間章Ⅱ<緑の円卓>
深い森の中であった。
幾重にも折り重なるようにして頭上を覆う枝葉は新緑の天蓋を成し、そして鬱蒼と立ち並ぶ苔生した幹は、躰の大きい動物や人間たちの侵入を阻んでいる。
その森の中に、差し渡し数メートルの円形の広場があった。
空き地ではなかった。広場と称したのは、開けた空間の中央に、紛れも無く人の手によるものと思われた石版があったからだ。否、近づいてよく観察してみれば、それが石版ではなく円卓であることがわかるだろう。その証拠に、中央にある太い支柱の上に円形の石版は置かれ、そしてぐるりと取り囲むようにして石の椅子が囲んで置かれていた。
だが、この地が放棄されてからかなりの歳月が経過しているらしく、苔と緑の浸食から無事なものは何一つとして存在しなかった。背の低い椅子はほとんどが苔や蔦に覆われてしまっており、まるで緑の小山が競りあがってきているような印象すら与える。既に腰を下ろす者はなく、従ってその表面は柔らかく湿った苔のクッションとして、小動物の晩餐の舞台になっていた。
そしてさらに高い位置にあるテーブルも同様。
しかしこちらのほうはまだ面積も広い所為か、いまだ緑の領土と主張するにはいささか力不足な部分もあった。むき出しのままの、そして風雨に晒されていささか朽ちかけているその表面には、何かが刻まれていた。
露になっている部分だけを見れば、それが動物の姿を刻んでいることが知れるだろう。雄牛、山羊、そして尾を結ばれた魚。その刻印に、そっと触れる指があった。
つい先刻まで、その場所には誰もいなかったのに。
黒い皮手袋に包まれた指がそっと刻印をなぞり、そして離れる。
広場に姿を現していたのは、一人の男であった。首までを覆う厚手のシャツを着、そして胸元には焼き物の十字架が粗末な革紐に繋がれ、揺れていた。髪は短く刈られ、精悍な顔つきをした青年は一度天を仰いで緑の空を瞳に焼き付けると、苔生した椅子の一つに腰を下ろした。
恐らく百数十年ぶりの訪問者にも、石の椅子はただ無言のままに、その躰を支えた。
「この地にも、か」
男は静かに呟くと、頬杖をつかぬ方の右手で腰に刷いた剱の鞘を掴み、ベルトから外すとそれを円卓の上に置いた。
金属音と共に投げ出されたその剱は、見事な装飾と輝きを持った、上質の長剱であった。
しかし奇妙なことに、剱の柄の部分にはなにやら、黒い靄が絡み付いてるようにも見えた。それを見た男は、なにやら含み笑いを漏らすと、その靄ごと己の指で柄を握り締めた。
「まだ、未練があるのか……?」
靄が濃くなり、それが人の手と指を成す。自分の手と重なるようにして、まるで亡霊の一部のように、それは肘までの男の手を生み出した。
違和感は無い。
「ならば、俺を支えてくれ」
この剱の、新たな所有者である、刻紫という名のこの俺を。
その言葉に承諾の意を示すかのように、靄は揺れ、そして消えた。
靄が消滅したことを確かめると、刻紫は眠るように瞳を閉じた。それだけで、男から発せられていた気配は嘘のようになりを潜め、まるで男が姿を現す以前の森のような静けさが舞い戻る。
「これで七度目……それほどまでに、覇を欲するか」
薄い唇が、愛しい者の耳元で蠢くように囁きを放つ。
「写本よ、貴様の好きにはさせぬ……
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