第一部 Un homme en vêtements noirs a rencontré une fille.
第一章第一節<Junk shop>
不規則に明滅する緑色の光が、部屋の中に様々な陰影を浮かび上がらせていた。もともと広くはない小屋の中は、乱雑に積み上げられた一見ガラクタにしか見えないような「商品」でさらに埋め尽くされ、カウンター越しに主人の横顔が見えるだけであった。
見上げれば、今にも崩れ落ちてきそうな品々が、奇妙な均衡を取り合って静かに客を待っている。ところどころで紙片が揺れているのは、この店独特の光景といったところか。紙片は殆どが茶色く変色しており、そこには安物の墨で様々な紋様が描かれていた。何の価値もなさそうなそれらの紙片こそが、この店での商売を可能にしているといってもよかった。
もしそれがなければ、店主はとうにこの世のものではなくなっていたことであろう。
それらは、この店で取り扱われている数々の品々に宿り、もしくは込められた怨念、邪念の類や付喪神といった下級神霊を封じ込め、鎮める役割を持つ呪符であった。平均的な呪符一枚で、辺境に暮らす家族三人が半年食い繋げるほどの相場を持っているため、こうして見られるもののほとんどは数年、数十年を経過したぼろぼろの品であることがほとんどであった。
そして、カウンターの奥、とはいっても人一人入るのがやっとという空間に、店主はいた。長年の酷使に抗議をするかのように軋みを上げる椅子に座り、足を台の上に投げ出したまま、手近にある何かを虚ろな表情で磨いているのだった。柔らかな布によって光沢の出たメダルのようなものを光に透かして、埃がついていないことを確かめた店主は、傍らに置かれた箱の中にそれを乱雑に放った。
そのとき。
店のドアが乱暴に開かれた。
当事者は、決して乱暴にするつもりはなかったのだろう。だが、外を吹き荒れる砂嵐の中を歩いてきた者としては、一刻も早く忌々しい砂たちの舞踏場を後にしたいと言う気持ちになるのも分からなくはない。
店主は、だが客のほうを見ようともしない。目の前に置かれた緑色の炎を揺らすランプを眼鏡越しに見つめ、再び手元にあるメダルに視線を落とす。
入ってきたのは、背の高い旅人であった。
打ち付ける砂を遮るための外套は、全ての方角からランダムに押し寄せる砂埃のせいで、今もぱらぱらと床に細かい屑を落としている。くすんだ色合いになった外套につけられたフードを被り、その裾からは長く伸ばされた黒い髪が揺れている。
身長からして、男のようであった。
脛までを覆う編み上げのブーツは、辺境を旅する者にとっては必需品だ。何せ砂の影響を受けにくいし、しっかりと踏みしめることが出来る。すすけたブーツが踏み出されるたびに、外套の裾から砂が落ちる。
だが旅人になど、店主は反応を示さない。そんな無愛想な店主など関係ないという風に、入ってきた者はフードすら取らずに懐に手をやった。
しばし何かを探っていた旅人は、やがて鉄で出来た箱のようなものを取り出すと、それをカウンターに置いた。
「スペルインストールと、バッテリーの充電を頼む」
男の声だった。
店主は手を止め、やおらカウンターに置かれたそれを手に取った。ずしりと重いそれは、幅が40センチはあろうという大きさだ。
特に結界効果が薄い辺境を旅するときは、これを持っていないということは自殺行為にも値する。何故なら、それぞれの生活区域にはVAを単純に大型化したような恒久的な結界を発生させる装置があるものの、それ以外は完全なる無法地帯であるからだった。
故に、辺境では妖魔の類が跋扈する。
人間であっても、単純に銃火器が通用する相手ならばどうにかなるが、霊体と接触した場合は事実上、ほとんど攻撃手段はないと言ってもよかった。銃火器、そして実剱による攻撃が通用しない場合は、こうしたVAの類によって撃退するしか生き残る手段はなかった。なにせ、相手は非実体である。物質的な障害、そして距離的な隔離は意味がなかった。
店主は男が取り出してきたVAを一瞥すると、そこでやっと薄汚れた眼鏡越しに男を見上げた。
「こりゃあ……たまげたな」
店主の言葉の意味は、二つあった。一つは、VAのバッテリーランプが消えている、つまり残存電力がないということであった。VAはバッテリーがあってはじめて機能するものである。よって、バッテリーが空のままのVAなど、所持していないことと同義なのであった。
そして、もう一つはVAのタイプであった。現行のVAは、小型化が加速し、今や片手で操作ができるレベルまでになっている。そんな中、男が持ち出したVAは優に数世代前のタイプであったのだから、驚くのも無理はない。インストール可能な容量、バッテリーの消費速度、そして重量、全てにおいて現行のものは以前のタイプを凌駕している。そんな旧式の、しかも役に立たないものを抱えて、この男はここまで辿り着いたというのか。
だが、相変わらず店主の顔は渋かった。
「この辺りの妖魔の系統は、どうなってるのか教えてくれないか」
「教えてやっても、いいがな」
店主は手近なカウンターに煙草を擦り付けて火をもみ消す。
「せっかく来てもらって悪いが、うちの機材じゃあこいつにゃチャージはできねえ」
ずい、と店主は腕を伸ばすとVAを押し返した。
「変換ケーブルか、アダプタが必要なら買うが」
「ブツ自体がねえんだよ。てめえからせこく金巻き上げようなんざ思ってねえしな」
下から睨み上げるように、店主は顔を上げた。しばらく男は店主の顔を見下ろしていたが、やがて自嘲気味に微笑むと、手を伸ばしてVAを掴んだ。
「わかった……邪魔したな」
VAを懐に押し込み、男は背を向ける。外套が一瞬だけ風を孕んだように膨らみ、腰の辺りで金属的な光が瞬く。しかめ面のまま、男を見送っていた店主は、やおら声を上げた。
「兄ちゃん、このままてめえがのたれ死んだら夢見が悪いからよ、一つ教えといてやる」
男の足が止まった。
「この界隈はよ、India系列の妖魔の巣窟だ……こいつは無料奉仕ってヤツだぜ、持ってきな」
「……感謝する」
男は手を上げると、そのまま小屋をあとにした。
「ねぇ」
男が去っていったドアを見つめる店主に、声がかかった。
女の声だ。しかも、まだ若い。見れば、店の奥に続く薄闇のほうから、キーボードを一心不乱に叩く音が継続して聞こえてきていた。その音は時折途絶えるが、数秒と沈黙は続かない。
「あぁン?」
店主は二本目の煙草に火を点けながら返事をする。
「なんで、バッテリーだけでも入れてあげなかったのさ?」
「てめぇ、話聞いてなかったのか!?」
思わず店主は声を荒げるが、少女の声は動じた素振りもない。
「聞いてたわよ、だけどさ、三世代くらい前のなら、回路直結させればなんとかできたんじゃないの?」
ちっ、と舌を鳴らし、店主は椅子の背もたれに躰を預けた。
「うるせえな、今夜は指が震えてんだよ」
「いつものことでしょ」
アルコール中毒なんだから、と続く言葉を飲み込んだ少女は、キーボードを打つ手を止めた。それでも動きを止めたまま逡巡するが、やおら足元に置かれた鞄を手に取ると立ち上がる。
「……ドコ行くんだ」
「ドコだっていいでしょ」
つんけんした口調で言い返すと、少女は鞄を肩にかけたまま、足早に店を飛び出して行った。店主の小言が後ろから追いかけてくるが、それも店の外に出てしまえば、砂嵐の音にかき消されて聞こえなくなっていた。
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