第一章第三節<Larvae instrument>

 酒場の空気は、今度こそ凍りついた。泥酔した男たちも、今度の客人を予想することまではできなかったようであった。


 入ってきたのは、村の保安官たちであった。踝まで届くほどの、ずっしりした濃紺の分厚い外套を着込み、帽子を被り、いかめしい顔の二人の若い男を従え、やや年配の保安官がずいと店内に上がりこんでくる。


 見るからに体格のいい男は、自分の立ち居振る舞いをどのようにすれば、相手に威圧感を与えることが出来るかということを、熟知していた。保安官は、酒場の中を一瞥すると、一番奥のカウンターに知らぬ顔が座っているのを見つけた。元々広くはない店である。逃げたり隠れたりしようと思わない限りは、発見されるのは時間の問題だ。


 保安官は、鉄板を仕込んだ重いブーツで床を踏みしめながら、ラーシェンの元まで歩いてくる。


「……お前だな、村に来た余所者というのは」


「別に騒ぎは起こしちゃいねえぜ?」


 ラーシェンは椅子から立ち上がることなく、保安官を見上げる。その傍らで、お互いの顔を見比べ、そしてまず間違いなくややこしいことになると踏んだメイフィルは、そっと鞄をカウンターの下へと押し込んだ。


 まるで人を人とも思わぬその視線の先で、ラーシェンはカウンターの上で汗をかいたグラスを持ち上げ、唇に近づける。


 だがそれは、次の瞬間にラーシェンの顔のすぐ前で煌きとなって四散する。指の間に残ったのは、僅かに繊細な曲線を持つグラスの一部分だけ。膝の上に、しなびたライムの残骸がぽとりと落ちるのを、ラーシェンは静かな眼差しで見つめている。


 保安官の背後から、同伴してきた若い男が放った銃弾によるものであった。まだ硝煙をたなびかせている銃口を向けながら、若い男はにやりと口を歪める。弱いものを相手にすることしか出来ない卑怯者だが、銃の腕だけは確かなものがある。


「おいおい、ちょっと待ってくれ、うちの営業妨害するんなら、他所でやっておくんな」


 グラスを壊されたマスターが、眉間に皺を寄せて保安官を睨む。その訴えももっともだと保安官は頷くと、背後の若い男に銃を下げさせると、懐からなにやら棒状の器具を取り出し、ラーシェンへと向ける。


 警棒か棍棒の類かとも思われたそれは、しかし武器ではなかった。保安官がグリップの部分についたスイッチを入れると、その棒に取り付けられた液晶ゲージがみるみる伸びていく。


 その様子をじっと見つめながら、保安官はラーシェンへと視線を移す。


「お前、妖魔を斬ったな?」


「それがどうしたんだい」


 保安官の手に握られていたのは、怨念濃度計ラルヴァ・カウンターと呼ばれる計測器の一つであった。


 辺境に住み、辺境で生きる者たちの最大の天敵である、妖魔。雑多な宗教概念の元に構築されるそれら妖魔は、死してもなおその力を失うことはない。否、恐らく死ぬことはない、というのが霊理学者たちの推論である。


 妖魔たちは元々生命体としてではなく、高密度の怨念から構成された存在である。銃火器、実剱、また魔術によって実体を破壊された妖魔は、すなわち自分の躰を構成している因子の結束力を失わされたに過ぎない。元通りの躰になるか、それとも別種の妖魔になるかは別として、単体の妖魔は通常、三日から一週間で復活を遂げる。


 しかし、破壊したのが人間その他の生命体である場合、怨念の一部は遊離して己を倒した生命体に付着する。元々力の源が違う人間にとっては、怨念というものは害を成すものではあっても利用できるものでは有り得ない。


 そのため、一般に放浪者と呼ばれる辺境生息者は、己の躰に付着した怨念を消去する「祓」のセオリーを身につけているのだった。それが出来ない一般人、そして旅人は、一定量に蓄積されるのを待ち、「祓」と同程度の浄化機能を有する機械による消去をそれぞれの施設によって行う。


 今ではそれがれっきとしたビジネスの一つとして成立しており、また怨念が蓄積されたとしても、生命活動には何等妨げにはならないため、人々は出資を抑えるためにそうした方法を採択する。


 では、生命活動に悪影響を及ぼさない怨念を消去する必要があるのか。


 その理由は二つある。


 一つには、怨念同士の共鳴現象により、他の妖魔との遭遇確率が濃度と比例して高くなっていくこと、そしてもう一つは、何等かの原因により、偶発的に妖魔が発生してしまう危険を孕んでいるということであった。妖魔を呼び寄せられれば倒さざるを得なくなり、結果濃度は上昇する。また、妖魔誘発が外界であればまだいいが、こうした住居結界内において妖魔が発生した場合、文字通り「密室」の中で襲われるという悪夢が起きる。


 故に、人々は怨念というものを嫌うのだった。


「怨念濃度計が危険値に達している……それだけで貴様を連行する理由としては充分だと思うがな」


 保安官の言葉に、酒場の中が騒然となる。無論、怨念というものは一部の能力者、呪術者を除いては感じ取れるものではない。


「来い。事情聴衆を行う」


 腕を捕まれ、ラーシェンは素直に立ち上がった。保安官はラーシェンを放るようにして背後の若い男たちに任せ、自分は逃げ出すことがないように後ろからラーシェンを見張りつつ、酒場を出ようとした。


「ちょっと、待ってよ」


 保安官に異議を唱えたのは、メイフィルであった。


「あの人が、何したって……」


「余所者には近づくんじゃない、いいな」


 メイフィルの頭を乱暴に撫でると、保安官は酒場を後にした。




 肉を肉で打つ音が響く。続いて、重く鎖が鳴る。目を射るほどの強い光の中、上半身を裸にされたラーシェンは両手首を鉄枷に戒められ、壁に拘束されていた。


 衣服や荷物は、やや離れた机の上にまとめて置かれていた。部下らしい若い男が加えているのは、最早尋問ではなく、私刑にも似た仕打ちだった。拳でさらに数度、ラーシェンの頬を打ち、己の一方的な攻撃による興奮に息を乱す若い男は、口に溜まった乾きかけた唾をラーシェンに吐きかける。


「てめぇ、あんな大層なブツ持っていやがるなら、さっさとそんな鉄枷外しやがったらどうだ?」


「おぅおぅ」


 いきがる男に、保安官は煙草をくゆらせながら口を挟む。


「お前、あれに触るんじゃあねえぞ? もし握りでもしたら、てめえなんざ一瞬で魂を食い尽くされるに決まってる」


 保安官は、ラーシェンの衣服にくるまれた、あの黒く細い鞘を顎で示した。


「何スか、あれ……普通の剱にしちゃあ……」


 細い、と男が続けるより早く、保安官は立ち上がってラーシェンに近づいた。


「お前……Schwert・Meisterシュベールト・マイスター、だな?」


「よく知ってるじゃねえか……いくらお山の大将でも少しは教養がねえと威張れねえか」


「……っの野郎ッ!!」


 こめかみに血管を浮き立たせた保安官は、容赦のない拳をラーシェンに叩きつけた。首がぐいと捻じ曲がり、床に血の染みがぱたぱたと散る。ぼさぼさに乱れた髪が、汗で額に張り付いたままの表情で、ラーシェンは保安官を睨みつける。


「クソッ、一晩中可愛がってやれ!肋の何本かくらい折ったって……」


 吐き捨てる保安官の言葉が止まった。牢の中から外に出ようと背を向けたその視線の先に、ここにいるはずのない人間がいたからだ。


 しかも、その手の中には短銃が握られ、銃口はこちらに向けられていた。


「……メイフィル?」


「一晩じゅう可愛がれ? あんたにそんな趣味があったなんてね」


 メイフィルはちきり、と安全装置を外し、トリガーに指をかけたまま再び構える。


「お前、自分がしてることが分かってんのか? 大体こんなところにずかずか入ってきやがって……」


「それが、残念ながら無関係っていうわけじゃないのよね」


 銃を片手で構えながら、メイフィルは保安官の腰から怨念濃度計を抜き放つ。


「おい……」


 うろたえる保安官に向かってスイッチを入れると、それは呆気なくレッドゾーンを振り切った。


「あら、おかしいわね? 妖魔なんて倒せないあんたに、なんで反応するのかしら?」


「てめえ、今すぐ出ていかねえと……」


「どうするの?」


 怨念濃度計を保安官の顎に当て、メイフィルは凄みのある視線で下から見上げる。


「機械の不正改造くらい、あたしが見抜けないはずないでしょ? それに、あの人がうちに依頼したVAのチューンナップの代金、まだもらってないんだけど?」


 退路を阻まれた保安官は、顔を真っ赤にして唾を飛ばす。


「いい加減なことをぬけぬけと……」


「じゃあ、確認してみたら? ねぇラーシェン、あなたまだ、代金払ってないわよねぇ?」


 肩越しに呼びかけるその声に、ラーシェンはつながれたまま、力なく笑った。


「バッテリーと……スペルインストールの代金……だろ?」


「さ、どうすんの? 保安官ともあろう人が、村の商売邪魔したなんてあっちゃ……信用がた落ちよね?」


 口元を震わせながら睨みつける保安官。


 だがそれが既に負け犬の遠吠えでしかないことは、彼自身が一番よく理解していた。

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