第二章第三節<Tri Ferlne>

 会議室を後にしたジュリアン・アイアトン上級大将は、すぐさま貴族院に召集をかけ、己は一足先に郊外にある邸宅の一つ、『星の宮殿』に向かった。総面積にして郊外の村数個分という規模の巨大さは、貴族らの持っている財力の大きさを物質化せしめたが如き壮観を誇っていた。


 しかも、アイアトン家の所有する邸宅はここだけではなかった。


 各地の主要都市の周辺に十を越えるだけの数を持ち、またその一つ一つには常時警備体制を強いており、たとえ一時たりとも無人であることなど許された刹那もないほどなのである。現在はその規模は縮小の一途を辿ってしまってはいるものの、邸宅の数は一つとして減ってはおらず、またその光景にも目立った変容は無い。


 十数年前に発布された法案の中に、それまで貴族階級を支えていた数々の特権を廃止し、広く一般化するものが含まれていたが、こと三冠の地位にある家にはそれしきの制限など、取るに足らぬものであるのであろう。


 ジュリアンがその邸宅に到着したのは夕刻も押し迫った時刻であり、そして翌日には、既に二人の男が邸宅を訪れていた。同じ貴族院三冠トライ・フェルネに名を連ねるフラムスティード家長男にして文筆家のバベル・フラムスティード公爵、そしてヒルヴァイロ国教会枢機卿を務めるジェレミー・ヘイスティングスの両人であった。


 これにより、三冠に象徴される各家筋の代表が集うことになり、そこにおいて内密な会談が催されることとなった。


 その日は雲ひとつ無い快晴に恵まれ、三人はジュリアンの邸宅の広大な庭を散策しつつ、声をひそめて言葉を交わしていた。


 降り注ぐ陽光と、塵一つ無く掃き清められた歩道の清々しさとは対照的に、彼等の思惑は暗く淀んだ川面を思わせた。ひとまず、二人はジュリアンからオーウェンの報告の内容を聞き、そしてひとしきりオーウェンを肴に噂話に華を咲かせた後、きわめてさりげない言葉によって装われた本題へと、話題が移った。


「これ以上、無能な呪務管理局に任せていては、時機を逸すると言いたいのだろう」


 およそ聖職に携わるものとは思えぬほどに絢爛な衣装にたっぷりと脂肪を纏わせた躰を窮屈そうに揺らしつつ、ジェレミーは頬の肉を奮わせた。大陸において、三十年前に教皇領が天の裁きとしか思えぬような奇怪な現象によって一夜で荒廃したのち、このヒルヴァイロ国教会は一段と勢力を強めていた。


 現在のところ、元教皇領は事実上の無法地帯と化し、国境は当事国の厳重な軍事力によって封鎖されている。内部では流刑や追放に処せられた犯罪者が住みつき、彼等の中においてのある程度の秩序は出来つつあるようであったが、誰もその地を再び理性の支配する領土とするために腰を上げようとはしなかった。


 そうした動きを察知し、元はこの島国における信仰を司っていたヒルヴァイロ国教会は大陸進出を果たし、そして確実に信者を増やしつつあった。


 誰にでも分け隔てなく降り注ぎ、慈しむ陽の光も、ジェレミーにあっては香油で撫で付けた髪を殊更に光らせることにしか、役に立ってはいないようであった。


「いやいや、あれはあれで役に立ってはいるのでしょう」


 棘のある冷笑を浮かべ、ジュリアンは肩を揺すった。


 どのような思惑があるにせよ、彼らは国王からの調査命令を二つ返事で引き受けた。


 魔術的な調査であるとするならば、別に彼等だけでなくとも良かったはずだ。それを、呪務管理局は国王からの命令を受けた後、すぐにその危険性を公表し、自分たち以外の調査を遮断してしまったのである。


 これがそれなりの時間を経てからの動きであるならば、まだ理解は出来る。だが呪務管理局からの発表は依頼承諾の翌日という素早さであった。あまりの異常な対応に、呪務管理局が調査命令以前に独自で動いていたという噂が流れるほどであった。


「奴らは奴らで、隠しているものもあるだろうから、な」


 バベルは、繊細な指先を動かして、何かを掴むような仕草をして見せた。


「おおよそ、内密に調査を進めていたのだろう。あのタイミングで国からの命令があったのも、大方中で通じてでもいたんだろうよ」


「ここで、彼等から調査の権限を剥奪することは、要らぬ刺激を与えることにもなりましょう」


 ジュリアンは切れ長の瞳をやや上に向け、薄い眉毛を動かした。


「如何でしょう、貴族院からの財源援助、という形で呪務管理局を支援する手筈にしてみては?」


 ジュリアンの提案に、バベルは緩慢に頷いたが、ジェレミーはまるでそれが世界の破滅ででもあるかのような狼狽振りを見せた。


「そ、そのようなことをして……先刻と話が違うではないか」


 その驚きようが如何にも滑稽に見えたのか、ジュリアンとバベルは揃って鼻から呼気を吐き出した。


「落ち着け。まさかそれが額面どおりだと捕らえている貴君ではあるまい?」


 バベルの皮肉も、ジェレミーの混乱振りの前には功を奏しない、と思えたときであった。


「無論、それには裏の意味もあります」


 二の句が告げずにいるジェレミーに、ジュリアンは助け舟を出した。


「国家を財源としている以上は、彼等とて複雑なしがらみに支配されざるを得ない。そこで貴族院が金を工面するということにすれば」


 ジェレミーの顔を覗き込むように前に回り込み、ジュリアンは彼の表情の変化をつぶさに観察する。


「そうすれば七面倒臭い謁見も省ける上、挙がってきた成果に一喜一憂することもなくなりましょう。彼等にとっては、願っても無いことになるはずだ」


「しかしそれではこちらに益がなくなるというもの……そこで、調査による情報の占有権を、こちらで主張するというわけだ」


 ジュリアンに続き、バベルの説明もあって、徐々にではあるがジェレミーの疑念の氷も解け始めていた。


「もしそれで動かぬというのなら、ヴェスカの護衛という餌もちらつかせてやるがいい。軍務省ばかりにいい汁は吸わせてはおれんよ」


「ヴェスカの護衛か……そ、それはいい!」


 頬の肉が波打つほどに激しく、ジェレミーは頷いた。彼の中でもようやく二人の話が繋がったようであった。


「うむ、そこまでしてやれば、奴等にとってはもったいないほどの利益ともなろうしな!我々としても、喜んで援助をさせてもらう!」


 語気を荒くしてジェレミーが頷く様子に、残る二人は失笑を浮かべつつも先を続けた。


「それでは、ひとまずはヘイスティングス家からの援助、という形を取らせていただきましょう」


 ジュリアンはそっと顔を寄せ、ジェレミーの耳元に金額を囁いた。


 その途端、満面の喜悦を浮かべていたジェレミーの顔が蒼白に変貌した。だが、その金額がヘイスティングス家の年間総収益額の一割にも相当するというものを考えれば、ジェレミーの反応は今度こそ、真っ当なものということが出来た。


「いや、しかし、そのような」


「ヘイスティングス家が先陣を切るということには、それなりの意味があります」


 ジュリアンは狼狽するジェレミーを冷たい表情で一瞥した。


「当主はヒルヴァイロ国教会枢機卿……この地に不浄の妖術の支配する湖あり、それが人身に及ぼす害毒はあまりある、と高察されたと聞けば、信者の方々にもより篤い信仰が期待できるのではないですかな」


「交渉は私のほうで進めておこう。さしあたり、一週間後にはそれだけの金額を提示できるだけの準備を整えておいていただければ有難い」


 二人から数歩遅れて歩きながら、ジェレミーは確実に二人に出し抜かれたことを遅まきながらも悟っていた。


 今や、貴族といえど名ばかりであり、その姿は以前のような優雅さをいささかではあるが、欠いたものとなってしまっていた。その中においても、貴族院三冠はまだましなほうであり、貴族という肩書きだけの、実態は普通の者たちと何等変わらぬまでに没落してしまった姿のものも数多くあったのだから。


 だが、貴族の間にはびこる権謀術数は、微塵も衰えを見せることは無く、かえって熾烈さを極めているようであった。今回の秘密裏の会談についても、提案者のジュリアンとバベルはほとんど金銭的な援助をすることなく交渉を進めようという目論見を以って始められたものであった。


 曰く、勝つかどうか分からぬ賭けに最初から乗るのは愚か者だけ、というわけであった。


 これによって、ヘイスティングス家の投資が効果のあるものであったならば、その後に追従する形でアイアトン家、フラムスティード家がそれに続くが、恐らくはそうした場合にあってもヘイスティングス家を傀儡のように使うことになるだろう。


 こうして、<緋なる湖畔>を巡り、貴族院においても複雑な動きは水面下において、徐々にではあるが激しさを増しつつあった。

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