新編 L.E.G.I.O.N.

序章

 どうして、人はこの茫漠たる空間を駆けるそれを「船」と呼ぶのか。


 恐らくは、古き人間が「船」と名づけた意識と、然程変わりはないのだろう。足を踏み外せば、それは絶望的な死の空間となる。命を育み、慈しむ海という場も、人にとっては絶望と死によって支配されることもある。


 しかし、人は海に抗ったのだ。


 それを障壁と捉えることなく、自らの技術を磨き上げ、大海原へと乗り出した。もし陸地を遠く離れた場所において、船が転覆したり遭難したりすることがあれば、それは死を意味した。たとえ船の上に身を置いているとしても、舵が利かず、また食糧や水がない状況で、人は奈落を覚悟しなかっただろうか。


 そうした不安が、同じ名を冠さしめたのではなかろうか。




 絶対零度の空間を、銀閃を思わせる戦艦が突き進んでいた。鈍い光を切っ先に宿す鉄剱を思わせるそれは、船体に大きく紋章が描かれていた。黄金の甲冑を身に纏った、力強い二本の角を掲げる雄牛の紋章。たとえ、航行中に発信している識別信号を見落としたものでも、その紋章を目にすれば、畏怖と権力に身をすくませることであろう。


 <Taureau d'or>トロウ・ドール上級騎士団第七艦隊を指揮するべく、ブリッジに腰を下ろしているのは、紺色に金の装飾を散りばめた軍服を来た男であった。色が白く、頬はややこけてはいるものの、落ち窪んだ眼窩の底で光を放つ目には、強い意志が感じられる。


 男の名はマクシム・ゲルネ大尉。彼の齢は既に分厚く積み重ねられ、その中に培われたものは額の皺と一文字に引き絞られた唇にしっかりと受け継がれていた。


 だが、そんな熟練のマクシムをも、こうして緊張に身を強張らせるものが、この行く手にあるかも知れぬのだ。操縦士らが呼応しつつも、慎重にこのクォフ宙域を進めている先には、第十領域の<Malkuth>マルクト―が存在する。


 だが、その領域は名ばかりが知られるのみであり、その実体は無法地帯となっているのが通説となっていたのだ。最も辺境の地に位置するその領域を収めようとする権力者など皆無であり、その領域を自国とすることで得られる権益もないとあっては、放り出されても仕方ない。長らく封鎖されていた宙域の封印を解き、マクシムが艦隊を進めているのには、とある事件が背景となっていた。純粋な破壊活動を繰り返す正体不明の艦隊が、たびたびこの領域方面に去っていくのを感知したという報告が、幾つも寄せられているのであった。被害にあっているのは、民間船や旅客船だけでなく、官僚の搭乗した政府の艦隊までもが巻き込まれているという。


 その事件の数は、この二年で十五件にも及んでいた。いずれも被害者は生存者がなく、そのために事件の解明は遅々としていた。苛立ちばかりが募る中、<Taureau d'or>首相の勅令により、第十領域への調査団が編成されたのであった。


 しかし、調査団とは名ばかりであり、マクシムに与えられた艦隊は優に一個中隊にも匹敵するほどであった。もし、相手が無法地帯を根城にしているならずものであれば殲滅すべし、何らかの理由ありといえど必要あらば攻撃を許可する、という勅令に、マクシムは緊張した面持ちで首相の御前で頭を垂れたのであった。


 残り十五分ほどで、クォフ宙域を抜け、マルクトーへの扉に到達するとの報告を操縦士から受け、マクシムが頷いたときであった。


「前方に船舶確認!識別信号なし、詳細確認できませんッ」


 その声で、マクシムをはじめとするクルー全員に緊張の漣が走った。


 まさか、遭遇したというのか。


「発信せよ。我は<Taureau d'or>上級騎士団第七艦隊指揮官、マクシム・ゲルネである。貴艦の目的を問う。」


 オペレータの指がキーボードを叩き、マクシムの言葉を打ち込んでいく。一言一句をたがえずに二度、そのメッセージを繰り返し、無線通信によって複数の周波から発信する。相手の艦が電気系統の障害をわずらっているのでなければ、そのメッセージは受信できるはずであった。


 外部の電波に対し、全ての回線を閉じているということは、本来ありえないことであった。艦の操縦を自動操縦にしているのであれば、外部の情報収集のために回線を開くことは絶対条件となるし、また手動であったとしても目視による操縦など、自殺行為にも等しいものであるからだ。


 しかし、いくら待ってみても、返信が着信したという報告はない。五十五秒後、マクシムは苛立ちのあまり、席から腰を浮かす。


「返事はどうした」


「返信、ありません」


 上級騎士団からの命令を無視するなど、通常では考えられぬ。


「さっきの文面を、一度だけ再送しろ。ただし、送信後三十秒後に返信がない場合、攻撃を開始すると伝えておけ」


 マクシムの言葉に、オペレーターは無音の殺気を感じ、首をすくめながらキーボードを再び弾く。

 そして。


 期限の三十秒は、音もなく過ぎ去った。


「砲門開け、射撃準備」


 マクシムの命令は、重く冷たく、ブリッジに響いた。軍籍の日がまだ浅い者は、このマクシムの決断に疑問を抱きつつも、命令に従うべく行動を開始する。


 疑わしきは罰せず。


 程度の差こそあれ、日常における道徳の判断とはこれに基づくものであるはずだ。相手の艦には、何かの事情があるのかも知れぬ。頭の中で、こちらの攻撃反応に血の気のうせた顔でディスプレイを見つめるオペレーターの顔が交錯するのを感じつつも、命令には従わざるを得ない。


「準備完了、五秒後に射撃できます」


 報告を受けたマクシムは、ふと心を逸らし、頷いた。経験の浅い者が、覚悟を決めるにはちょうどいい時間だ。


 だが、その僅かな時間が、仇となった。


 射撃の命令を待っていたオペレータの耳に飛び込んできたのは、隣席から発せられた悲鳴であった。


「わが艦隊の周辺空域に異常検知!!因果律式が改竄されます!!」


 その報告に、狼狽したのはマクシムであった。


 まさか、いや、そんなはずは。


「砲撃を中止しろ!残りの律式を確保、即座に対抗改竄!!」


「だめです、間に合いません!!」


 ディスプレイに映し出されたのは、紅蓮の業火。真空であるはずの宇宙空間に咲き乱れた、破滅の薔薇。大きく軋む艦体に負けじと声を張り上げたオペレータの熱意は、最期に自らを滅ぼす相手の忌むべき名を、知らしめることに役立つこととなった。


「空間秩序、変換されます…Zoroastrianism系列、暴君黒神アエーシュマ!!」|

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