第四章第二節<Snow city>
麗しの都、フィリアゲート。
大陸中央、やや西よりに位置するその都は、南側に山林地帯を控えているということもあり、また北には大きくくぼんだ湾岸地帯があることから、冬場は降雪量がひどく多いことでも有名であった。そのせいからか、建築物には天頂部分に鋭角構造を持ったもの、そして尖塔のように鋭くそびえるものが多く見られていた。
また、この地方において採取される石は多分に特殊な石灰を含んでおり、全体として白い色彩が強いため、この都は別名、<白亜の麗槍>とも呼ばれていた。
そして、気候的性格を学者が好んだのか、古来よりこの地には多くの賢者が集い、そして暖を取りながら互いの議論を交わしていたという。時を経るに従って、学者や賢者らは学徒を呼び、また彼等に求められるままに数々の叡智が次第に集積されていった。
現在、この都には歴史資料委員会と、彼等の管理する巨大な国立図書館が整備されていた。その蔵書は大陸の図書館と比較しても決してひけをとることはなく、その数は一万とも二万とも言われていた。今では三つの大学機関と、それに付随する数多くの研究機関を抱え込む、文字通りの叡智の都として、認められるようになっていた。
三人がフィリアゲートに到着したのは、雲ひとつない快晴の日の朝であった。
前日、夕刻より降り出した雪のため、三人はそのまま都を目指す選択を避け、山の洞窟に足を止めていたのだ。
季節によっては吹雪にもなったり、何日も降り止まぬ時期もあったりするようであったが、その日は翌朝早くには一端雪は止み、分厚く垂れ込める雪雲は頭上を通り過ぎていたようであった。脛まで埋もれるような、上質のさらさらとした細かい雪を踏み分け、下山した三人はフィリアゲートに到着した。
既に日は昇り、早朝とは言えない時刻になっていたために、街は活気づいていた。往来は固く踏み固められた雪が、ところどころ氷となっていたが、行き交う人々は皆、足を取られている様子はない。
聞いてみれば、結女の国もまた、雪はあまり降らぬという。不慣れな道に悪戦苦闘をしながら、三人は目的地である国立図書館の前までたどり着くことが出来た。
古い石組みの造りになっている国立図書館は、その威風堂々たる姿を惜しげもなく、雪景色の中にそびえたたせていた。組み上げられている石は、その一つ一つに歳月の年輪を刻み込まれ、しかしそれに屈することなく、今もなお重厚な雰囲気を漂わせている。緩い傾斜の石段は、その角が磨耗するまでに数多の訪問者を迎えてきたのであり、訪れる者はみな、同じようにして、かつての高名な魔術師、賢者、学者らもこの地に胸を躍らせて爪先を向けている幻を垣間見、そして奇妙で心地よい一体感を覚えるのだ。全体としては、三つの尖塔部分からなる建造物であり、基部では同一でありながら、それぞれの書架によって、螺旋階段を上に上っていくにつれて、尖塔の内部へと入り込む仕組みになっていた。
ここに来るまでに、三人は一度ならずも風変わりな取り合わせの一行であるために、奇妙な感情を乗せた視線を浴びていた。そして視線を向けてくるのは、大概がフィリアゲートに存在する大学で学ぶ学徒たちのものであり、白、黒、銀の三種類の制服とマントが行き交う光景は、まるで雪国における色彩のコントラストを思わせるような美しさがあった。
この地方の人々にとってみれば、明らかに薄手であり余所者と知れる外套を身を切るほどに冷たい風に翻しながら、三人は大きく開かれた分厚い門扉を潜り、中へと入った。
表面には十二に区切られた箇所にそれぞれの叡智を表す紋様と彫刻が刻まれている鋼鉄製の扉を抜けると、中は振り仰ぐほどに広大な広間であった。照明は殆どなく、そこはまるで教会か聖堂なのではないかと思われるほどの広さに、まだ朝だというのに幾人もの学徒や叡智を求める者が行き交っている。
少なくとも、三人のうち、ジュライはその場に違和感を覚えた。腰に吊った剱がその証拠であり、ここでは帯剱しているような者は誰一人、見受けられなかったのだ。
「で、ここにどんな用なんだ?」
居心地の悪さを表情に隠さずに出したジュライが、天井を仰ぎながら呟いた。
「この図書館の館長さんは、歴史資料委員会の会長も兼ねてるらしいの……その人に会おうと思って」
「おいおいおい」
肩をすくめながら、ジュライは呆れたように笑って見せた。
「そんなお偉方が、そんな簡単にほいほい会ってくれんのかよ?」
「大丈夫だと思うわよ」
二人のやり取りを耳にしたのか、そのときに人の流れから一人の男がついと分かれ、そして入り口付近にいる三人に近づいてきた。
「もしよろしければ、館内をご案内いたしましょうか」
言葉遣い自体は丁寧であったが、アウレティカはその男が善意から声をかけてきたのではないらしいことに、気づいていた。
大方、自分とジュライの格好からして、この図書館には相応しくないと判断したのだろう。他の利用者の苦情を嫌っているのか、それとも貴重な書物を乱されるのを懸念しているのか、どちらにせよ少なくとも自分たちにとっては、好意的ではなさそうだ。
だが、そこで諍いを起こしても仕方がない。自分たちが国立図書館には相応しくない格好だと判断されても仕方がないし、そして事実そうなのだから。
「ちょっと伺いたいんだけど、今、こちらに館長さんはいらっしゃるかしら?」
男は、逆に質問されたことで、いささか面食らったようであった。顔色を変えながら、余計な咳払いを数回してみせ、そしてなんとか動揺を立て直すと、結女に向き直った。
「失礼ですが、あなたのお名前は?」
「天城結女と申します。天城星の長女だと紹介していただければ、分かっていただけるかと思いますから」
結女の笑顔に、男は怪訝そうな視線を向けながらも、男はその場を離れていった。すっかり男が見えなくなってから、ジュライは大きな溜息をついた。
「あの野郎、思いっきり俺たちのことを田舎者扱いした目で見やがって……!」
「仕方ないですよ、そうなんですから」
アウレティカは、ジュライをなだめながらも笑ってみせる。
「お話が終わるまで、僕たちはどこかに行ってましょうか」
だがその申し出に、結女は答えなかった。その沈黙が、無視されているのではないことを、アウレティカ自身でもよく分かっていた。
結女もまた、その対応に少なからず嫌悪感を抱いているのであろう。クレージェント随一と言われたこのフィリアゲートでさえ、知識は単なる階級差を客観的に表すだけの尺度でしかないということか。
いや、こうした視野狭窄的な環境故、か。
アウレティカの言葉を、唇を噛んで受け止めていた結女の表情がまだ強張っているうちに、先刻の男が息を切らせながら戻ってきた。その足取りと歩調から、大体の展開の想像はついた。慣れぬ疾走に肩で息をしながら、男は戻ってくるなり、二人を完全に無視するような態度で、結女に頭を下げた。
「お待たせいたしました……天城様、こちらです……」
男は広場の奥にある、古びた樫の扉を指し示すが、結女はその場を動こうとはしない。数歩、先んじて歩いていた男は、自分の後ろを結女が付いて来ていないことに気づくと、振り向き、額の汗を拭った。
「あの、どうかなさいましたでしょうか」
情けないまでに、慇懃な態度をとる男に、結女は表情一つ変えることなく、静かに尋ねた。
「あなたが正しくものを見ることが出来るならば、私には二人の連れがいることがお分かりでしょう。私だけを案内されても、彼等を置いていくような真似は、残念ながら出来ないのですが」
痛烈な結女の言葉に、男はしどろもどろになりながらも、最後の部分で国立図書館の職員である防波堤を守り通した。
「すみません、誠に失礼ながら、天城様以外の方をお通しすることは出来かねますので……」
半ば予想できた返答に、ジュライは努めて明るい声を出した。
「じゃあ、俺らはさっきの通りの酒場でいるからよ、終わったら来てくれや」
ぐっと拳を上げると、ジュライはアウレティカの背中に手を置いて、くるりと踵を返す。
「……ごめんなさい」
「気にすんなって」
天城は男の案内する方向に足を進め、そしてもう一度だけ、振り返った。暗い広間の中からは、外の景色は白い光に満たされており、もう逆光のシルエットの中では、誰がジュライとアウレティカなのか、既に見えなくなっていた。
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