第四章第一節<Sacraments>

 秘蹟能力者。それは、この大陸においてのみ、発現している特異能力者の総称であった。


 外見は通常の人間と何等変わるところはないが、その能力は遥かに常人を逸していた。魔術にも似た力ではあったが、魔術に一連の法則性があるのと同様、この力も長年の研究と分析、また能力者自身の協力により、徐々にではあったが解明が進んできていた。


 言霊思想、という魔術概念が東洋にはある。簡単に言えば、人の口から声として紡がれる言葉には霊的な力がある、ということである。それ故、不吉なことをそのまま直接口にすることはタブーであり、そこには口から出た言葉は、現実世界に影響を及ぼす、と考えられていたからであった。


 言葉に魔力が宿っている、という考え方は、しかし東洋に限らず、どの地域、どの時代、どの世界での魔術概念にも共通して見られるものであった。何故なら、殆ど全ての魔術において、詠唱というものが重要視されているのがその証拠であり、故に神や悪魔といった、超次元的存在の本当の力は、その隠された名、つまり真名に依存しているという考えが支配していた。


 そして、この秘蹟能力者という者たちも、力の源は、魔を宿らせる「御名」にあった。秘蹟の力を生み出す「御名」は、人それぞれに該当するのではなく、どうやらその発現させる力によって決められているらしい。だから、その能力のある者であれば、同じ「御名」を唱えることで力を発揮できるのだった。






 最初にこの能力が記録に残されているのは、とある一軒の彫刻職人の徒弟であった。


 あるとき、その徒弟が一つの作品を持って師匠の元に訪れた。その作品は、誰の目から見ても、息を呑むほどに優れたものであったという。作品がどのようなものであったのか、それを伝える記録はない。故に、この一連の話の真偽を問う意見は分かれてはいるが、現実に秘蹟という特殊能力が存在する以上は、この話の真偽はそれほど問題ではなかったのだ。


 ともあれ、師匠が我が目を疑ったのは当然といえた。一昼夜にして芸術は成されるものではない。最初、この徒弟が高い評価を欲するあまり、他人の作品を偽って持ってきたものと思い、師匠は冷たく突き返した。


 しかし徒弟は何度も師匠の元へと足を運んだ。それも、その度ごとに、異なった作品を持って、である。来訪の間隔がほぼ一週間おきと非常に短かったこと、そして作品の質が非常に高かったことから、師匠は徒弟が盗みを働いていると判断した。


 その足で師は徒弟を盗人として役人の前に突き出し、また役人も師の言葉のほうに強い信憑性を感じ、捕らえた。ここで、徒弟が幸運だったのは、裁判官が徒弟の言葉に、僅かではあったが、耳を傾けたということであろう。


 それによれば、あるとき、彼は夢を見たのだという。そして、夢の中で、何者かが彼に、「御名」を授けたのだというのだ。その御名を密やかに口にし、そして一心に祈ることさえできれば、彼には天賦の芸術の才能が宿るという。


 裁判官は、彼の言葉の真実を証明するよう、法廷で彼の前に石と鑿を渡した。一堂が見守る中、彼は祈り、何かを呟き、そして鑿を手に取った。


 公平さを期するため、特例として法廷は一週間、封鎖された。彼の元に食べ物を運ぶのは、芸術とは何の縁もない、農夫の役割であった。


 そして一週間後、法廷の扉を開いた者らは、唖然となった。天から降り注ぐ神の光を振り仰ぐ己の姿を、まるで生き写しのように、彼は彫り上げていたのだ。


 最早、師も彼の言葉が真実であることを、認めざるを得なかったのだ。こうして、秘蹟能力者は、世の光を浴びることとなったのである。






 その後の研究によって、秘蹟能力者は大きく三つに分類されることとなった。


 まず、現在においてその能力が最も評価されている、<秘蹟・武具顕現>。


 この力は、とある媒体を利用することによって、現実に干渉しうる武具を生み出す力であった。武具の種類は剱、槍が主であり、その形状は個人によって異なる。棒状のものを使うことで、それを武具として利用することができるとあって、これは軍事力の増強と、武器費用を大きく軽減することとなった。


 現実問題として、その力は主に国防において利用されていることとなり、現在のところ、国が抱える騎士団の団員は、ほぼ全てがこの属性の能力者である。また、他には弓、斧、棍棒といった多様な武具を発現される効果が確認されているが、数は少ない。


 次に、秘蹟能力によって、魔術の威力を増強させる、<秘蹟・呪紋顕現>。


 この能力は長らく、通常の魔術と非常に混同して考えられてきていたが、近年の研究によって、秘蹟能力としての分類に位置づけられた。その効果は、まず魔力を帯びた道具という形での実体化を促す。魔術という技能が非常に限定された色彩を帯びていたものであったために、魔術師らの持つ道具の類に対する評価というものが、あまりなされなかったためである。


 ともあれ、魔力を帯びた道具を現実に作り出すということは、多大なる労力と時間、経費を使うということから、この能力が次第に認められてきたのである。また、秘蹟能力の全てに当てはまることではあるが、実体化させたものは、能力者にしか扱えぬという前提があることにより、呪紋顕現能力者に魔力を帯びた品の作成を代行する、ということは無理な話であった。


 そして、最後に挙げられるのが、秘蹟能力を世に知らしめたあの徒弟に宿った力、<秘蹟・技能顕現>。


 のちに、彼は鑿を持たずに彫り上げたと言い伝えられていることから、技能を発揮するそれぞれの道具をも生み出すことが出来るという。しかし、この第三の能力の存在は現在、ほぼ認められてはいない。


 何故なら、現在のクレージェント王朝は、その性格を完全な実利主義に染め上げていたせいであった。その背景にあるならば、第一の武具顕現能力者が優遇されているという現象にも頷けるものがある。


 絵画、楽曲、文芸、そうした部門の芸術は徹底的に弾圧されていた。彫刻や伝統工芸といった部門においては、統制はされてはいたが自由度はあった。これは、貿易の主要品目ともされており、外貨獲得の手段として王朝自らがその活動を認めているということもあったからである。


 こうした能力は、能力者の家系というものもいくつかは認められており、遺伝的に継承されるのではないかという説が、現在有力になっている。






「知らないの、秘蹟の力のこと」


 結女に尋ねられ、アウレティカは首を横に振った。


「知りませんでした。田舎の村では、そんなこと話題にも出なかったから」


「じゃ、覚えておきなさい……もし出会ったとき、びっくりしないようにね」


 結女はにっこりと笑うと、軒先から差し込む強烈だが清々しい朝陽に目を細めた。


「じゃあ、そろそろ行きましょ。これ以上、レヴィエラにいるのは賢いやり方じゃないから」


 だいぶ、躰も一時の疲弊からは回復していた。起き上がり、荷物を掴んで立ち上がろうとしたときに、その脇からジュライが割って入ってくる。


「おい、まさかお前もついてくるんじゃねえだろうな?」


「いけない?」


 首を傾げ、結女は目を丸くしてジュライを見返した。その表情からは、まったく自分の同行を拒否されるとは思っていなかったような、純粋な戸惑いが感じられた。


 ジュライも同じことを結女から受け取っていたらしく、また自分が拒絶したということも、明確な理由があってのことではなかったことに気づく。


「いや、だって、昨日今日出会ったばかりだし、まだ行き先が同じとは……」


「じゃあ、これからあなたたちは何処へ行くのかしら?」


 追い詰めるように問われ、ジュライはただ口を開閉させるようにするだけで、答えは見つからない。


「あの、特に、行き先は、決めてないんです」


 二人のやり取りを近くで見ていたアウレティカは、おずおずと口を挟んだ。


「とりあえず、僕は、そろそろ村へ帰らないと……」


 いくらなんでも、これ以上帰るのが遅れてしまえば、村人や長にもいらぬ心配をかけてしまうだろう。そう考えての申し出であったが、しかしその言葉は予想外にも、結女の表情を鋭くさせた。


「それはあまり賛成できないわね、特にあなたの場合は」


 曰く、先ほどの者たちに顔を見られている以上は、どのような些細な可能性であれ、口を封じてくることが考えられるという意見であった。そして、戦闘技能や経験が特にないアウレティカの場合では、容易に命を奪うことで情報を漏らされるのを防ぐことが出来る。


 あの時はジュライが共にいたから幸運だったものの、今の状態で一人旅になれば、自ら命を捨てるようなものだ、と結女は断言した。


「じゃあ、どうしろってんだ」


「とりあえず、私に付き合ってもらえないかしら」


 結女は爽やかな笑顔で微笑むと、自分の行き先を口にした。


 その名は、北の森と山を越えたところにある麗しき芸術と知識の都、フィリアゲート。

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