第三章第一節<Reviella, the tradecity>
ジュライが目覚めた日の昼過ぎ、アウレティカは村長の下へと足を運んでいた。
用件は二つ。
一つ目は、ジュライが襲われた契機ともなった、周辺山林における野生動物への警戒を頼みに行ったことであった。事情は村人らからも聞いており、長はそれについては異論はなかった。
だがもう一つの申し出に、長は表情を僅かではあったが、曇らせることになる。アウレティカが、レヴィエラの都までジュライを案内するために、村を空けさせて欲しい、ということであった。
長の迷いはレヴィエラまでの道程を考慮してのことではなかった。アウレティカは村の酒場でよく働いており、またレヴィエラへも幾度と無く買出しに出かけている。レヴィエラに行く、それ自体には何も問題は無かった。
長自身、降って湧いたような闖入者であるジュライについて、まだそれほど信用を抱いているわけではなかった。もしアウレティカがジュライから危害を加えられたら。村人が、余所者によって殺されてしまったとあれば、村の管理にも不安が生じてくる。
あの男が、野党の一味ではないと言い切れるだけの証拠を、まだ自分たちは手に入れていないのだ。
だが、アウレティカは長の制止を振り切り、反論した。
嵐の晩に自分は助けられた、その恩返しなのだと。ジュライに会った時から、アウレティカの行動を決定づけている一つの考えが、それであった。
その真摯な表情に長は負け、しかしレヴィエラに到着したらすぐに戻ってくるという約束で、アウレティカとジュライは翌朝、村を発った。
レヴィエラまでの道のりは、うまくいけば半日程度であった。
しかしそれは道を知っている村人たちが、少しでも早く往来を済まそうとする工夫によって可能になる時間なのであり、まかりなりにも怪我人を連れているアウレティカは予想以上に時間をかけてしまっていた。
朝陽に見送られながら村外れをあとにした二人であったが、レヴィエラの門を潜ったときにはもう既に日はとっぷりと暮れていた。長にはすぐに戻るようにと釘を刺されてはいたが、夜道が如何に危険であるかは、アウレティカ自身でもよく痛感しているところであった。
「とりあえず、なんか食うか」
ジュライの提案は、迷っていたアウレティカに一つの解決策を提示することになった。レヴィエラに来たことは何度もあるが、それは時間に追われ、必要なだけの買出しを手早く済ませ、そして急いで村へと帰ることが常であった。そのため、こうしてゆっくりと街の中を見るなどということ自体、アウレティカにははじめての経験であった。
知っている場所であるにもかかわらず、アウレティカはジュライに先導されるように足を進めている。
その位置に奇妙な違和感を感じているアウレティカに、恐らく初めて訪れたのであろうジュライは「でかい街なら大概は何処も同じ」と言い張った。
そしてジュライの勘は当たり、二人は程なくレヴィエラ一の繁華街の中にある酒場を見つけた。
レヴィエラは島の南西の山林地帯の麓から少し離れた場所に位置している、交易都市であった。さらに南に行けば、ラスケイピアとの国境沿いにある海峡に面した港町ドルヴィーグがあり、そこから水揚げされた物資や食糧はこの付近であれば、レヴィエラへと運ばれる。
通常であれば港町が交易の中心となるはずであったが、不運にもドルヴィーグの港は極めて船を停泊させるには不向きなのであった。海岸線は一度大きく陥没はしているものの、少し沖に出たところにある遠浅の浜のせいで、多くの船舶は港に入ってくることができなかったのだ。
仕方なくドルヴィーグで一度陸に積み上げられた品は一度陸路を伝い、このレヴィエラへと運ばれるということになった。魚介類など鮮度が重要なものを除いて、様々な物資が集まる場所として、大いに栄えるところとなっていたのであった。
店を一歩潜ったアウレティカは、まずその雰囲気に圧倒されていた。
アウレティカが今まで働いていたあの村の酒場とは、全ての規模が違った。店の広さからして、段違いであった。見上げれば二階三階へと続く階段があり、その手摺からは肌を露にした女性がこちらを見下ろしたり、また抱き合っている男女の姿もあった。店内は喧騒に包まれており、ともすれば隣にいるはずのジュライの言葉すら、顔を寄せなければ聞き取れないほどであった。
だがジュライはこうした店には慣れているのか、しばし見渡した後、すぐに店の奥に向かって歩き出していた。
「はぐれんなよ」
ジュライは左手でアウレティカの腕を掴むと、ぐんぐんと店の中へと進んでいく。息苦しいほどの人いきれの中、ジュライはカウンターの椅子に二つ分の空きを見つけ、素早くその椅子にアウレティカを押しやる。
「ここで待ってろ」
アウレティカの返答を待たず、短い言葉を言い残したジュライは、あっという間にあの人の渦の中に消えていってしまった。
一人残されたアウレティカは、まず自分が何をすべきなのか、完全に見失っていた。
人が多すぎて、どれが客でどれが店員なのかが分からない。また、余程声を張り上げなければ、自分の声を相手に伝えることすら不可能だろう。幸い、しばらく茫然自失としている風のアウレティカに声をかけてくるものはおらず、アウレティカはそのままの格好で椅子に座っていた。
どのくらい時間が経っただろうか、次第に酒場の雰囲気にも慣れていてきていたとき、アウレティカはジュライを見つけた。それまで何を見るでもなく、ただ自分の前を通り過ぎていく人の流れに視線を投じていたアウレティカは、人の流れの中にジュライを見つけ、そして声をかけようとしたときであった。
アウレティカの視線を遮るようにして、二人の間を料理の盆を持って足早に進んできた人影があった。やっと人ごみを抜けたジュライは、ちょうど進んできた人物のすぐ前に姿を現す形になってしまったのだ。
唐突に進路を塞いだジュライに、盆を持っていた女性は短い声を上げ、バランスを崩した。揚げた肉を持っていた大皿は何とか持ち応えたものの、左手に無理をして抱えていたコップの幾つかが、指を摺り抜けて下に落ちる。
急いで腰を上げたアウレティカだったが、反応は近くにいたジュライの方が早かった。自分の周囲にいる人間を半ば突き飛ばすようにして自由を確保すると、両手を伸ばして落ちるコップの淵をしっかりと上から受け止めたのだ。
そこでようやく、アウレティカは転びそうになった女性をはっきりと見ることが出来た。
服装から見る限り、店員ではなさそうだった。
背は低く、ジュライよりも頭一つ分以上低い。顔立ちからして、異国の人間であるようだった。黒髪の美しいその女性は、ジュライがコップを受け止めてくれたことに安堵の溜息を漏らし、そして頭を下げた。
「ごめんなさい……ありがとう」
「いいってことよ」
ジュライは女性にコップを渡しながら、店内を見回してみる。
「この人ごみでそれを運ぶってのはちと無理あるんじゃねえか? もしなんだったら手伝ってやるぜ?」
「いいの、もうすぐそこだから……どうもね」
女性はもう一度、丁寧に礼を述べると、ジュライに背を向けて消えていった。
「どこに行ってたの」
「ああ、ちょっと知った顔がいてな」
ジュライはアウレティカの隣に腰を下ろすと、ぱんと手を打ち鳴らして見せた。
「さて、じゃあ腹ごしらえと行くか」
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