第3話
消灯された城を迷うことなく歩いて、普段なら上機嫌に訪れるはずの城の隅のとある部屋を、トントン、と2回ノックした。
「ウィル、…いる?」
ああ、どうして。今夜に限って声が震えてしまう。中でかすかに気配がしたあと、ゆっくりと扉が開いた。
「お嬢様、あれほど申しあげたはずですが」
私よりずっと大きい背丈の彼が訝しげに見下ろしたあと、ため息をついて部屋の中へと入っていった。
「ウィルの部屋に入るの久しぶりだわ」
召使いとしては良い方のベッドに腰掛けて部屋を眺める。
「そう言ってもまだ二日も経ってませんが。」
「もう!二人の時はそれやめてって言ってるじゃない!」
扉を閉じた彼は、おおきくため息をついて諦めたように姿勢をくずした。
「…エリー、頼むから嬉々として召使いの部屋に訪れるなってあれほど言っただろ」
「でもウィルは受け入れてくれるじゃない」
「そりゃ主人の頼みは断れねえからな」
ほら、と差し出された紅茶を手にとって、意地悪、とウィルにケチつける。追加で取り出された砂糖を溶かせば、部屋に馴染みの香りが漂っていく。
「どうした?エリー」
「ううん、なんでもない。」
変わらない部屋の風景、いつもの彼の態度の変化、日常であるはずの夜の過ごし方なのに、今晩はどうしてもどこかぎこちなく感じてしまう。
──言わなければ、今日。伝えなきゃいけないと思ったのに違う雑談ばかりしてしまう。
「ねえ、ウィル、私…」
飲み終えた紅茶を手元において、告げようと思えば、彼が手でそれを制した。
やがて、私の前に屈んで礼をとる。
「御婚約おめでとうございます、お嬢様。」
ああ、それを聴く前に言おうとしていたのに。召使いに戻ったウィルが仕事用の笑みを貼り付けて私と距離をとった。
ねえ、待って。
「ウィル!」
どうしようもなくなって、離された距離を縮める。思いっきり、今まで伝えたくても伝えられなかった分抱きしめた。
「──今だけ許して。私、ウィルのことが好き。ずっと前から…好き、だったのッ!」
「…エリー」
ゆっくり、ゆっくりと背中に腕がまわった時、ひどく切ない声が響いた。初めて触れた彼の体温。
「エリー、俺もずっと前から好きだった。」
確かめるように何度も何度も抱きしめられて、お互いに涙を拭いあう。ああ、どうして神様はこんなにも無情なのでしょうか。
「エリー。愛しているよ」
ためらいがちに、でも確かに唇が触れたのは私の生涯で1度だけの過ちなのでしょう。それでも、一瞬の幸せを感じていたかったのです
***
「ねえウィル、生まれ変わりって信じる?」
夜が明ける前、服を整えながら隣の彼に聞いてみる。
「東洋で信じられているという、あれかい?」
「ええ。」
「そうだな、信じてみたい気持ちはあるけど」
「…なら、私生まれ変わったら貴方にまた会いたい」
縋るように、彼の肩に頭を預ける。
叶うかも分からない夢物語を語るなんて、私たちはきっと寂しくて仕方なかったのかもしれない。慣れたように私の髪を弄ぶ彼に笑みがこぼれた。彼は愉快そうに笑う。
「俺もだよ。──でもどんな出会い方か分からねえな。たとえば、兄妹だったり?」
「捕虜と警察だったら嫌ね。」
「じゃあ、異国の地とか?」
「もしかしたら会えないまま終わってしまうかも、…なーんて!」
冗談よ、と笑えば彼は手元を探って、私の首元に腕を回した。
「ねえ、何してるの?」
「ん?目印かな。俺の大切なネックレス、お前にあげる。」
つけられたそれはとても綺麗で、思わず視界が潤んでしまった。
「絶対に、何度だって見つけ出すよ。
また会いに行くから。」
「…うん、待ってる。絶対よ、見つけなかったら許さないんだからね」
「ああ」
たくましい腕に抱きしめられる。朝日が昇ればもう元には戻れない。これが最後なのだと思うとどうしても離れたくない。なのに、残酷にも時間は過ぎ去ってしまう。
***
「行きましょう、お嬢様」
彼に促されて、いつもの日常へと戻っていく。
「ええ、今行くわ。」
震える足を踏みしめて、城へと歩いて行った。もう二度と私たちが砕けた口調で話すことも、触れ合うことさえも無い。単に仲の良い主従関係を壊して、私は人形のように姫を演じるだけ。そう、すべては国のため、民のため。一度の誤ちだけは許して欲しい。これからは立派に皇女を務めるから。
こぼれそうになる涙を拭って、私は前を向いた。
──ああ、願うならどうか、いつかまた彼と巡り会えますように──
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