あさとよるの狭間

 あさとよるの狭間で、いそがしく往来するあなたを、指でつまみ上げるみたいに、ひとみの前であそんでみて、おかしくて笑う。

「わらわないでおくれよ」

「だって、だめ、おかしいんですもの」

 おかしくておかしくて、せかいをももいろの吐息であたためる。しろいろの円を指でつついてみては、ついぞ感じたことのない心ぐるしさで、身をじりじりと、灼く。しかめっ面のあなた。思案顔のあなた。気遣わしげ顔のあなた。そんなにたくさんの表情はこのかた見たことはなかったけれど、どの顔もあなたらしい顔だなんて、そんなことを心の隅の、ほこりが積もったところに立ちながら、ふっと考えていて、そんな中でどうしても邪魔なそれが、とてつもなく不快に思えてきて、つい、本当につい、口にしてしまう。そんな私はあなたを少しだけ、本当の少しだけ困らせたいなんて、意地悪に思いながら。

「どうして、これは、あなたと私を隔つんでしょう」

「ちがうよ。君とぼくを隔つのは、そんなものじゃない。もっと、もっとつめたいもの」

 つついたしろいろの円は、隔つ無垢なかべに、すい込まれていった。あおいろの吐息で、もう一度しろいろの円をつくる先のあなた。全然困るようすもなくて、物足りない気もしたけれど、あなたはまだ私の気持ちの全部を知らないのだと思うと、もっともっと隠しごとをして、もっともっとそれを暴いていってほしいなんて、変に思いながら。でもやっぱり、あなたにっていうより、私は。

 私はあなたにふれたい。

「私はあなたにふれたい」

 うっすら冷えた風が、無垢なかべをふるえさせる。あなたが笑ったから。

「もう少しのしんぼうだよ」

「もう少しってどれだけ?」

「もう少しさ。もう少しは、もう少し」

「あなたは前もそういったわ」

「そうだろう。それはもう少しだからさ。ぼくが君にうそを吐いたことがあったかい?」

「いいえ、一度も」

「そうだろう?」

 だいだいの吐息が私のへやをあたためる。ああ、もう終わってしまう。それは少し、ううん、とってもさみしいなんて、いけないのに思ってしまう。あなたを困らせたいの少しだけ。本当に困ったあなたを、私はきっと、見ていられない。そんな気持ちも知らないで、暢気なものね全く、あなたは。

「さあ、もうあさが来るよ。お眠りなさい」

「いつまでもこども扱いしないでちょうだい」

 あさが来て、あなたのきいろの吐息の澱が、檻のなかにまた積もる。そんな澱を大事に、私はすくい上げて、覗いて、感じるのは、あなたが去ったあと。朝を隠す帳がおりたあと。


 朝を隠す帳がそっとひらくと、よるの帳がおりていた。

「ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 逢瀬をかさねる、私たちの、いつものことば。逢瀬なんて、なんだかいけないことをしている気分。でもそんなことより、今は他のこと。

「さむいわ」

「冬が来たんだ。みて」

 あなたがみて、私がみて、そこで、かがやき優しく舞う光点。ふわりふわふわりと漂うのが、おかしくて、笑ってしまう。

「そんなにおかしいかい?」

「だって、みて。ふわあり、ふわり、ふんわり、ああ、おかしいわ」

 せかいをももいろの吐息であたためる。しろいろの円を、また作る。そこにあなたは、きいろの吐息をかさねる。私は嬉しくなって、嬉しくなって、またももいろの吐息をかさねる。

 でもあなたはあおいろの吐息。

 どうして?

「どうして? 楽しくない? おかしくない? 幸福じゃない?」

「君に言わなければならないんだ」


 聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。あのね。聞きたくない。聞きたくない。ぼくと君を。聞きたくない。隔つのは。聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。君の父上なんだよ。それは。聞きたくない。君が太陽のひかりの下では生きられないから。それは。聞きたくない。

「聞きたくない。そんなの聞きたくない。私はわたし」

「最後まで聞いておくれ。ぼくは君と一緒にいたいんだ。父上には二度と会えなくなるけれど、ぼくと一緒に来てはくれないか?」

 舞いおりるひかりの螺旋は、私をぐるぐると取り巻いて、木乃伊ミイラみたいに、ぐるぐると。囚われる私は、私のぐるぐると回る考えなんて気にもしないで心の隅の、そう、ほこりが積もったところからひょいと飛び出すみたいに、軽く、でも重たい決断。それでも心は、私の心は、あなたの心に寄り添いたくて、ただ一心不乱に、何度もうなづいてみせるのが私の、本当のすがた。

 ひかりの螺旋の中、そこを駆け上がるのは、私の欲望。飛び降りるのは、私の理性。

「生きましょう」

「ぼくはうそを吐かなかっただろ?」

 あなたはおかしくて笑う。なんで? そんなに私はおかしいかなと思うけれど、私を見て笑ってくれるあなたが、おかしくて私は笑う。

 むらさきの吐息は、あなたと私を包み込んでくれているから、きっと大丈夫。あなたが鍵をあけてくれたから、手をさしだしてくれたから、私はどこへでも。あなたの吐息と、私の吐息が、混ざればきっと大丈夫。しろいろの円とはさようなら。

 小さな鍬のような大きな外[せかい]で、あなたと私が混ざり合う。

 むらさきの吐息の中にある内、とおくへ。

 とおくへ。

 楽しい。おかしい。幸福。

 私はまだせかいを知らない。

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