超文多面譚

 この身に刺す冷気は冬。否、光線の中で鼓動する粒子の生を感じた表皮が、微かなる電気信号を神経細胞と筋繊維を伝導し、「春」と判断するのは身体の伝道師である脳。

「目がさめた?」

 眼前のは、温顔おんがんで此方を見やる。見覚え無くあるはずなのに何故だろう。郷愁ノスタルジー、否、懐古ノスタルジーに似た感情が、入道雲のそれと同様に縦に横に縦横じゅうおうと神出鬼没。

「これ、どうぞ。さむいでしょ? まだ完全じゃないから」

 云われる儘、されるが儘。

 身体を縦横無尽に満たすのは、神経細胞と筋繊維を伝道する電気信号と同等の液体。自らと信じるも、司る脳の何たるかは虚言ぺてん師とただ黙しつつ目す。

「まだ、無理にうごかなくていいからね」

 伝導し虚言し、その先に軋む。鈍痛。否、鋭痛。呻く声も絶え絶えに眼前のは、物言わぬ。擦る目の先の透過する眼前のそれに奇術師と知る。

 動く。軋む。痛む。落ちる。耐える。見える。光。空。つぶて促促そくそく惻惻そくそく蔌蔌そくそく

 

「そんな夢があるものか?」

「事実と云っておるのが分からんのか?」

「事実とはまた面妖な。現に此処にお前がおるのが分からんか?」

「そう云われれば何とも」

 疑心暗鬼は自らへの禁忌と知ろうと、厭わず行う事に欣喜きんきする矛盾。

「気がれておるんだろう」

 思考の忘却は、それ則ち至高の忘却でもある。思考を嗜好とする志向であるので、思考で得た私行を試行する事でまた至高出来ると知っている。知らぬは勿体ないがわざわざ伺候してまで。と指向の違いを受け入れる。

「気は誰しも狂れておると知れ」

「何を偉そうに」

「気に触れるも狂れるも同義と見做すも良いが、だが如何いかん。如何せん遺憾である。異観を受け入れぬがいかんとは云わんが」

「さっぱり分からん」

「きっぱり分からそう」

「云え云え」

「気が狂れるは、狂うておる。おかしくなっておる。然れど気が触れるは、触れておる。理解しておる」

「言葉遊びと云う訳か?」

「その程度の理解では至らぬ。一面を見て、多面も他面も知れぬのは仕方ないが、侮辱はならん。住む世界を改めよ」

「何を偉そうに」

「二度云わんで良い。外を見よ。其処に何を見る?」

「騙されぬぞ。詐欺師」

「信ずる事を捨て去れば騙されぬ」

「滑稽な」

 我には現実と見えるも、人の目の映すところは一面でしかなく、彼の見るものもまた別の一面で、それも一つの世界。

 彼の目には美麗。

 我の目には空虚。

 眼前のは我のみに語る。

「誰もあなたの事は信じてくれないよ」

 眼前のは我のみに笑う。

 我の目には蠱惑。

 彼の目には透過。

 我には仮想と見えるも、人の心が映すところは他面でしかなく、彼の見るものもまた別の他面で、それも一つの世界。

「失敗か」

「信ずる事を貫き通せば騙されぬ」

「騙されぬぞ。詐欺師」

「真似をせんで良い。内を見よ。其処に何を見る?」

「何を偉そうに」

「その程度の遺言では至らぬ。多面を見て、一面と他面を知れぬのは仕方ないと、程度が知れる。住む世界を改めよ」

「言葉遊びと云う訳か!」


「あなたのせかいも一面も、私が見届けてあげるから、さいごを。さいごをしっかりと始めてから、またはじめてのさいごを始めましょう。それまで少しのあいだだけ、サヨナラしなくちゃいけないけど、またアえるまでの、少しのあいだの、おわりだから。また始まるのをまってるから」

 再び春。否、冬。そう云った眼前の姿は無い。空虚の中へ誘う女神なくしては虚空へ赴くより無し。

 身に降る粒子の鼓動を感じ得ぬ。故に死とは安直やも知れぬが、間際にせまる郷愁ノスタルジア懐古ノスタルジア

 有り体に云えば、おわり。

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