6話 悪魔のささやき
姫様の姿に、これほど喜びを感じたことはないだろう。今は、青葉様への感謝の気持ちでいっぱいだ。
笑みを浮かべるなど、僕が知る限り、ここ11年の間、1度もなかった。
僕だけしか姫様の笑みを知らなかったことに対して喜びを感じていたが、今は違う。姫様が普通に会話をして、普通に笑った。それだけのことに、今までにないほどの喜びを感じた。
普段よりも紅茶がよくすすみ、青葉様がいなくなった後も、しばらくの間幸せに浸っておられた様子。顔色もよかった。
しかし、姫様が無邪気な子供のように話しているところを思い出すと、少しの不安に襲われる。青葉様が帰られてしまったとき、姫様はどう思うのだろうか。初めて部屋に入った友達を失うのだ。
その時の絶望は、僕でも予想がつかない。
その感情に身をゆだねてしまったが最後、封印を施している部屋にも耐えられないほどの魔力があふれかえり、あの力が発動してしまうかもしれない。
そうかんがえると、いまにも倒れてしまいそうだ。
「……青葉殿、決めていただけたでしょうか」
姫様の夕食を片付けに台所に向かう途中、王の前をよぎったときに聞こえた、旦那様の声。
半開きの扉から漏れる旦那様の声は、どこか切なげだった。まるで、誰かとの別れを惜しむような。
「はい、お引き受けします」
何を引き受けるのか、旦那様は何を依頼なさったのか。僕は知らない。
僕は、この城の従者の長をやっている。旦那様のスケジュール、姫様の秘密、この世界の経済の流れなど、この世界と国の事のほとんどを把握している。
そんな僕にでも伝えられない情報。
先ほど、姫様の話を青葉様にしたことと、青葉様と姫様に会わせたことと関係があるのだろうか。
好奇心から、僕は扉の隙間から漏れる声に耳を傾けた。
「ありがとうございます。青葉殿」
「いえ、自己判断です。季楽姫を助けてあげたいと、心から思いました」
姫様を助けるとはどういうことだろうか。
僕にその答えをくれる者はいない。
「季楽に本当の空を見せてやってください」
「はい、必ず」
「……?」
青葉様の威勢のいい返事とは真逆に、僕の頭は真っ白になった。
本当の空を見せるということは、僕からの言葉ではなく、写真でもなく、実際に空を見るということだ。
そして、あの部屋にいるかぎり、本当の空を見ることはできない。つまり、姫様を外に連れ出せということだ。
旦那様には姫様を外に出すことはできない。
そのため、隣国の鏡の国の有力者である青葉様に依頼をしたのだ。
「最後に、季楽と行動するのであれば___」
そこから先は聞こえなかった。
食器を床に雑に置き、姫様の部屋に走った。使用人たちが「どうしたのか」とかけてきた声も無視して、走った。
姫様をあの部屋から外に出すことは、してはならないこと。世界最大の禁忌だ。二度と、青葉様には会わせない。絶対に、あの部屋から逃がしはしない。
さっきまでの感情が嘘のよう。
『主の幸せが執事の幸せだなんて、きれいごとだろ?』
そういったのは、すれ違う数多くの使用人のうちの一人だったのか、それとも、悪魔のような心に支配されている僕の心だったのか。
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