せず、膝元の機械に視線を移していた。
「ま、あなたも訳有り、ってことね」
インストール完了を示す電子音が鳴り、メイフィルは慣れた手つきでケーブルの接続を外していく。
「はい、おしまい」
鞄にケーブル一式をそろえ、丸めて押し込んだときであった。
背後で酒場のドアが乱暴に開かれた。
険しい表情をした男たちが、大股で酒場へと踏み込んでくる。その理由は確認するまでもない。嘆息をついて、ラーシェンは振り返った。
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